第六十八話 あの日の呪い1
「まだ、お正月は終わっていませんわ!」
とミーアがベッドから出てこないため、あと二話分だけシュトリナ組のお話になります。
その後、ジーナ・イーダの調べを進めていったシュトリナであったが……少々の焦りを覚えていた。
――この人……かなり手ごわい。
情報が一切出てこないわけではなかった。
むしろ、短時間にしては十分と過ぎるほど出てきていた。
本当かどうかはさておくとして、彼女が神聖図書館に流れ着いた時の事情なども明らかになってきたし、彼女が関係しているであろう疑わしい建物も、いくつか出てきた。
それらは、注意して調べなければ決してたどり着けないような情報だった。
建物にしても、極めて巧妙に隠して購入した……と見えるような……絶妙にカモフラージュされた物件であった。
しかし……。
――だからこそ、怪しく見える。注意深く調べれば出てくるようなギリギリさがあるみたい……誘導されていると気づかずに、罠にはめようとしているように見える。こちらは全力で調べて出てきた結果だと思うから、罠だとは決して気づかない。そんなふうに、情報をぶら下げられている気がする。
調べれば、調べるほどに、シュトリナは嫌な気配に苛まれていた。かつて、対峙した恐ろしい存在……。すなわち……。
――ジーナ室長の雰囲気、あの人に似てる……。
背中に、嫌な汗が流れる。
思い出すのは、あの日……蛇の廃城で対峙した、恐ろしい人のこと。
蛇の巫女姫ヴァレンティナの、あの底知れぬ雰囲気……そして、大切なものを失う恐怖。
その時に植え付けられた喪失感は、未だに、シュトリナの胸に残っていた。
――もしも、ジーナ室長が蛇だとしたら、ミーアさまだけじゃない。ベルちゃんも危ないかもしれない……。
芽生えた不安は見る間に育ち、色鮮やかな不気味な花でシュトリナの心を埋め尽くしていく。その棘が、癒えたと思っていた心の傷に刺さり、不快な疼きによって思考が歪められていく。
――ベルちゃんを、もう一度、失うわけにはいかない……。
危険な蛇は出来るだけ早く排除する必要がある。
そのためには、一刻も早く尻尾を掴みたい。
焦燥感に背中を押されるように、シュトリナはディオンを見上げた。
「ディオン・アライア……どれぐらい、リーナに付き合ってくれる?」
「さて……どれぐらい、というと?」
ディオンは一瞬、浮かべかけた軽薄な笑みを、すぐに消す。向けられたのは、思いのほか真剣な視線だった。それを真っ直ぐに受け止めて、シュトリナは言葉を続ける。
「今相手にしている蛇は、かなり注意深い。かろうじて掴めている情報も、罠である可能性がとても高いと思う。罠だとわかっている場所に、危険を承知で、リーナと一緒に行ってくれる?」
それは、当初から考えていたことだった。罠を逆用し、相手を炙り出す。けれど……相手が本当に巫女姫と同等であるならば、こちらの想定を上回る、狡猾な罠を張っているかもしれない。
いや、その可能性は非常に高い。
シュトリナは、自身もそれなりに蛇のやり方を知っているつもりだった。けれど、相手が巫女姫であるならば、出し抜ける自信はまったくない。
自分一人では、無理だ。でも……。
「僕が、否と言ったら、君は諦めるのかい?」
「それは……」
問い返された言葉に、思わず息が詰まる。
危険を承知でついてきてくれるか? と問いながらも、心のどこかでは、当然、ついてきてくれるものと、思いこんでいたと……。そう指摘されたように感じたからだ。
そうなのだ……実際のところ、ディオンがついて来てくれる保証などどこにもないのだ。
むしろ、彼の立場からすれば、シュトリナを力ずくで止めることを選ぶだろうし、そうしないにしても、シュトリナのために命を張る義理はないのだ。
――それに、よくよく考えれば、リーナは元敵だし……。こんなことを言われて、わざわざ一緒に危険に踏み込むなんて……。
っと、ちょっぴり肩を落としかけるシュトリナに、ディオンは苦笑いを浮かべて……。
「まぁ、ついていくんだけどね」
「…………え?」
思わず、ぽかん、と口を開けてしまう。そんなシュトリナを見て、ディオンは、やれやれとため息を吐き、
「なにしろ、あまり意地悪を言うと泣かれてしまいそうだしね。姫さんもそうだけど、どうも、うちのご令嬢たちは泣き虫が多いみたいだから。あまり、ご令嬢をいじめて泣かすようなことがあれば、やんちゃな王子殿下たちを小言でいびれなくなるしね」
やれやれ、っと肩をすくめるディオンに、シュトリナは思わず抗議の声を上げる。
「なっ、泣いたりなんか……」
ギュッと拳を握りしめて睨むシュトリナに、ディオンは涼しい笑みを浮かべる。
「さっ、それじゃ、行くならさっさと行こうか。日が傾く前にね」
そう言って歩き出したディオンの後を、慌てて追いかけるシュトリナであった。
神聖図書館を出て、ドルファニアの町中へ。
時刻は昼を過ぎ、午後の遅い時間へと移り変わる頃だった。もう少しすれば、空が赤みを帯び始めるだろう。
長くなった影が、壁の上に伸びている。それを追うようにして、シュトリナは小走りに進んでいく。
その背を追いながら、ディオンは、辺りに視線をやった。
特に治安が悪いようには見えない、閑静なと形容できるような街並み。こちらに殺意を向けて来る者もなければ、物騒な視線を向けてくる者もいない。
――さすがは、ヴェールガの公都、ドルファニアといったところか。無関係な賊に襲われる危険はなさそうだ。
問題は、暗殺者のほうで……。気のせいか、どこかから見張られているような気配がするような……。
っと、ふいに右手の壁が途切れた。
そこは、建物と建物との間に生じたわずかなスペース。ぽっかりと口を開けた路地は、人間一人がようやく通れるかといった狭さだった。
「本当に、この奥にあるのかい?」
問いかけつつも、ディオンの直感が告げていた。ここで、正解だ、と……。
少なくとも、この先には、意図的に隠された何かがある、と、彼の目には映っていた。
「普通に見る分には、ただの建物と建物の間の隙間にしか見えない。だから、あえて、ここに入っていく人はいない。けれど、実は、奥深くまで続いていて、道になってるというのは、よくあることよ」
地図で見なければ、誰も道だと気付かない。どこに続いているかも知られていない、そんな細い道。人々の意識に上ることがほとんどないその道の奥に、まさか古びた家屋が建っているなど、誰も思わない。
「もっとも、地元では幽霊屋敷として知られてるみたいだけど」
角を曲がること数度、迷路のような路地を通り抜け、方向感覚が怪しくなってきたところで、唐突に道が開けた。
そこに建っていたのは、なんの変哲もない家屋だった。
周囲の建物と大差ない作りで、特に目を引くこともなく、ごく自然にそこに佇んでいる。
だからこそ、人々の記憶には残りづらい物件といえた。
「ものすごく入りづらいから、ずっと空いていたところを、頭にバンダナを巻いた女の人が物置にするために買ったという話だったけど……」
「へぇ。なるほど。確かにこの建物の感じは覚えがあるな」
静かに建物を眺めて、ディオンが言った。
「以前、サンクランドで罠に嵌められた時に見た建物に、雰囲気が似ている気がするよ」
言われて、シュトリナも気が付いた。
それは、以前、粉塵爆発に巻き込まれた建物と、確かに良く似ていた。形がではない。空気感、あるいは周囲からの扱われ方、見られ方が、である。
古びたドアのほうに近づくと、当然のように鍵がかかっていた。ササッと取り出したかんざしで、素早く開錠すると、またしてもディオンが驚愕の表情を浮かべていた。
「……なに?」
「大貴族のご令嬢なのに、そんなこともできるのかい?」
「ふふふ、かの帝国最強の剣を感心させられたなら、蛇の嗜みも本望でしょうね」
「感心というか、呆れただけなんだけどね」
やれやれ、と首を振ってから、ディオンは静かに剣に手をかける。
「急ごう。あまり暗くなると、面倒だ」
二人は頷き合うと、家の中に入っていった。