第八十話 ミーア姫、健康的に階段を下る、下る、下る!
「これ、思ったより深いですわね……」
地下へと下る階段は、相当、長かった。ミーアの体感では、地下に四、五階分はあるだろうか……。
落ちたら一大事、とばかりに、ひんやり冷たい壁に手をつきながら、ミーアはしっかり足元を確認しながら階段を下っていく。
――ふぅむ、上るよりはマシな気もしますけど、こう、足にきますわね。いや、下りるほうがダメージになるという話も聞いたことがありますし……。うう、全力疾走した後でのこの下りは、なかなか大変ですわ。
ちなみに、タチアナ考案の健康法の中に、白月宮殿の階段の上り下り、十往復なるものがあり、後でミーアは泣くことになるのだが、それはともかく……。
トストスと太ももを叩きつつ、階段を下る、下る、下っていく!
足元でじゃり、じゃりっと鳴る音が、滞った空気を震わせて、不気味に鳴り響いていた。音の広がりは、地下に広がる空間の広さを物語るかのようだった。
そうして、降り切った先には、石造りの地下道が広がっていた。
「地下室で行き止まりとかだったらどうしようかと思いましたけど……ベルの言うとおり、地下道で間違いなさそうですわね。奥まで続いていそうですわ」
っと、その時、不意に上から風。見上げれば、かすかに光が差し込んでいる場所があった。おそらく、先ほど、崩れた場所だろう。
「なるほど。ベルは、あそこから覗いて、地下に空間があることがわかったんですわね」
かなりの高さがある。こちらから登ることも、あちらから降りてくることも不可能だろう。
「この地下道のこと、ジーナさんが知っていたら大変ですわ。急いで、行きましょう」
そうして、ミーアは地下道の先へと目を向ける。
……なんというか、暗い。すごく、すごぉく……暗い。怖いとか怖くないとか、そう言ったこと以前に、そもそも何も見えない。
まぁ、幸いというべきか……クラリッサが灯りを持っていたので、なんとか進むことができそうなのだが……。
クラリッサの手元、かすかに揺れるランプの光に心強さを覚えつつも、ミーアは思う。
――それにしても、クラリッサ姫殿下、よく灯りをお持ちでしたわね。
確かに、廃棄区画を夜の間に歩き回ることを考えれば、ランプは必須だっただろう。けれど、あれだけ追いかけ回されて、なお手放さずにいたのは、驚きに値することだった。少なくとも、ミーアであれば、絶対に手放してしまっていただろう。
――あの状況の中で、ものすごい胆力ですわ。この方、気弱に見えて、意外と根性が据わっているのではないかしら……。
なぁんて感心してしまうミーアである。
――それに体力もおありのようですし……。普段から運動に勤しんでいるわたくしならばともかく、クラリッサ姫殿下は普通のご令嬢のはず……。それなのに息も切らしていないなんて……さすが、アベルのお姉さまですわね。
……ツッコミを入れる者は……いない!
ともあれ、クラリッサへの全体的な評価をこっそりと改めるミーアであるが……。
「さ、参りましょうか。クラリッサ姫殿下」
「あっ……は、はい」
しかしながら、返ってきた言葉は、いまいち頼りない感じがする。
――ふぅむ、蛮勇の持ち主か、弟の影に隠れる気の弱い女性か……。なんとも掴みどころがありませんわね、クラリッサお義姉さま……。
ちらり、とクラリッサの横顔を眺めつつ、ミーアは歩き始める。
地下道の幅は人が二、三人並んでも余裕で歩けそうなぐらいには広かった。手元の灯りでは、隅の闇までは払拭できず、中途半端に残された闇は、かえって、ミーアの頭に良からぬ想像を喚起した。
具体的には、こう……そこの影から突如、ナニカ、オソロシイモノ……がひょいと顔を出さないかしら? とか。幽霊って、暗いところが好きなんですのよね……っとか。
そんな、怖い想像をかき消すように、あえて明るい口調でミーアは言った。
「それにしましても、ここは、なんのための地下道なのかしら……?」
「なんのため、と言いますと?」
不思議そうに言うクラリッサに、ミーアは言った。
「いえ、なにかを運ぶためのもの、というわけでもないでしょうに、と思いましたの。普通に地上から運べばよいだけですし。まさか、本を運ぶために、地下道を作る、などという手間をかけたわけでもないでしょうし」
秘密の地下通路などというものは、脱出に使わないのであれば、こっそり武器を輸送したり、なにか、見つかってはいけない禁制品……例えば、ダレカの秘密肖像画とか、そういうものを運ぶためのものだ。
図書館に本を運ぶなどという真っ当なことのためには作らないはず……。と、そこまで考えたところで、ミーアは、あっとつぶやく。
――いえ、でも「地を這うモノの書」関係のものは、こっそりこちらから運んでいる、ということもあるのかしら……? もしもそうなら、ジーナさんは、当然、ここのことは知っているはず……。
ミーアは、恐る恐る背後を振り返る。
灯りが近づいてくるということはないようだった。
――とりあえずは、大丈夫そうですけど、できるだけ急がなければ……。
そんなことを思いつつ、足を速める。
そうして、しばらくしたところで、かすかに水音が聞こえてきた。
「あら? この音……これは、もしや地下水路……?」
ミーアの予想を裏付けるように、クラリッサが掲げるランプの光に、幅の広い水路が照らし出された。