第五十八話 ベル、窮地を脱する!
「この神聖図書館に収められている蛇関連の資料は、どうやら、エピステ主義者に関連したものが大部分のようです」
ハンネスの言葉に、ミーアは首を傾げる。
「エピステ主義者……? 名前を聞いたことしかありませんわね。確か、中央正教会の異端認定された教えでしたかしら?」
「そうですね。私もクラウジウス候として、何度か顔を合わせたことがある程度ですが……ヴェールガ公国由来の蛇として考えられています。彼らは、中央正教会の神を偽神とし、それより上位に真なる神が存在していると教えます。それゆえに、偽神が認めた王権という論理をも否定するのです」
「む? それは、つまり、現状の王侯貴族を否定するということですの?」
聞き捨てならぬ言葉に、ミーアは眉をひそめる。
「それ以前に、国という枠組みに反対しているという感じでしょうか」
「なるほど。それは、混沌の蛇と相性が良さそうですわ」
“国家という秩序”を敵視するような教理であれば「秩序を破壊し混沌をもたらす」という蛇との相性が良さそうだった。
「そして、これは当然のことながら……ヴェールガを中心とした国家群のことも心よくは思っていません。だから、彼らは既存の国家間の繋がりを強めるような働きを嫌うでしょう。例えば、パライナ祭とか……」
「まぁ! パライナ祭を……?」
突如、聞き覚えのある単語が出てきたことに、ミーアは目を見開いた。
「とすると、彼らにとっては、パライナ祭の復活をしようという、この状況は好ましくない、とそういうことですの?」
ミーアの言葉に頷いたのは、難しい顔をするパティだった。
しかつめらしく、眉間に皺を寄せてパティは言った。
「ベルお姉さまの未来予知がアテになるものだとすれば……神聖図書館炎上の記事が出てきたことと無関係ではないのかもしれないと思う。タイミングが一致しすぎるから」
「とすると、クラリッサ姫殿下の単独犯ではないということかしら……。あるいは罪を着せられたと見るべきか……。しかし、それを見抜けぬルードヴィッヒではないでしょうし……。ううむ……」
これは、考えるための糖分が不足していますわね! などとお腹で考えつつ、ミーアはハンネスに目を向けた。
「相談したい件というのは、このことですの?」
「いえ。これはあくまでも余談です。放火のほうはミーア姫殿下が対処にあたっているとのことでしたから、こちらは古き蛇の知識、並びに古代ヴァイサリアン族に関連する書籍を探していました。何冊かそれらしい書籍が見つかり、一通り目を通して見たのですが……」
「まぁ、もう読みましたの? 恐ろしい速さですわね」
ちょっぴり驚くミーアに、ハンネスは複雑そうな顔をして。
「実はちょっとしたコツがあるのです。蛇の知恵ではなく、どちらかというとそれに対抗する術だったのですが……。私が長らくクラウジウス家に伝わる『地を這うモノの書』を研究していたというのはご存知ですか?」
「ええ。そのような話を聞いた覚えがございますわ」
ハンネス・クラウジウスは『地を這うモノの書』を熱心に読みふける、蛇に心を支配された者、そんな話を聞いた記憶が確かにあった。
「地を這うモノの書は極めて危険な書物です。読む者の心を誘惑し、堕落させ、秩序の破壊者へと変貌させる。ゆえに、読んでもできるだけ心を動かされることなく、情報だけを読み取るように心がけるようにしていたのです。その結果、編み出したのがこの速読法でして……。慣れれば、一日に五冊程度は読むことができます」
頭をかきながら、ハンネスは言う。
「もっとも、感情を動かされることもないので、小説などを読む際には、適さないやり方ですが……資料の読み取りなどの時には重宝しています」
「なるほど、それは素晴らしい技術ですわ。一日で五冊も……。しかも、読んだことが頭に入っているというのであれば、さらに素晴らしい……」
ミーアは感動の目でハンネスを見てから、ふいに、ベルに視線を向ける。
図書館の地図を見て、ワクワク顔をしていたベルは、ん? と首を傾げる。
「ベル……テストで良い点を取る、とっておきの方法がございますの。それは、テスト範囲の教科書をすべて暗記してしまうことですわ!」
「……はぇ?」
急にどうしたんだ? という顔で目を瞬かせるベルに、ミーアはひどく真面目腐った口調で言う。
「ハンネス大叔父さまから、この速読法を学んで、何度も教科書を読めば……あなたも良い点数が取れるかもしれませんわ。ここにいる間に、きっちり速読法を学ぶと良いですわ」
「え? え……? あ、あはは、もう、やだなぁ。ミーアお姉さま、その冗談、面白くないですよ、もう……あ……あれ? はは、え? ジョーク、ですよね? あれ……? ミーアお姉さまはそんな酷いこと言わない……言わないって、ボク信じてます、よ? ……あれ?」
なぁんて、ちょっぴーり慌てるベルを尻目に、ミーアは話を戻す。
「まぁ、それはしっかり習得させるとして。それで、資料に目を通して、どうなりましたの? 良い資料が見つからなかったのかしら?」
「端的に言えばそういうことです。ヴェールガに収められた資料は、エピステ主義者のものが多く、ヴァイサリアンやその他の蛇に関しての資料が極端に少ないのです。だから、蛇関連の本から参考になりそうな物はあまり見つけられなそうなのです。しかし……」
微妙に歯切れ悪く言って……それから、ハンネスは難しい顔をする。
「探していて違和感があるのです。なんというか、こちらが欲しいところだけちょうど抜けているというか……肝心なところが、抜き取られているというか。あるはずものがないというか……。あくまでも感覚的なものなのですが……。そういうわけで、ベル嬢たちには、本棚の裏などに本が落ちていないか、探してもらっていたのです」
そんなハンネスの言葉に勇気を得たのか、ベルがここぞとばかりに、ドヤァッと胸を張るのであった。