第五十一話 ミーア姫、バレちゃった……
その頃、オウラニアと、ヤナ、キリルは、ヴェールガ公国の司教会議に参加していた。
ラフィーナの父、オルレアンを議長とする会議には、ヴェールガの主だった司教たちが揃っていた。
――これは、ちょーっと緊張しちゃうかもー。
っと、そんなオウラニアを応援するように、両隣に座る二人の子どもたちが、ギュッと手を握ってくれた。
――ああ、うん、大丈夫よー。私は、ミーア師匠の弟子なんだからー。
安心させるように小さな微笑みで答え、オウラニアは顔を上げた。
そんな、気丈な姫殿下の様子を、司教たちはしっかりと見ていた。
迫害者の国、ガヌドス港湾国の王女と被迫害者であるヴァイサリアン族の子どもたち。
その両者の見せる穏やかで、平和な光景――それが演出であることも、当然、予想はできたが、それでも、子どもたちの顔に偽りは見えない。
ゆえに……司教たちは、そっと肩の力を抜く。
彼らは、裁くために、ここにいるのではなかった。
ただ「民を安んじて治め、隣人と共に平和を地に築け」という神の命令を実現するために、彼らはいるのだ。
「オウラニア姫殿下、あまり緊張なさらぬように。こう言ってはなんだが、貴女は、我が娘、ラフィーナの友人だ。緊張を強いるようなことになっては、後で私が娘に叱られてしまう」
オウラニアの緊張を解こうとしたのか、どこかお道化た口調で言うのは、議長オルレアンであった。気さくなその言葉に合わせて、周囲の司教たちも優しい笑みを浮かべた。
人は、神の前に膝を屈める時、相応の厳粛さを求められるものである。されど人間が、自身の前に立つ者にその厳粛さを求める時、その人間は傲慢の罪を犯している。
人は神ではないのだから。
ゆえに、司教たちは無意味な厳粛さを求めるのではなく、合理的な効率を求める。
年若き姫と子どもたちが話しやすいように場の空気を和らげることこそが、現状で優先されることであった。
そして、ガヌドス港湾国の状況を聞き、必要な助けを送ることこそが、最も重要なことなのだ。
「それでは、聞かせてもらおう。ガヌドス港湾国の状況を。すでに隔離政策は撤回されたと聞くが、ヴァイサリアン族の受け入れに問題はないだろうか」
その問いかけに、静かに頷いて、オウラニアは言った。
「今のところ大きな問題はありませんー。もちろん、小さな諍いはたくさんあるみたいですけどー、ヴェールガの使節の方たちの監視のおかげで、致命的なものはありませんー」
「報告は受けています。難しいかじ取りをなされているようですな」
その言葉に、深々と頷き、けれど……。
「でもー、たぶん、大丈夫だと思います」
オウラニアは静かに否定する。
「ほう、それはなぜでしょうか?」
「ミーア師匠……いえ、帝国のミーア皇女殿下がー、すべて準備を整えてくださいましたからー」
それから、オウラニアはそっと目を閉じ、祈りを捧げるように手を組んで……。
「過去は、もう変えられませんー。けれど、未来に希望の灯火が輝いていれば、人は顔を上げて前を向くことができるのではないでしょうかー」
そう言って、彼女自身が顔を上げる。演出と見まごうばかりの、完璧な仕草。されど、それが単なる演出ではないことが、その澄んだ瞳から窺えた。
「海産物研究所は、誇らしい仕事ですー。どのような状況であっても民が餓えぬよう、どこの国であっても子どもたちが餓えぬように、と。帝国の叡智の目指す未来の一翼を担えることほど、誇らしいことはないはずですー。そのような勤めに携わることは、閉じこめられ、誇りを奪われていたヴァイサリアン族の輝かしい誇りとなり得るでしょうし、彼らが集めた敬意は、彼らの身を護る盾となるでしょう」
「誇りを生きる糧とし、敬意を身を護る術とする……。そのすべては、ミーア皇女殿下の意向であると」
「ええ、すべて、我が師、ミーア・ルーナ・ティアムーンの策によるものですー。私はただ、それを実行に移しているだけですからー」
そうして、オウラニア自身も誇らしげに胸を張る。輝かしき務めについているのは、ヴァイサリアン族だけではない。彼女自身もそうなのだ、と無言のうちに宣言するかのように。
「なるほど……策と聞くと、我らはあまり良い印象を抱かぬものですが……ミーア姫殿下の叡智は、良き策謀を企てるもののようだ」
オルレアンの言葉に、答えるものがいた。
「まさに、その通りです!」
スチャッと立ち上がったのは、今や、熱心なミーア支持者と化したユバータ司教であった。
「我ら人間は思考する者。与えられた知恵は使うためにある。論じ合い、策を講じ、より良い未来を築くことは、至極当然のこと。そして、ミーア姫殿下のなさりようは、まさにそのようなものです」
それから、胸を張って、ユバータ司教は言った。
「帝国の聖ミーア学園や、セントノエルの特別初等部のこともそうですが、あの方は、神聖典が語る、理想を体現したような方です」
神聖典の正しさを担保する神聖図書館、その館長の言葉に、司教たちは嬉しげな笑みを浮かべた。
「蛇との戦いの最中に、そのような素晴らしき指導者の登場は、我らにとって喜ばしきことだ」
そのように意見の一致を見た。
疑義を呈する者もいないではなかったが、ミーアの功績とユバータ司教、さらには、遠方の地、セントバレーヌよりルシーナ司教からの書状の前には、さほど声は大きくならなかった。
そもそも疑義を唱えた者自身、物事に対しては常に慎重であるべきという立場を表明したに過ぎなかった。
かくてここに、帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンは、大陸に敷かれた強固なる秩序、中央正教会の承認を事実上得(にその存在がバレ)ることとなった。
「我が娘、ラフィーナも、彼女の友となれたことを喜んでおりますよ」
最後に、議長オルレアンがニコニコしつつ、そんなことを言い、終始、司教会議は和やかな空気のまま進んでいった。
さて、司教会議を終えて、オウラニアたちは神聖図書館へと戻って来た。
「二人ともー、疲れたでしょうー?」
「ううん、平気です。オウラニア姫殿下」
そう言うキリルだったが、ちょっぴり眠たげに目をこすっている。ヤナのほうも、さすがに少し緊張して疲れたのか、あくびをしていた。
「ふふふ、ディナーまでは少し時間があるでしょうからー、部屋で休んでいるといいわー。一緒に行きましょうー」
そう言って、歩き出そうとしたオウラニアであったが、前方、部屋から出てきた人物がふと、視界に入って来た。
なにか嬉しいことでもあったのだろうか……。その女性は口元に笑みを浮かべていた。目元は……よくわからない。なぜなら、彼女の目元はベールに覆われていたからだ。
その女性は、オウラニアと二人の子どもたちを見て、ほんの一瞬だけ足を止め……けれど、すぐにすれ違うように行ってしまった。
――あらー、今のってー。
女性に視線をやってから、オウラニアは小さく首を傾げて……それからヤナとキリルに目をやって……。
――あのベールってー、額を隠してるのかしらー?
そんなことを思うのだった。