第七十二話 助っ人到来か……? 助っ人……助っ…………人?
帝国最強の騎士、ディオン・アライアは、鬼神のごとき強さの持ち主として、広く知られている。彼の戦いを見た誰もが、その評価を認めていた。
けれど、その戦う姿自体が鬼神のようであるかと言われると、実は、そうではない。一撃のもとに鋼鉄すらも両断する、その洗練された剣術は、むしろ見る者に、穏やかな印象すら与えるものであって、決して荒々しい鬼神を思わせるものではなかった。
そんな彼が、文字通り鬼神のごとき戦姿を見せたことは、あらゆる時間軸を見渡しても数回しかない。
最後の帝国皇女、ミーアベル・ルーナ・ティアムーンの護送作戦において、橋の上に仁王立ちした時、皇女専属近衛隊の最期の戦いの時は数少ない例外の一つであるし、帝国革命時において何度か、そのような姿を確認することはできるが……いずれにせよ極めて稀な姿ということができるだろう。
そして――そんな稀な姿が、今まさに現れようとしていた。
エピステ主義者の生き残り、戦闘を得意とする男たちは、その建物の前で静かに時を待っていた。
「痺れの霧が回るまで、今しばらく。一度、痺れが全身に回れば、一晩は体が動かぬ」
「煮るも焼くも、我らの自由ということか」
「仲間の怒り、存分に晴らさせてもらうとしよう」
蛇の仇敵、帝国の叡智。嫌悪すべき聖女、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガの一番の友と呼ばれる憎き帝国皇女の、その腕とも呼べる二人を暗殺できるという歓喜に、彼らが打ち震えていた。
見るもの見せてくれる……っと舌なめずりしている……まさに、その瞬間だった!
――雷のごとき轟音が……彼らの耳を打った。
いったい、何が起きたのか……?
混乱に固まる体。
「う、ぐ……ぇ」
直後、小さな呻き声。
背後の空間、そちらに目をやった者たちは……そこに見慣れる物を見つける。
石造りの壁に張り付いた、あれは……木の板? あれ? あんなのあったっけ……?
と、首を傾げる男たち。されど、その正体はすぐに判明する。
ぐらり、と倒れてきた板、それは、かつてドアだった。
ちょうどその前に立っていた仲間を巻き込みつつ、吹き飛ばされてきた、ドアの残骸なのであった。
不幸にして戦線離脱した仲間を、けれど、気遣う余裕はなかった。
ゆらり、と建物から出てきた影に……、立ち上る、その圧倒的な気配に、注意を向けざるを得なかったからだ。
恐ろしいまでの力でドアを蹴破って出てきたモノ……。それに目を向けられた時、男たちは思わず、一歩引いた。
その者の放つ眼光の鋭さに、気圧されたのだ。
濃密な、質量すら感じさせるほどに重厚な殺気を身に纏った男……。
ミーアが見れば心に大いなる傷を負ってしまいそうな、その姿は、まさに鬼神……。圧倒的なまでの威圧感を放ちながら帝国最強の騎士、ディオン・アライアは降臨した。
片腕に意識を失ったご令嬢を抱き、もう片方の手には剣を握りしめて……。
「うっ、うわああああっ!」
そのプレッシャーに耐えられなくなった者が刃を片手に切りかかる。その斬撃を……首を狙った渾身の一撃を……ディオンは身を屈めることでいとも容易くかわし、一閃!
右の剣が黒い閃光となり、男の足を切り飛ばしたっ!
……誰もが、そう錯覚した。
足を斬り飛ばされた! っと、確かに、斬られた男自身も確信していた。
けれど、恐る恐る目を向けた先、幸いなことに、足はちゃんとついていた。ディオンは、なぜか、鞘を付けたまま剣を振るっていたのだ。
けれど、ああ、よかった! などと安堵する余裕は男にはなかった。直後、激痛が襲い掛かり、一気に冷や汗が体中から湧き出す。
切り飛ばされてはいなかったが、足は綺麗にへし折れていたのだ。
崩れ落ちる男を一瞥し、ディオンは次なる敵に向かい駈け出した。
――くそっ……こんなに戦いづらいのは初めてだ。早く、解毒しないとならないってのに……。
敵の攻撃を難なくいなしつつも、ディオンは珍しく焦燥感に駆られていた。
ジワジワと、体に痺れが回っていく感覚……。今はまだ、シュトリナの薬が効いてはいるが、じきにそれも切れる。先に毒に倒れたシュトリナのほうは、さらに時間的な余裕はないだろう。命にかかわるものかもしれない。急ぎ、味方に合流しなければ……。
相手の斬撃をかいくぐり、一閃、二閃、三閃。
放つはすべて下段の横薙ぎ。潰すべきは、敵の足だった。追って来られないように、すべてへし折る。
斬るのではなく、折ること……それは慈悲ではなかった。
帝国の叡智の剣として……などと言っている余裕はなかった。殺さぬように……などということは、この際、気にしていられなかった。
ではなぜ、剣ではなく鞘でへし折ることにしたのか……。
――まかり間違って、ご令嬢の肌に傷でもつけたら……目も当てられないからな……。
左腕の中、ぐったりと意識を失ったシュトリナを守るためのものだった。
いつ手に痺れが戻ってくるかわからない状況においては、むき出しの刃を振るうのは、リスクが高かった。
――責任を果たして、傷一つなく姫さんのところに送り届けないとね……。やれやれ、難儀なことだ。
心の中で、決意を固くするディオンである。
ちなみに、これは完全なる余談ではあるのだが……後日、自身が背負うことになった『責任』のことをそんなふうに考えていた、と……うっかり口にしたディオンは、シュトリナにものすごぅく悲しい顔をされてしまった挙句、そのことを酒飲み話でバノスに話したら、なぜか、ものすごぅくお説教を食らってしまい……さらに、なぜかなぜか、ベルにもバレてしまい「ディオン隊長、しっかりしてください。リーナちゃん、ああ見えて、とっても乙女なんですから」と呆れ顔をされることになったりならなかったりするのだが……それはさておき。
追い詰められ、凶暴さを大いに増した鬼神を止められる者はいなかった。
ほどなくして、ディオンは、その場の敵すべての足をへし折り、死屍累々を築き上げていた(まぁ、死んでないが……)
呻き声を上げる男たちを尻目に、ディオンは走り出した。
――敵の増援が来る前に、ここを離れなければ……。それに、彼女の、解毒を急がないと。
焦燥に焼かれる体、違和感は徐々に大きくなり、普段とは違う感覚に足がもつれる。
かすむ目に、入り組んだ路地は、まるで迷路のようだった。けれど、足を止めるわけにはいかない。記憶を頼りに角を曲がり、曲がり……。けれど、微妙に見覚えがない場所に出てしまったところで、戻ろうと踵を返した刹那……かくん、っと膝から力が抜ける。
かろうじて、壁にもたれかかり体を支える。
「参った、な。くそ……」
悪いことに、何者かの気配が近づいてきた。
――敵の増援……か。やれやれ……せめて、このお嬢さんだけでも、と思ったが……まだ、やれるか? ……ん?
奇妙な違和感があった。追手というには、少々、大きいような……?
かすむ視界に目を瞬かせて、なんとか、その正体を見極めんとする。
わざとらしく足音を立て、のっそりと近づいてきた影。それは何モノか……?
疑問に答えるように、それは、
「ぶーふっ……」
っと鼻を鳴らした。