第八十二話 喧噪の夜は終わらない
リンシャの要請を受け、早速、ラフィーナは動き出した。
モニカとリンシャを引き連れてクラリッサが滞在している部屋に行くも、そこには誰もおらず。次に、ミーアの部屋へ。そのそばにいた近衛騎士に声をかけて同行を依頼する。
近衛たちによると、まだミーアは帰っていないとのことで。念のために部屋を確認するも、ミーアの姿はなかった。
「どこへ行く、ということは、聞いていないのかしら?」
「はい。夜の散歩に行かれるとのことでしたから、てっきりラフィーナさまか、どなたかのお部屋で、話されているものとばかり……」
ラフィーナの様子を見て、わずかばかり不安の色を見せる近衛兵たち。けれど、彼らを責めるわけにはいかないだろう。
――ミーアさんが散歩に出てから、まだ一刻と少しというし……、突発的なパジャマパーティーが開かれたと考えれば、むしろ、もっと遅い時間まで不在になっても不思議ではないわ。
ラフィーナにしても、お友だちと会話が始まって一刻で護衛から声をかけられれば、煩わしく感じるかもしれない。平時においては、厳重過ぎる護衛というのは煩わしいもの。
まして、ここはヴェールガの都ドルファニアの、神聖図書館なのだ。
その中では滅多なことが起こるはずがないし、仮に危険があったとすれば、それは、ヴェールガの責任だ。
「ディオン殿は、いらっしゃるかしら? すぐに助力をお願いしたいのだけど……」
心配のしすぎかもしれないと思いつつ、ラフィーナは尋ねる。けれど、近衛兵は困惑の表情で顔を見合わせた。
「実は、ディオン殿は、現在不在で……。図書館への立ち入りを認めていただけるならば、皇女専属近衛隊を集合させますが……」
「そう。それならば、聖女ラフィーナの名において、ティアムーン帝国皇女専属近衛隊のみなさまに協力を要請いたします」
ラフィーナの判断は早かった。
神聖図書館内に兵を入れるなど、異例中の異例のことながら、今は緊急事態。四の五の言ってはいられない。
「かしこまりました。急ぎ手配してきます」
近衛兵二人の内、一人が頭を下げるとその場を走り去った。残った一人は、どうやら新入りのようで……。不安からか、少しだけ青い顔をしながら、成り行きを見守っていた。
それから、ラフィーナはモニカのほうに目を向ける。
「アベル王子と、それから、警備担当の者にも声をかけて。ミーアさんたちが外に出たかの確認を。出ていなければ、図書館内をくまなく探さなくては……人手がいるわ。それに、帝国の皇女専属近衛隊の方たちが入ってくることも、あらかじめ話を通しておかなければいけないわね。心配のし過ぎかもしれないけれど……」
っと、そんなラフィーナの言葉に、モニカは首を振った。
「リンシャさんが頼って来られた以上、一定の備えはするべきです。それに、何事もないのであれば、笑い話で済みますから……」
一礼すると、モニカは小走りに離れて行った。それから、ラフィーナはリンシャのほうに目を向けた。
「ミーアさんは、アンヌさんとベルさんと一緒に出かけたのね?」
「はい。なので、三人同時に誘拐されるということは、考えづらいかと思います。ベルさまの悪い癖で、どこかに潜り込んで出られなくなってしまった、ということは、考えられるかもしれませんが……」
「ああ……」
ラフィーナは少しだけ遠い目をして、
「なるほど……それは、確かに……」
二人のベルへの認識が偲ばれる反応であった。
っと、そうこうしている内に、廊下のほうから足音が近づいてきた。
モニカが戻って来たのか? と視線を向けると、そこにいたのは……。
「あらー、ラフィーナさま、こんな時間に、どうかしたんですかー?」
やってきたのは、スラリと背の高い少女、オウラニア・ペルラ・ガヌドスだった。どうやら、水産研究所についての話し合いに参加した後、湯浴みをしたらしい。しっとりと湿った髪を拭き拭き、こちらにやってくる。
ミーアの部屋の前に立つラフィーナとリンシャの顔を見たオウラニアは、んー? っと首を傾げてから……、
「あー、もしかしてー!」
ハッとした顔をして……それから、ジトッとした目でラフィーナを見つめる。
「ミーア師匠と楽しいパジャマパーティーをしようって思ってきたんじゃ……」
「――なっ!」
ラフィーナはビクッと跳びあがり、それから、あわわっと口を震わせてから、
「そっ、そんなんじゃないわ! 今日は!」
ギュッと拳を握りしめ、全力で反論する!
とりあえず、今日に関しては、真面目な理由で訪ねてきているのだ! っと無実を訴えるラフィーナである!
……今日に限定して、それ以外の日はわからないけどね? ……っと含みを持たせてしまう、非常に正直者な聖女ラフィーナなのである。
「あー、そうなんですかー。それじゃあ、なにをされているんですかー?」
ラフィーナの動揺を特に気にした様子もなく、オウラニアは言った。
「実は、ミーアさまたちが、どこかに行ってしまわれたみたいで……」
「ミーア師匠がー? んー、でも、師匠のことだから、そこまで心配しなくってもいいと思いますけどー」
「もちろん、そうならいいのだけれど……でも……」
「あっ、あの、ラフィーナさま!」
不意に、近衛兵が声を上げた。
「これは、関係があるかまったくわかりませんし……その、聞きようによっては、ヴェールガ公国への無礼にあたることかもしれないのですが……その……」
そんな若者を安心させるように、涼やかな笑みを浮かべて、ラフィーナは言った。
「今はミーア姫殿下の安否が最も重要です。どんな細かなことでも、教えていただけますか?」
「は、はい。実はその……しばらく前に、神聖図書館の司書神官の方が、ミーアさまを訪ねて来られまして」
「司書神官が……?」
「はい。神官服に、顔をベールで隠された女性で……」
それを聞いた瞬間、オウラニアが、あー! っと声を上げた。
「あのー、そうでした。これも、関係あるかわからないんですけどー、その方、もしかして、ヴァイサリアン族じゃないかって思ったんてすよー」
「…………え?」
「あのベールみたいなので、額の刺青を隠してるんじゃないかなって。ガヌドスでも、ああいう感じの格好の人はよくいたからー」
その言葉で、ラフィーナはハッとした顔をする。
「そうか……目線を隠すためだって聞いていたけど……。額の刺青を隠すためだったとしたら……でも、ヴァイサリアン族って……まさか」
「遅くなってすまない。なにがあったのですか?」
そこに、アベルを連れたモニカが戻ってきた。
喧騒の夜は、まだ終わらない。