第七十五話 鬼ごっこの幕開け
階段を上った先、広めの廊下をクラリッサは進んでいく。
こっそりと、おっかなびっくりその後を追う。
足音が鳴らぬよう気を付けて進んでも、時に木製の床は軋みを上げる。ビクビクしつつも、ミーアは眉をひそめた。
「いったい、どこに向かっているんですの……?」
疑問のつぶやきに答えたのは、またしても、潜められたベルの声だった。
「……そう言えば、こんな話を聞いたことがあるんですけど」
「あら? なにかしら?」
ベルは、いつも以上に抑えめにしたボソボソ声で話し始める。
「これは、あるお城にまつわるお話なんですけど、さる高貴な方がお友だちと共に旅をしている途中、馬車が壊れてしまって……。ちょうど近くにあったお城に一泊することになったそうなんです。幸いなことに、お城の人たちは気前よく泊めてくださいました。それで、その日の夜のことなんですけど……その高貴な方、仮にMさまとしておきますが、Mさまは、ふと目が覚めてお友だちがいないことに気が付いたそうなんです。それで、おかしいなぁ、ってことで探そうとしたら、外を歩いていくお友だちが見えて、それで……あれ?」
っと、そこで、ベルが言葉を止めた。
「どっ、どうしましたの? ベル……なにか……?」
「いえ……今、下のほうで、ドアが開くような音が聞こえたな、って……」
ベルは振り返り、分厚い闇のベールに目をすがめる。が、特に変化はな……がちゃり……。
今度ははっきりと聞こえた! 下の階、何者かがドアを開けた音だ。
先ほど、ミーアたちが登ってきた階段の左右と奥には、それぞれ扉があった。つまり、後から入ってきた者は、そのいずれかを開けて入っていったらしい。
「今の音は……誰か入ってきた……?」
「そのようですね。一階を回っているんでしょうか。確認に行ってきましょうか、ミーアさま?」
アンヌが真剣な顔で問うてくる。が、ミーア、迷うことなく、即座にそれを却下。
「いえ、今はクラリッサ姫殿下を追うことを優先いたしますわ。もしも、司書神官の方でしたら、後で事情を説明すればよいだけのことですし……」
断じて、こんな暗い中で、ベルと二人きりで取り残されることを避けたかったわけではない。
あくまでも、この暗い中を一人で行かせるのは可哀想だな、アンヌだって怖いだろうしな、という配慮からの言葉である。
決して、自分が怖いからとか、そういうことではないのである!
……もっとも、すべての事情が明らかになって後、改めて、この時の自身の選択を振り返ったミーアは……心からの安堵の吐息を吐くことになるのだが……。それは、また別の話である。
ともかく、ミーアたち三人は、クラリッサの追跡を再開する。
「そういえば、話が途中になりましたけど、結局、ベルは何が言いたかったんですの?」
「え……? ああ、そうでした。そう、様子がおかしいお友だちを追って行ったらですね……、そのお城の中庭には、なんと、たぁくさんのお墓があって、お友だちが一心不乱に、そのお墓を掘ってたっていうんです。それで、その高貴な方、Mさまのほうを見て……お前もお墓に入れてやろうかぁ! って!」
かぁっと目を見開いて、
思わず、ひぃっ! と声を上げそうになるミーアであるが、なんとか悲鳴を呑み込む。
「それで、翌朝になったら、なんとそのお城、そもそもが廃城だったようで……。じゃあ、昨日、出迎えてくれた人たちって、いったい誰だったんだろう……? ってことになるんです」
追加されたオチに、ゾゾゥッと背筋が冷たくなるミーアであったが……。
「なっ……なるほど……。それで、ええと、それがクラリッサ姫殿下とどう関係するというのかしら?」
「ああ、そうですね。その怪談と今のクラリッサ姫殿下の状況が、少しだけ似ているな、と思いまして」
コクリ……と生唾を呑み込みつつ、聞かなければよかったと後悔するミーアである。
「お、おほほ、嫌ですわ。ベル。そのような、非現実的なことを言って。そのような下らないお話、どなたがしたんですの?」
「ふふふ、実は……」
ミーアの問いを受け、ベルは、にっこーりと笑みを浮かべ……。
「これは、なんと、偉大なるミーアお祖母さまの経験譚なんです!」
「…………はぇ?」
思わず、といった様子で目を瞬かせるミーア。それから、
――あ、あら? ということは、つまりこれって……将来的にわたくしがそのような出来事を経験するということなのでは……? いえ、でも、単純に怪談をでっちあげただけ、という可能性も……? ううぬ……。
っと、ミーアが思考に沈みかけた……まさにその時だった!
「誰っ!?」
前方、クラリッサが振り返るのが見えた。
「あっ……」
驚きに、思わず身を固めるミーアたち。隠れようにも、一本道の廊下で隠れる場所はなく……。
観念して、大人しくクラリッサに歩み寄る。
「え……? ミーア姫殿下」
驚いて、目を丸くするクラリッサ。ミーアは誤魔化すように笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう、クラリッサ姫殿下。よい夜ですわね」
そうして、探るようにクラリッサを見上げてから……。
「ところで、こんな夜中に、どこに行こうとされていたのかしら?」
聞いた瞬間、クラリッサの目が、驚愕に、大きく見開かれた!
――この驚きよう……やはり、良からぬことをなさっていたということかしら……?
そうミーアが結論付けそうになった、その時だった。
ミーアは気付いた。
クラリッサが見ているのは、自分ではないということ。その視線が向かうのは、それよりも後ろ。廊下の向こう側で……。
「はて……?」
小首を傾げつつ振り返ったミーアは……そこに見つける。
巨大な……実に巨大な斧を持って立つ……何者かの姿を……っ!
「は……ぇ?」
こうして、真夜中の鬼ごっこは静かに幕を開けるのだった。