第六十一話 弟子として……
――うーぬ、波が……波が、ありませんわ!
ミーアは、ほとほと困り切っていた。
クラリッサのそばに、ぷかぷかと、海月のように漂うことさらに二日……。
――手詰まりですわね……。流れがまるでない。事態が停滞しているように感じますわ。もっとも、蛇のアプローチも今のところ見えませんから、それは良いことですけど……。ふわぁむ、眠い……。
良いことにも悪いことにも、事態は動いていない……っと、ミーアの目には映っていた。
実のところ、水面下では、ミーアの親友ラフィーナとミーアの弟子オウラニア、さらにミーアの胃袋(仮)こと恋する乙女シュトリナが動いているわけだが……。三人のうち、ラフィーナを除く二名に関しては間違いなく、ミーアの承認を受け、ミーアの考えに従って働いている、との自覚を持っていたりするのだが……。
まぁったく把握せず、どうしたもんかしらー、っと……ぽけーっとクラリッサの様子を眺めているミーアである。
そんなミーアのもとへ、熱烈な弟子、オウラニアがやってきた。
「ミーア師匠ー、こちらにいらっしゃいましたかー!」
とととっと、嬉しそうに小走りで近づいてくるオウラニアに、ミーアは穏やかに微笑みを向ける。
師匠と呼ばれ、一瞬、クラリッサの前では控えるよう注意しようかと思いかけるも……。
――まぁ、今さらかもしれませんわね……。
そう思い直す。それに、オウラニアも意外と頑固なところがあるので、言っても聞かないかもしれないし……。
「オウラニアさん、ご機嫌よう」
席から立ち上がり、それから、ミーアはクラリッサのほうに目を向けて。
「クラリッサ姫殿下、こちらはガヌドス港湾国のオウラニア王女ですわ」
ミーアの紹介を受けて、オウラニアがちょこんとスカートの裾を持ち上げる。
「ご機嫌ようー、オウラニア・ペルラ・ガヌドスと申しますー。ミーア師匠の一番弟子をしています」
誇らしげに胸を張る。
……やはり、一言釘を刺しておいたほうがよかったかもしれない。
クラリッサは一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに静かな笑みを浮かべ、
「お初にお目にかかります。オウラニア姫殿下。レムノ王国第二王女、クラリッサ・レムノと申します」
「あらー? レムノということは、もしかしてー、アベル王子殿下の姉君でしょうかー?」
などと、愛想よく話しかけるオウラニアを見て、ミーアの胸に、ちょっとした感慨深さが去来する。
――そういえば、オウラニアさんにもずいぶんと手を焼かされましたわね。それが、今ではわたくしを師匠とまで慕ってくれるようになった。ふふふ、なんとも感慨深いものがありますわ。
腕組みしつつ、師匠面でうんうん、と頷いていると…・…。
「それで、ミーア師匠―、海産物研究所のことなんですけどー」
「ああ、そうでしたわね。ヴェールガとの打ち合わせは順調にいっておりますの?」
そう問いかけると、途端に、オウラニアは生真面目な顔で頷いて、
「はいー。ユバータ司教とも打ち合わせをしましてー。三つの研究所の同時設置の発表でインパクトを演出することに加えて、今後のスケジュールを披露するというのはどうかと考えていますー」
「ああ、なるほど。それは良いですわね」
今のところ、海産物研究所で具体的な成果は挙がっていない。まだ始まったばかりだから、それも当たり前のことなのだが……。
今後のタイムスケジュールを見せれば、その当たり前のことを確認させることができるだろう。
成果が出るまでには、五年、十年、長い期間がかかるだろうが……。だからと言って始めなければ何も始まらないわけで……。
「即効的な成果を求めがちな者たちは文句を言うでしょうし。だからこそ、先を見越した、長期的な構想であることをしっかりと示す必要がございますわね」
金を出す者にとって、成果は目に見える形で、それも、即座に出ないと気が済まないもの。されど、今、まさに必要なものというのは、数年前から用意し始めていたものの成果物であることも、往々にしてあるのだ。
断頭台の未来を見越して、今日まで走り続けてきたミーアである。その言葉には、実感を伴った、なんとも言えぬ重みが宿っていた。
「目ざとい商人たちならまだしも、貴族の中には無駄な支出だと文句を言ってくる者もいるかもしれませんし。あの方たちの目で見ても意味があるものだと、しっかりとアピールする必要がございますわ」
身も蓋もないミーアの言葉に、オウラニアは苦笑いを浮かべて、
「そうなんですよー。我がガヌドス王家に、帝国ほどの権力があれば、有無を言わさずに従わせることができると思うんですけどー」
その言葉の裏に、少々の危険性を嗅ぎ取ったミーアは即座に口を開いた。
「あら? しっかりと納得したうえで協力していただけるなら、そのほうが良いと思いますわよ?」
権力で押さえつけるやり方を、ミーアは最善とは思わない。押さえつけている間に反感が高まり続けるのだから、いざ力を失った時には、一気に怒りが爆発する。
その結果、ギロちんが我が物顔で闊歩する世界が訪れるのだ。なんともオソロシイことである!
それゆえに、どうしても必要ならば一時的に権力で押さえつける。けれど、その状態はできるだけ短期間とし、その間に相手の納得を得るようにしなければならない、とミーアは考える。
そして、そもそも権力を用いず、相手の納得を得たうえで協力を得るのが最上の策とも思うのだ。
なにしろ納得して協力したのだから、仮に失敗したとしても、一方的に責任を問われることはないのだ。
お前だって納得して協力したんだろう? 文句言えないよね? っと反論できるではないか。
「言えばわかる相手に、言葉を尽くさぬことは怠惰というものですわ。そして、相手が言えばわかるかどうかなど、わたくしたち人間にはわからぬのですから、いずれにせよ、言葉を尽くさぬのは、怠惰なことと言えるのではないかしら?」
「ちょっ、ちょっとお待ちくださいー!」
っと、オウラニアが慌てた様子で手を挙げると、スチャッとドレスからメモとペンを取り出した。
――あら、そんなものどこから……?
などと首を傾げるミーアの目の前で、素早くサラサラリンッと文字を書いてから、オウラニアはキラッキラ輝く瞳で見つめてきて……。
「お待たせしましたー。続きをお願いしますー」
「え? あ、ええ。まぁ、その、要するにパライナ祭も言葉と同じですわ。海産物研究所は、理解さえしてもらえれば、とても有用な施設ですし。相手の理解を軽視して、反感を買うのは損というもの。パライナ祭を通して理解を深められるのであれば、力を入れない理由はございませんわ」
「なるほどー、確かにそのとおりですねー」
ミーアの言葉に、オウラニアは深く感じ入った様子で頷きつつ、オソロシイ速度でメモに書きつけていく。
――あれ? 他には何が書いてあるのかしら……?
漠然とした不安を、ついつい覚えてしまうミーアであった。