第八十四話 帝国の恋愛脳、自重する
「あの、ミーア姫殿下、本音で語り合うというのはわかりましたが……どのようにするおつもりですか?」
逃亡の足を止めることなく、クラリッサが聞いてきた。ミーアは顎に手を当てて、ふむ、と唸りつつ……。
「そう……ですわね。でしたら、一つずつ、互いに質問していくというのはいかがかしら? どうしても答えたくないものについては答えなくても良いということで……」
言いつつ、ミーアは、これは我ながら良い考えだぞぅ、っと自画自賛。
――答えられない、という答えならば、それはそれで、なにか事情があることが察せますし、問題ありませんわ。この機に気になっていたことをすべて聞いてしまいますわよ!
そうなのだ。ミーアには、ずっと気になっていることがあるのだ。
それは、どうすれば、クラリッサお義姉さまと仲良くなって、アベルとさらに良い感じになれるのか……! ではなく、もちろん、放火事件についてのことだ。
帝国の恋愛脳は少々自重したのだ。
さておき、神聖図書館の放火について、おそらく、犯人はジーナなのだろう。彼女が蛇であるならば、図書館を燃やす十分な動機を持っているので、それは間違いないことだろう。
一方で、ミーアが気になるのは、ルードヴィッヒのことだった。
――あのルードヴィッヒが、クラリッサお義姉さまが犯人だと書いていた。それが、最も気になる点ですわ。
帝国の叡智の知恵袋たる彼が「クラリッサが犯人である」と書いている。ジーナが上手く罪を被せようとしたとしても、そう簡単に彼が騙されるとは、どうしても思えないのだ。
――もしかすると、クラリッサお義姉さまが心の隙を突かれて操られたのかもしれませんわ。であれば、現在も抱えている葛藤があるのかもしれない。できれば、それを把握しておきたいですわ。
敵はジーナだけではない。蛇はいつでも、どこにでもいる存在。クラリッサの弱みにつけ込み、問題を起こすかもしれない。
早めに把握し、解決できるに越したことはない。
山の上で落ちそうになっている大岩は、落ち始めてからでは止めることはできない。落ちる前から、その下に石をいくつも挟んで落ちないようにすることこそが肝要。
つまりは、厄介事は起こる前から対処しておくに限るし、問題は小さいうちに全力で潰しておくに限るのだ。
これこそが、最も楽に安全を確保する道なのである!
前方の曲がり角を曲がる。淀んだ空気の中、二人の足音と水の流れる音だけが響いていた。
「では、まずわたくしから……。クラリッサお……うじょ殿下……、パライナ祭の準備はいかがかしら?」
恐らく、クラリッサに最も心理的な圧迫感を与えている問題がこれだった。
上手く準備ができずに「あっ、そうだ。火でもつけちゃおっかな?」と思う可能性はゼロとは言えない。
ということで、聞いてみると……。
「なぜ、パライナ祭を?」
眉をひそめるクラリッサに、ミーアはしかつめらしい顔をして……。
「もしもジーナさんが、クラリッサ姫殿下を狙っているのだとしたら、パライナ祭に関係することがどう動機ではないか、と思いましたの。もしそうならば、なにか、彼女にとって都合の悪いテーマを考えているのではないか、と……」
「なるほど。確かに、ジーナさんとはパライナ祭についてもお話ししました。でも、まだ何にしようか、とか、考えはまとまっていませんから……」
「そうなんですの? なにか、こう、ふわっとでも、考えているテーマがあるのでは……?」
「いえ……」
クラリッサは一瞬、躊躇った様子を見せたが……。
「むしろ、私が余計なことを言わないほうがいいのではないかと思っています。そうすれば、弟が……アベルが良い案を考えてくれるでしょう」
ほんの少しだけ微笑んで言った。
「クラリッサ姫殿下は……それでよろしいのですの?」
そう問えば、クラリッサは目をパチクリ。
「え? 私……ですか? ええと、良い……のではないでしょうか? だって王国政府も、国王陛下も、私には特に何も期待していないと思いますし……」
「ふぅむ、なるほど……」
その微妙な答えに、ミーアは思わず唸り……。
――期待されていないから、仮に上手くいかなくっても弟に任せてしまえばいい……。それが許される、と……。なるほど、期待されていなければ、他者に全部任せてしまっても構わないと……。それは、実にいいですわね!
ついつい、そんなことを考えてしまう!
なにしろ、ここ最近のミーアは、黄金像を筆頭に、自身を押し上げてくる波の力を強く感じているわけで……それは、裏を返せば、期待の大きさと、絶対に失敗できない重圧にも繋がるわけで……。
ものすごぅく、うらやましくなってしまうミーアである。まぁ、それはさておき……。
「それでは、次はクラリッサ姫殿下の番ですわ。なにか、わたくしにご質問はございますかしら?」
「そう、ですね……」
クラリッサは、何事か考え込んでいた様子だったが……。
「ああ、それならば、アベルの学校での様子をお聞きしたいですね。ミーア姫殿下は、アベルと、仲がよろしいのですよね?」
「わたくし、ですの?」
思わぬ質問に目を瞬かせるミーア。
「はい。仲の良いご学友という認識でいるのですけれど……」
――これは、どう答えるのがよろしいのかしら……? 正直に言えばよろしいのかしら? それとも隠しておくべきか……。
クラリッサの心境がわからない以上、適当なことは言わないほうがいいかもしれないが、しかし……。
――ここで下手にお友だち、などと言ってしまうと、却って後で気まずい思いをしそうですわ。
そう、プロの海月たるミーアは知っている。
ちょうど良い波に乗りそこなうと、体は沈んでいくのだということを。
ゆえに、波がやってきていると見れば、決して機を逃してはならないのだ。
――むしろ、ここで恋仲だと公言しておいて、クラリッサ姫殿下にそのように認識しておいていただいたほうが、後ほど味方になってもらいやすいかもしれませんし……。
ふむっ! っと頷き、ミーア、ついに決意する。アベルの恋人を名乗ることを!
帝国の恋愛脳は、今度は自重しなかったのだ。
「わたくしとアベルは……、ええと、その……こっ」
「こっ……?」
きょとん、と首を傾げるクラリッサに、ミーアはえいやっと意を決して!
「こっ、こひびとでちゅわ!」
久しぶりに、盛大に噛み散らかしてしまうミーアであった。