第五十三話 かしましい夜はふけていき……
「ミーアさんは、ヴァレンティナさんが、放火の原因になると考えているの?」
下の段のベッドからラフィーナの声が聞こえる。
「ええ。その可能性は高いのではないかと思いましたの。もちろん、別の可能性もあるかもしれませんけれど……」
事態がはっきりしないにもかかわらず、可能性を一つに絞ってしまうのは危険なことだ。いつどこから、ひょっこりギロちんが顔を覗かせても逃げられるように備える、小心者の戦略こそがミーアの真骨頂である。
「他の可能性を排除せずに、当面は、ヴァレンティナお……うじょ殿下がなにか仕掛けてくることを警戒するつもりですわ」
「そう……。ええ、それが賢明なことかもしれないわ」
ちなみに、話をしている内に夜も遅くなったということで、ラフィーナはこの部屋に留まることになった。
もちろん、もうしばらく今後のことについて話し合うためである。当然のことである。お友だちと同じ部屋に泊まって夜通し、お話ししたいわ! なぁんて浮ついた考えは、ラフィーナには……ちょっとしかない! ちょっとはある!!
……ちょっとはあることは、認めてしまう聖女ラフィーナである。
さらに「自分は床で寝ますから」と言い張っていたアンヌは、ミーアと一緒のベッドで横になっている。
「硬い床で寝て体調を崩しでもしたら大変ですわ。これから、大変なのですから」
いざという時、アンヌが動けないのは一大事である。ミーアの中、揺らぐことのない信頼がアンヌにはあるのだ。そう……ちょっぴり食べ過ぎた際、アンヌであればなんとかしてくれるはずという、絶対的な信頼感が。
……アンヌでも、これは無理、という事態があるなどということは、想像だにしないミーアなのである。忠臣に、極めて分厚い信頼を寄せるミーアなのであった。それはさておき……。
「それで、具体的にはどうするの、ミーアさん。これから、どのように動くおつもりかしら?」
「そうですわね……。ヴァレンティナお、うじょは、クラリッサ姫殿下に接触してくると思うのですけど、いつ、どんなタイミングでというのは今のところはわかりませんし……当面すべきことは変わらないと思いますわ」
答えてからミーアは、ふと思いついて聞いてみる。
「ちなみにですけど、この神聖図書館に、まったくの部外者がこっそり入るということは可能なんですの?」
「不可能ではないと思うけど……難しいわ。ミーアさんだって、ここに入るためにユバータ司教の許可が必要だったでしょう? それに、ヴァレンティナ姫のことは、すでに知られているから、普通に考えると、とても難しいと思う」
「それもそうですわね。それに、神聖典の歌によって守られておりますしね」
神聖典に書かれた神の言葉を聞くと、蛇は拒否反応を起こして苦しみだす。だから、あの歌は、蛇を公都に近づけないための、ある種の結界の役割を果たしているはずだった。
けれど……。
「その件なのだけど……あまり、信用しすぎないほうがいいのかもしれないわ」
「あら? どういうことですの?」
ミーアの問いかけに、考え込むように黙り込んでから、ラフィーナは言った。
「確かに、最初に捕まえた白鴉のメンバー、ジェムは神聖典の言葉を聞くと苦しんでいたし、私の説教にも心底から不快そうな顔をしていたわ」
――ああ、まぁ、ラフィーナさまのお説教を聞かされるのが辛かったというのはわかりますわ。怖いですしね……。
っと、前時間軸のラフィーナの、つめたぁい視線を思い出して、そんなことを思うミーアであったが、それはさておき。
「でも、ヴァレンティナさんは……特に反応を示さなかった。部屋に神聖典を置いておいたのだけど、どうやら、それを読んでいるみたいなの」
「……蛇の巫女姫に神聖典の言葉が効かない、と……?」
「効果がある者はいる。でも、確実ではない、と。そのぐらいに思っておいたほうがいいかもしれないわ」
「なるほど。もともと、脅されて協力している者や利害の一致から蛇として行動している者もいますし、そういった者たちには効き目は薄いのかも、とは思っておりましたけど。けれど、そもそも、蛇の中核にいる巫女姫に効かないというのは問題ですわね」
「ええ。だから、ドルファニアに入ってくること自体は、ヴァレンティナさんであれば可能よ。狼使い……火馬駆がついてきているというのであれば、なおのことね。この図書館まではさすがに、とは思うけど……」
「ああ……あの方も来る可能性があるんですのね。これは、ディオンさんにも、きちんと警戒しておいていただく必要がございますわね。それと、やっぱり、クラリッサ姫殿下に接触しないよう、夜も見張っておく必要がございますかしら……」
昼だけでなく、夜も警戒が必要だろうか……。
――ふぅむ……少々、眠いですけど……。昼寝をして、夜も監視することにいたしましょうか…………明日から。
そう心に決めるミーアである。なにしろ、クラリッサのことは、アベルの将来に直結する問題なのだ。気合も入ろうというものである。
「クラリッサ姫殿下の周りをミーアさんが固めておいてくれるなら、私は別方面から調べを進めてみることにするわ。馬龍さんにも協力をお願いして……」
というラフィーナのつぶやきを聞いて、ミーアは、ぽこん、っと手を叩いて……。
「そういえば、話は変わりますけど、ラフィーナさまは馬龍先輩とはよく遠乗りに行かれているご様子ですわね」
「…………え?」
話の展開についてこれなかったのか、ラフィーナが素っ頓狂な声を上げる。
「どっどど、どうしたの、そんな急に……」
「いえ、なにやら、以前よりもずいぶんと良いご関係になっているな、と思ったものですから……わたくしが知らないうちに、いろいろと遠乗りに行って仲を深められたのかな、と……」
そうなのだ……。夕食にも、しっかりと脂たっぷり騎馬王国産のバターを食したミーアの、その恋愛脳は、ギュンギュン唸りを上げているのだ!
「もしや、ラフィーナさまは、その、馬龍先輩と……」
「ちっ、ちが……! そんな、恋人だなんて……」
あわあわわ、っと、ちょっぴり上ずった声が返ってきた!
「あら……わたくし、恋人だとは、一言も……」
「なっ……ぁっ!」
ラフィーナの、なんとも言えない声が聞こえてきて……。
……その後、口を挟みたくってうずうずした様子のアンヌも交えて、三人のご令嬢たちは、楽しくもかしましい夜の時間を過ごすのであった。