第六十六話 疑心暗鬼と蛇の選択
ジーナ・イーダは、地下道でエピステ主義者の残党たちと会合をもっていた。
「うーん、捕まってしまいましたか……。計画通りには、なかなかいかないものですね」
神聖図書館が燃え落ちれば、中央正教会には少なからぬ衝撃が走る。その隙を突くことができれば、さらに、こちらに有利に事を運ぶことができるはずだったのだが……。
――クラリッサ王女に罪を押し付けるのでも良かったですけど、少々の真実を混ぜて蛇のせいにしてしまっても面白かったでしょう。そうすれば、蛇への対処法に詳しい第六資料管理室の権限が増えたかもしれませんのに。皮算用となってしまいました。残念、残念。
どちらにせよ、いろいろとできることはあったのだが……。まぁ、それはそれとして、失敗したことには特にショックはなかった……。まぁ、そういうこともあるかな、という程度だ。驚きはあったが……。
――それにしても、あれだけ上手く隠れていた者たちが、こうもあっさりと捕まってしまったことは驚きに値しますね……。迂闊な方たちだから……というだけでもないでしょうね……。
エピステ主義者たちも『地を這うモノの書』を持っている。身を隠す術も追手を撒く術も、当然、会得しているだろう。
現に、今まではヴェールガの官憲の手を逃れてきた。その目をかいくぐり、蛇の活動に勤しんできたのだ。それが、こんなにもあっさりと捕まってしまったのは、予想外のことだった。
「こちらの罠のために、実力者が離れたところを狙っての襲撃だなんて……なんともタイミングのよろしいことで……まるで、神に見放されたよう……。いえ、彼らの場合には、神は悪行を決して見逃さない、とでもいったほうが正しいでしょうか?」
口元に皮肉げな笑みを浮かべるジーナに、エピステ主義者の残党が声を荒げる。
「何を笑っている? 貴様、まさか、このことを予測していたのではあるまいな?」
「それは濡れ衣、あるいは、買いかぶりというものですよ。完全にしてやられたという感じです。恐るべきは帝国の叡智ということでしょう。さて、どうやって、こちらの動きを察知したのやら……」
つぶやきつつも、視線を男たちのほうへと向ける。彼らの誰かが裏切った……と考えるのが最も自然だろうか。
そもそも、ジーナ自身、エピステ主義者たちを生贄として神聖図書館に潜り込んだのだ。エピステ主義者の誰かが、同じように、密告によって何かしらの目的を達成した可能性もあるかもしれない。が……。
――どう考えても、地下道を利用して燃やしてしまったほうが効果が高いでしょうね。彼らは、パライナ祭を嫌っていましたし……。
とすれば……。
口角が、にゅっと上がり……その口に獰猛な笑みが浮かぶ。
「英雄とは別に、帝国の叡智も何か、こちらの悪事を嗅ぎ取る特殊な感覚でも備えているのでしょうか? それとも理詰めで考えると、なにか、放火の兆候を察知できるとか……?」
探りを入れてみた感じ、帝国の叡智はまず間違いなく、こちらを疑っている。
その証拠に、ジーナの正体を探るために、最強の手駒であるディオン・アライアと、イエロームーン公爵令嬢に調査させている。
すでに、ジーナの用意した偽情報までは到達しているようだった。
――万が一、私のことを探る者が出てきた時のために用意しておきましたけど……じきに色々と掴まれてしまいそうですね。私の出自とか、神聖典の効能についての欺瞞情報もバレてしまうでしょうか……。
一応は、例の建物に仕掛けた罠のところに誘導しているが、上手く引っかかってくれるかは微妙なところだ。
「ふざけるな、古き蛇よ。お前が、我らを呼び寄せなければ、むざむざと仲間たちを捕らえられることはなかったではないか?」
いきり立つ男たちに、ジーナは肩をすくめた。
「あら、むしろ、あなたたちには感謝してもらいたいぐらいですけど。それとも、あなた、まともに戦って、騎士神官たちとまともに戦えると? 何もなすことなく捕縛されるのがオチでしょう」
からかうように言うジーナを、男たちは睨みつける。その刺々しい視線を受け流して、ジーナは小さく首を傾げる。
――それにしても……確かにタイミングが絶妙なのはやはり気になりますね。こちらの精鋭を罠の周辺に引き付けておいて、その間に戦闘下手な者たちを捕縛するなんて、そんなこと、可能なのでしょうか? 戦力の分断は戦闘の基本ではあるでしょうけど……。
ここ最近、ジーナはずっとミーアのことを観察していた。
クラリッサと会話する様子、それに、エピステ主義者のことを話題に出した時にも……、ミーアは叡智の片鱗すら見せず、隠しおおせていた。
太平楽で能天気な、愚かな皇女。そんな印象しか受けなかったが……。
――きっと、あんなふうに、何を考えているのかわからない顔をしつつも、腹の中では高度な思考をしているのでしょうね。しかし、どんなふうに思考すれば、こちらの放火の兆候に気づけたのやら……。
ジーナは、自身の持つ蛇の知恵を用いて、同じことができるかを検討する。
――エピステ主義の連中が放火のための準備を始めた直後に捕まった。怪しまれないように、少しずつ酒を買い集めようとしていたと思いますけど……その最初期に兆候を掴まれたというのが引っかかりますね。
顎に手を当てて、ジーナはつぶやく。
「これでは、まるで私たちが放火をすることがわかっていて……怪しげな物流をピンポイントで探り当てたような……。そんな印象がありますね。最初から、狙われていた? やはり、帝国の叡智には、我々の知らない、危機を察知する力が備わっているということか……」
可能性を検証してみるが……やがて、それをも放棄して。
「いずれにせよ、彼女は危険ですし、ここはあえて、計画通りにいきましょうか。上手くいけば、帝国の叡智の戦力を大幅に低下させられるでしょうし」
それから、彼女は改めて、目の前の、復讐に燃える者たちに声をかける。
「計画通り、あなたたちは敵が罠にかかるまで待機。たぶん、あと数日でイエロームーン公爵令嬢は、あの建物を見つけるでしょう。思っていた以上に、優秀な娘のようですから」
「それは構わないが……よもや、我らをも売って、より中央正教会内での立場を確固たるものにしようとしているのではあるまいな?」
その問いかけに、ジーナは、くすくすくすっと上品に笑い声をあげ、
「それもいいですね。選択肢の一つにさせていただきましょうか」
思わずといった様子でムッとした視線を向けてくる男に、肩をすくめて……。
「そんなの、覚悟の上でしょう? あなたも蛇ならば……。裏切りもまた混沌の表れの一つ。愛おしみこそすれ、憎むのは筋違いというものです」
突き放すように言いつつも、ジーナはふと思った。
――ああ、でも、この方たちを囮にするというのは、悪くない選択かもしれませんね。帝国の叡智が私を怪しんでいるのが確実なら、いっそ殺してしまうのがいいかもしれない。彼女が死ねば、聖女ラフィーナも傷を負うことでしょうし、そうなれば堕落させることも容易いはず……。ディオン・アライアが近くにいない、この時が良いチャンスなのではないかしら?
ニヤリと口元に笑みを浮かべつつ、ジーナは思う。
――皇女ミーアを守る皇女専属近衛隊は精鋭ぞろいだというけれど、ヴェールガに気を使って、図書館内には、それほど数はいなかったはず。なんとでもなりますね。
上機嫌に頷くと、ジーナは言った。
「それでは、みなさん、頑張って悪事に勤しみましょう」
パンパンっという軽快な手拍子に背中を押されるようにして、エピステ主義者の暗殺者たちは消えていった。