第七十六話 逃走劇
「なっ……え? あれ……は、いったい……?」
思わぬナニカの出現に、ミーアは一瞬、クラリッサの関与を疑うも……ぽっかーんと口を開けるクラリッサを見て、即座に判断。
――クラリッサ姫殿下は無関係っぽいですわ。しかし、あれは……。
っと、まだまだ思考停止から抜け出せなかったミーアに……。
「あの斧……もしや、首狩り人の斧、でしょうか? 以前、怪談で聞いたことがあるんですけど……」
などというベルの言葉が……特に「首狩り」の言葉が……っ! 首を狩りに来る者が追いかけてくるという状況がっ!! ミーアの頭を、あの懐かしき革命時の帝国へと引き戻した!
「にっ、にに、逃げますわよ! 早く!」
正気に戻ったミーアは素早く判断、声を上げる!
そう、数多の殺気立った追手に追い回された経験から、ミーアは知っている。
この手の状況において、最も重要なことは、なにか?
こちらの首を狩りに来る追手に対し、最も有効な手立ては、なにか?
それは距離だ! そう、距離なのだ!
ともかく、敵が遠くにいる内に、その手の武器が自身に届くより前に、一刻も早く逃げてしまうのが一番なのだ!
そうして、ミーアは目の前の、呆然自失としているクラリッサの手を掴んだ。
「いきますわよ、クラリッサ姫殿下! アンヌもベルも、ちゃんとついてくるんですのよ!」
ミーアの切羽詰まった声に、みな一斉にハッとした顔をして、それから動き出した。それと同時に、斧を持った首狩り人も走り出した。
だっ、だっ、だっ、だっ、っと、荒々しい足音が近づいてくる。見るからに重たげな斧を持っているのにもかかわらず、意外とその速度は速かった。
――くっ、あっ、あれは一体何者ですの? いまいち、薄暗くって顔がよくわかりませんけど、服は司書神官のもののように見えますわね……。それに、体形的には女性?
チラッと振り返った先、先ほどよりも近いところに、ソレがいた。
ひぃいっ! っと、悲鳴を呑み込んで、ミーアは廊下を駆け抜ける。
「くっ、クラリッサ姫殿下、この区画には詳しいんですの?」
ミーアの問いかけに、怯えた顔で、クラリッサが首を振った。
「はっ、入ったことはありますけど、バルコニーで星を眺めるだけでしたから……」
「なるほど、バルコニーまでの道しかわからないということですわね」
答えつつ、ミーアは脳みその回転数をギュンギュン上げていく。この場面、どう行動するのがベストなのか?
理想は、アベルか、皇女専属近衛隊との合流……ディオン・アライアと合流できれば、言うことなしだ。
――ディオンさんならば、あの巨大な斧でも真っ二つにできるはずですし。皇女専属近衛隊だって、跳ね返してくれるはず……。それにアベル……、アベルならば、あんなもの一撃で倒してくれるはず……。となれば、近づかれないように逃げつつ、なんとかして、元の区画に戻らなければ……。
最悪なことに、一階へと降りる階段は、敵の後ろだ。なんとかして、敵をやり過ごして、反対側に行かなければならない。
幸い、眼前に広がる廊下は奥まで伸びている。壁には扉もいくつもある。部屋数は多い。かなりの広さがあるから、隠れるのは容易なはず……たぶん。
――隠れてやり過ごす。それがプランの一つ目ですわ。そしてもう一つのプランとしては……。
城住まいが長いミーアである。
この手の建物の構造はよく知っている。これだけ広いのだ。一階と二階を繋ぐ階段が一か所であるとは思えない。
「ミーアお祖母さま! この先に、階段があったはずです! そこから下に降りて……」
まるで、ミーアの考えを読んだかのようなタイミングで、後ろでベルが声を上げる。
「おお、さすがはベルですわ! 頼りになりますわ!」
素直な称賛を送りつつ、ミーアはもう一度、後ろを振り返った。
相変わらずこちらを追跡してくる。背後にとって返して、先回りをするということはなさそうだった。となれば……。
「あっ、見えました。階段です。そこ、曲がってください」
並ぶ扉をすべて無視して、廊下の外れへ。そこに見えた階段を転がり落ちるようにして降りていく。
階段を降り切ると、眼前には二階と同じ廊下が広がっていた。
そこを真っ直ぐ、走っていく。っと、
「あっ、ここ、ちょっと崩れてます。気を付けて!」
前方を行くベルが警告を発する。
直後、床にヒビが入った箇所が見えた。ミーアは軽やかに、ジャンプ!
危険な箇所を跳び超える。
――ここが落とし穴みたいになって、敵が落ちてくれればいいんですけど……。
などと、淡い期待を抱きつつも、再び走り出す。
「行きますわよ! あともう少しですわ」
目の前にドアが見えた。半開きなのでカギはかかっていないはず! 勢いよく開けて、さらに先へ、先へ!
さらにもう一つ、扉を開けたところで、最初に上ったY字の階段の真横に出る。あともう少しっ!
息が切れ、目の前にチカチカ、光が点滅し始めたが、足を止めることはしない。
ベルやアンヌのほうを見ると、二人とも苦しそうに息を切らしているが、なんとかついてきていた。意外なことにクラリッサは怯えているようには見えたものの、息はそこまで上がっていなかった。
――意外と体力がございますわね……。
一瞬、気になったものの、今はそんなことを気にしてはいられない。
ミーアは、一目散にそこを駆け抜け、そして、自分たちの味方のいる場所へ。廃棄区画との間を隔てていた扉に手をかける!
「なっ、なんとか、これで…………あら?」
けれど……無情にも手に残ったのは……がちっという硬い手応え。ビクともしない扉に、ミーアが驚愕の声を上げた、次の刹那っ!
「ミーアさま、しゃがんで!」
アンヌの声が響いた!