第六十七話 小悪魔を武器にして
時間は少しだけ遡る。
ところで、言うまでもないことではあるのだが、シュトリナ・エトワ・イエロームーンは優秀な少女であった……基本的には。
彼女は、自分が大貴族のご令嬢であることを熟知していたし、ちょっぴり可憐なうら若き乙女であることもよく自覚していた。
かつて、ミーアのことを「小悪魔か?」などと称した、少々メガネが曇ってしまった苦労人がいたが……そんなナチュラルなんちゃって小悪魔なミーアとは違い、シュトリナは自覚的に、己が武器として小悪魔の振る舞いができる。
そんな己が武器を存分に振るい、シュトリナは情報収集に努めた。第六資料管理室の面々だけではなく、かつて、そこにいた者たちからも事情を集めていく。
若い神官には清楚で可憐なご令嬢として接し、時に可愛く無邪気な小悪魔の顔をギャップとして用いて……。さらには、年老いて図書館を引退した神官には、孫娘のような愛らしさをもって。
情報をするする引き出していく。
そんな最中、ふと視線を感じたシュトリナは、隣に立つ男ディオンに目を向けた。
「なに? リーナの魅力に見惚れちゃったの?」
っと、からかうような悪戯っぽい笑みを浮かべると……。
「いやぁ……前々から姫さんはコロコロ表情が変わって面白いなと思っていたが、君もなかなか魅力的だな、と思ってね」
魅力的という言葉に、一瞬、ドキッとしそうになるシュトリナだったが……すぐに「んっ?」と眉をひそめる。
その言葉に隠されたレトリックに気付いたからだ!
「……もしかして、リーナも面白いって言われてる?」
「ははは、見てて飽きない魅力をお持ちのお嬢さまだ、と言っているだけさ」
からかわれたと気付き、ムーっと眉をひそめるシュトリナであったが、すぐに深呼吸。息を吸って吐いて、吸って、吐いて……。蛇直伝……かは知らないが、深い深呼吸をして心を落ち着ける。
それから、思考を元に戻す。
――それにしても、ジーナ室長、やっぱり蛇だろうな……。
調べてみると、面白いことがわかってきた。
ジーナが室長になる前と後では、第六資料管理室のスタンスがまったく違うものに変質しているのだ。
それ以前までの管理室では、地を這うモノの書は、決して読んではならぬ禁書扱いだった。研究したりはせず、ただ集め、封じるのみだった。焚書にしようという時代もあったという。
だから、ジーナ以前の神官たちの中には、地を這うモノの書を実際には読んだことがない者たちもいた。
――混沌の蛇の本体が『感染する思想』だとするなら、読まないというのは正しい対処のような気がするけど……。
ともあれ、第六資料管理室は、ジーナが室長となってから変わった。
彼女の提案に従い、蛇の対策を練るために、積極的に『地を這うモノの書』を読むようになっていくのだ。
――そして、そんな事情があったなら、気付けなくても不思議はない。資料の一部が抜かれたとしても……。
誰も、資料の全容を把握していなかったのなら、抜き取るのはきっと楽なものだったろう。
――そして、それ以上に気になるのは……。
「それで、どう思う?」
問われ、シュトリナは首を傾げた。
「どう、というと……? ジーナ室長が怪しいかどうかってこと?」
「それもある……。が、もしも彼女が蛇であったとしたら、その振る舞いには、どんな意味があると考える?」
すでに、ディオンはジーナを蛇として考えているらしい。先ほどまでの軽い態度から一転、その声に含まれる真剣さに、シュトリナも表情を引き締める。
「そう、ね……」
シュトリナは、顎に手を当ててつぶやく。
「一番簡単に考えられる戦略は二つ。一つは、蛇にとって重要な情報を隠すこと。もう一つは、図書館内の神官を蛇の手先に変えてしまうこと……」
地を這うモノの書は、混沌の蛇という思想を感染させる魔書だ。そして、その思想が感染するのは、敗者、並びに踏みつけにされた弱者だ。
いかに神官と言っても、劣等感や敗北感を持たない者はいないはず。染められる可能性は十分にあるように思える。が……。
「ただ、それが上手くいった感じはしない。第六資料管理室の人たちと話した感じの印象に過ぎないけど……」
もしかすると、それには、この国のトップ、ヴェールガ公の大らかさと、公爵夫人の常人離れした精神性が関係しているのかもしれないが……。
「効果がないとは言わないけれど、期待したほどではなかったのかもしれない。それよりは、蛇にとっての貴重な知恵を神聖図書館に押さえられるデメリットを危惧して隠すように動いた……と」
そう言ってから、シュトリナは首を傾げた。
「あとは、反蛇の機運を高めていくことで、ヴェールガ公国を先鋭化させていき、思考硬直を狙うとか。蛇に対し高い攻撃性を持った体制を整えさせることで、逆に、その戦略の穴を突いたりだとか……。できることはいろいろとあったと思う」
蛇に対して、強硬な態度を取ればよいというわけでもないのだ。一つの方向に細く細く尖らせていくということは、その分、柔軟さを失い、折れやすくなることをも意味する。
奇しくもそれは、司教帝ラフィーナが陥ったのと同じ誤謬であった。
「なるほどね。まぁ、そんなところだろうな……」
ディオンは腕組みして、難しい顔をする。
「ところで、どうやって、彼女の尻尾を掴むつもりだい?」
その問いかけに、シュトリナは小さく首を傾げた。
「もしも、資料を抜き取るとして、それを隠すなら、どこにするかしら……。図書館内にそういう隠し場所が見つかれば良いと思うけど……なかった時のために、外に場所を確保していたかも……。そうじゃなくても、要人の誘拐とか、武器の隠し場所とか、毒の隠し場所とか……、そういうことに使える建物は、いくつか確保しているんじゃないかな」
「痕跡を追えると思うかい? 相手は蛇だが……」
「希望はあると思う。なにしろ……」
そこで、シュトリナは悪戯っぽい笑みを浮かべて……。
「ジーナ室長が活動を始めたのは、十五年以上前。対して、帝国の叡智が頭角を現し始めたのは、ここ数年のことなんだから」
絶対的な脅威として、帝国の叡智が認識された今よりは、少なくとも、警戒心は薄かったのではないだろうか、と考えるシュトリナである。
――それに、もしかしたら、こちらをおびき寄せる罠でも張られているかも……。もしも、そうなら、それを逆用することも考えられるのかな?
完全に痕跡を隠されることと、おびき寄せるためにあえて痕跡を残されている状態、はたしてどちらが、相手をあぶり出すのに使える状態か、と思わず考えるシュトリナであった。