第八十八話 ミーア姫、心の声を絞り出す
「わたくしが、うらやましい……ですの……?」
きょとん、と目を瞬かせるミーア。一方のクラリッサも、自らの言葉に驚いていた。
――うらやましい……? 私が、ミーア姫殿下にそのような想いを……? でも……。
静かに、自身の心に目を向けて……改めて自覚する。
――そうだ……。私は確かに、ミーア姫殿下のことをうらやましいと思っている。
胸を焦がすのは、隠しようもない羨望の気持ち。
臣下に慕われ、強者を手足のように使って偉業を成す。聖女ラフィーナを筆頭に、友にも恵まれている。なにより、その者たちが誰もが、目の前のミーアという人に、帝国の叡智の働きを期待している。
――私には、ただの一度もない。そんなふうに、期待されたことなんて……。
今回のパライナ祭に関してもそうだ。アベルは期待していると言ってくれているが、あれはどちらかというと心配と激励の気持ちのほうが強いはず。
国王である父も、母も、兄も、臣下の者たちも誰一人として、レムノ王国の王女に期待などしていない。
せいぜい、失敗しなければよい程度。否、その前に自分からギブアップして、アベルに役目を譲ってしまえ、と……。そのような目で見られているのだ。
――みんな、そうだ。私の世話をしてくれているメイドだって、きっとそう思ってる。
レムノの王族は、基本的に従者に生活の手伝いをさせない。
戦場で、一人になったとしても王としての威厳を保てるように、日頃から、身の回りのことを自分でできるようにしている。
けれど、王女たるクラリッサには、熟練のメイドがついてきてくれていた。かつて、レムノ王家の剣術指南役、ギミマフィアスは言っていた。
「王家に連なる者として、いかなる時にも身の回りをきちんと整え、心を清く保つことが必要です。一流の戦士は、それができます」
っと。
だというのに、クラリッサにはメイドがつけられている。
ゲインにもアベルにも専属の従者は与えられていない。ただ、クラリッサにはいる。
それはすなわち、クラリッサを一人前とは見なしていないからではないか? 王女として……自立することを、期待されてないからではないか?
ヴァレンティナは、自分で無理やりに従者を追い払ってしまったけれど、クラリッサにはそんな度胸はない。
ただ唯々諾々と、父の言うことに従っているだけ。
なぜなら、そう生きるのが正しいから。姉、ヴァレンティナのほうが、レムノの王女としては間違っているのだ。
母を見習い、できるだけ口を閉ざしていることこそが、自分に期待されていることだった。
判断すること、意見を言うことを期待されていないから、勉学もほどほど。知識もほどほど。
そんな状況で、王女としての意見を言っても失敗するだけ。そうして的外れなことを言うから、余計に意見など求められなくなっていく悪循環だ。
そんなクラリッサにとって、目の前の帝国の叡智は、まぶしすぎた。
「みなさんから期待を受けて、その期待に応えることができる。しっかりとした教育を受け、それを生かす場を与えられ、それが許されていること……それが、私には、とてもうらやましく思えます」
言ってしまった……などと若干の後悔をしつつ、クラリッサはミーアを見る。っと、ミーアは、フルフルと拳を震わせながら、
「……わたくしは、やはり、あなたがうらやましいですわ。クラリッサお義姉さま。期待されてないなんて……うらやましいですわ」
「え……?」
突然のミーアの言葉に、クラリッサは口をポカンと開けた。
……ちなみに、まだアベルと結婚もしていないのに、いきなりお義姉さま呼びされたものだから呆気に取られてしまったというわけではない。いや……多少はある。あるにはあるが、それ以上にミーアの言葉が意外だったからだ。
「なぜですか? うらやましいだなんて……誰からも顧みられず、一切の期待もされず……そんな生き方がうらやましいなんて、本気で思っているのですか?」
適当なことは言わないでほしい、と半ば起こりながら言い返せば……。
「うらやましいですわ! だって、それならば、ちょっと頑張れば評価されるではありませんの!」
カッと目を見開いて、ミーアが声を上げる。それから、指を振り振り、ミーアは続ける。
「考えてもみていただきたいですわ、クラリッサお義姉さま。誰もあなたに期待していないんですのよ? だとすれば、仮に失敗しても痛くもかゆくもない。期待されてないのだから、当然のこと。それはご存知でしたわね。けれど、それだけではありませんわ」
ミーアは、クラリッサの目を真っ直ぐに見つめて言った。
「誰もあなたが成功するだなんて期待してないのだから、彼らの期待を上回る大成功を収める必要はない。ちょっとした成功でも、意外とやるな、と評価してもらえるのですわ。むしろ、見下してきた相手に一泡吹かせてやる好機ではありませんの!」
ちょっぴーり、お姫さまらしくないことを言うミーアである。
「期待されていないことが、わたくしには、とてもうらやましく思えますわ!」
その、しみじみとした……やたらと力強い言葉に、クラリッサは意表を突かれた。
今までそんな考え方をしたことがなかったからだ。
――期待されていないからこそ、相手を見返すことができる……か。もしかして……。
ふと気づくことがあった。それは、ミーアの言葉が口先だけのものではない、確かな説得力を持っているということ。
――もしかして……ミーア姫殿下も、そうだったんだろうか……? 最初からこうだったわけではなくて、誰からも期待されず、見向きもされないところから頑張って今のようになられた?
誰からも言葉を聞いてもらえず、無視され、忌避される……そんなことを経験しているのではないかって、そう思えたのだ。
それは、あり得ない想像だ。
あの大帝国の皇女にして、幼い頃から貧民街の改革をはじめとするいくつかの政策で知られていた聡明な人が、そんな境遇であったなんて到底考えられないこと。
だけど……なぜだろう、クラリッサには、ミーアもまた自分と同じようなところを歩んできたのではないかと、そう思えてならなかったのだ。
――なにも期待されてないからこそ失敗できる。なにも期待されていないからこそ、小さな成功でも大きな功績になる。そして、その成功を積み重ねた先にあるのが、今のミーア姫殿下のお姿であるとするなら……。
そうして、クラリッサは顔を上げた。刹那、その目が捉えたもの……それは!