第六十二話 クラリッサ王女、衝撃を受ける
ミーアとオウラニア……王族である師弟のやり取りを見て、クラリッサは衝撃を受けていた。思わず、まじまじと見つめてしまっていると……。
「あら、クラリッサ姫殿下、どうかなさいましたの?」
ミーアが、きょとん、と不思議そうに首を傾げた。それに慌てて首を振って答えて、
「あ、いえ……その……少し驚いてしまいました。ミーア姫殿下のご見識、とてもお見事です」
言った瞬間、ジワリと苦い物が胸に湧きだす。
彼女の脳内には、自国の在りようが過っていた。
革命未遂事件の際、躊躇なく金剛歩兵団の派遣を決めた父の姿……。軍隊の暴力をもって、あらゆる抵抗を抑えれば良いと考える王と、一部を除き、それに異論すら唱えることのない政府の者たち……。
権力と武力によって民を押さえつける。それが正当化される場合は確かにあるだろう。弟アベルは、まさに、その立場に立ち、あの革命事件の戦場へと向かったのだ。
秩序維持のために、それが必要な時はあるだろう。すべての秩序が破壊された、悪人どもが力によって支配するような世界よりはマシだから、と……それは正論と言えるのだろう。
また、時に王は、誰からの理解を得られずとも、正しいことのために決断を下さなければならないこともあるだろう。それが権威を与えられるということなのだから。
先ほどの、ミーアの言葉を借りるならば、即座の利益を求める者が大勢を占めていたとしても、将来を見据えて、無駄に思える支出をしなければならないことは確かにあるのだ。
でも……。
――父上は、民の理解を得ようとしたことなど、一度もない。民はただ、何も考えずに従ってさえいればいいと……なにか意見を言うのは生意気だと、言わんばかりに……。
ミーアの言った「それが良いものならば、理解を求めるべき」というのは、あまりにも強い事実だった。
だって、理解さえしてもらえれば、自発的に協力してもらえるのだから、そのほうが良いに決まってる。
怠惰ゆえに、驕りゆえに、それをしないのならば、まだ良い。けれど、やろうとしていることが、理解も賛同も得られないような、悪しきものであったなら、救いがないのではないだろうか。
民の反発に目を背け、他国からの苦言を、忠臣からの諫言を、すべて聞かずに済ませるために、武力を高めること。力づくで押さえつけるために、ひたすらに武力を求めること……。権威を掲げ、その権威を武力で補強し、自己の我欲を通さんとすること……。それは、本当に正しいことなのか……?
そんなことを考えそうになって、クラリッサは首を振った。
――私なんかが考えても仕方のないこと……。しょせん、力なき王女に過ぎないのだから……。
気持ちを切り替えるように、クラリッサはオウラニアのほうに目を向けた。
「それにしても、さすがはミーア姫殿下のお弟子さんですね。オウラニア姫殿下は、ご立派な方なのですね」
それから、クラリッサはミーアに目を向ける。
「さすがのご慧眼ですね、ミーア姫殿下。オウラニア姫殿下の才能を見出されて、弟子に取られたのですね」
っと、そんなクラリッサの言葉を聞いて、オウラニアは一瞬、ポカンと口を開けた後、くすくすと笑いだした。
「え? あの……」
戸惑いを覚えるクラリッサに、オウラニアは首を横に振る。
「いえー、ただ、私がもしも立派に見えたのであればー、それはすべてミーア師匠のおかげなんですよー。なにしろ、私、セントノエルに行く前までは、ぜんーぜん、王族としての責務なんか考えもしなかった。愚にもつかないダメ姫だったんですからー」
オウラニアは、特に恥じ入る様子もなくあっけらかんとした口調で言った。
「国や民のことなんかー、考えてもいませんでしたしー。毎日、釣りしかしてなかったんですよー?」
「つ……釣り?」
王族と魚釣りのイメージが一瞬繋がらずに、クラリッサはポカンと口を開ける。
「そうなんですー。釣りはいいですよー。嫌なこととかぜーんぶ、忘れられちゃうんですからー」
謎に熱意のこもった口調で、釣り推しをしてから、オウラニアは優しい笑みを浮かべた。
「それにー、海産物研究所の役にだって立つんですよー。すごいでしょー? んー? でも、そう考えるとー、もともと、私に見るべきところがあったというのは、確かにそうなのかしらー。なーんて」
などとおどけた様子で、チロリと舌を出し、それから、オウラニアは続ける。
「それは冗談ですけどー。まさか、趣味の釣りが、海産物研究所に繋がるなんて思ってもみませんでしたー。セントノエルに行って、ミーア師匠たちと出会って、いろいろなことを学んだ。その結果、もともと趣味に過ぎなかったものが、民の、世界のために役立とうとしているー。それが今なんですよー」
そう胸を張るオウラニアは、どこか誇らしげで……クラリッサの目にはひどくまぶしく見えた。
「そう……なんですね。セントノエルで大切なことを、学ばれたのですね」
「はいー。あ、でもー、もしもセントノエルじゃなくってー、聖ミーア学園のほうに入学してたらどうなってたかって、ちょっと想像しちゃいますねー」
「聖ミーア学園……? それは?」
聞き慣れない学校名に、クラリッサは怪訝な顔をする。
「ミーア師匠の肝いりで帝国に建てられた学校ですー」
「学校を、ご自分の力で建てた……のですか?」
驚いて、ミーアのほうに目を向けると、
「ああ、もちろん、わたくし一人でということではありませんわよ? 多くの方の協力があってこそですわ」
ちょっぴり慌てた様子で謙遜するミーアであったが、
「民草や孤児院から優秀な生徒を集めて、高度な教育を施す画期的な学校でー、それをセントノエルが真似をして、特別初等部というクラスができたぐらいなんですよー」
すかさず弟子、オウラニアがおかわりの情報を提示してくる!
「民草や、孤児たちに高等な教育を……?」
その情報は、クラリッサにとって、なにより衝撃であった。
レムノ王国では、貴族令嬢であっても識字に難のある者がいるというのに……。
「別に、その……そう驚くようなことではありませんのよ? ただ、才能の有無というのは、身分の貴賎によっては左右されないと思っただけですし」
そんな謙遜の言葉さえ、クラリッサの衝撃を和らげるには至らなかった。