第五十話 ミーア姫、ギュンギュンする!
さて、乗馬を終え、荒嵐を厩舎に連れていく。
「まったく、相変わらず、なかなかの暴れ馬ですわね、荒嵐。実に良い運動になりましたわ。ここにいる間はたっぷり付き合ってもらいますわよ?」
ミーアの言葉に、荒嵐は、ぶーふっと鼻を鳴らす。
「しかし……すっかり荒嵐にかかりきりになってしまって、クラリッサお義姉さまとは、あまり仲を深められなかったですわね。どうしたものかしら……」
まだ、会って一日とはいえ、ここにいつまでいるかはわからない。それに、いつ火をつけようなどと考え出すかはわからないわけで……。
「まぁ、今日の乗馬で少しはスッキリしてくれればよいのですけど……というか、そもそもの話、もしも、この図書館を燃やそうと思うならば、それなりに準備が必要になるのではないかしら?」
乗馬で頭がスッキリしたミーアは、ちょっぴり冴えていた!
甘い物がいい具合に脳みそに回り、ギュン、ギュギュン! っと唸りを上げて行く。
「それこそ、死傷者が出るような炎というのは、それなりに準備が必要な気がしますわ。確かに古い本というのは、よく燃えそうではありますけど……それだけで、そこまで大きな火事にはならないのではないかしら……?」
しかも、図書館の重鎮、ユバータ司教が亡くなるような火事なのだ。
無人島でのプチサバイバルや、シオンとのレムノ王国潜入において、ミーアは経験している。火というのは……意外とつけるのが難しいもの。それを燃え広がらせようと思ったら、余計に工夫が必要だ。
――この神聖図書館だって、そう簡単に燃えるような建物とも思えないですし……やはり、下準備が必要じゃないかしら。油かなにかが必要な気がしますわね……。油、油、あぶら……あ、脂!?
ミーアは、ハッと口元を押さえて……。
「まさかっ! 騎馬王国の脂たっぷりバターを使ったとか……!?」
ミーアの脳みそが冴え渡り……渡り……? いや、冴えてるのか、これ?
そんな疑問の声を否定するように、ミーアは小さく首を振った。
「確かに、騎馬王国のバターには脂が多く含まれていそうな気がしますけど……。違いますわね」
ミーアはすぐに自身の推理の突拍子のなさに気付いてしまう。突拍子のなさに気付く程度には、ミーアは冴えていた。
そうなのだ! 今日のミーアは、本当に冴えてっ……!
「あんなに美味しい物を、火をつけるために使うだなんて、あり得ないことですわ! バターは美味しく食べなければ!」
…………っと、そこへ……。
「やぁ、お疲れさま、ミーア」
馬を引いたアベルがやってきた。
「相変わらず、見事な乗馬だったよ」
「まぁ! アベル、ふふふ、お上手ですわね」
どうやら、馬の手入れでもしようとしていたらしい。その手には、ブラシが握られていた。
――あ、そうですわ。ここならば、人もおりませんし……クラリッサ姫殿下のこと、相談してみようかしら……?
乗馬を通じて多少は話はできたように思うのだが、いまいち、彼女が放火するような人間なのか、判断がつかない。ここは、弟であるアベルから聞くのが手っ取り早いだろう。
「実は、あなたにお聞きしたいことが……」
っと、そんなミーアの言葉を遮るように、アベルが手を挙げた。
「その前にお礼を言わせてくれ」
そう言って、アベルは深々と頭を下げた。
「ありがとう、ミーア。クラリッサお姉さまのこと、改めてお願いしたい」
それから、とても真面目な顔で、
「あと、これは、君にも聞いておいてもらいたいことなんだが……クラリッサ姉さまには、今度のパライナ祭を成功させて自信をつけてもらいたいって思っているんだ」
「自信を……? まぁ、確かに、もう少し堂々となされば良いのに、とは思っておりましたけれど……」
と言うと、アベルは優しい笑みを浮かべた。
「クラリッサお姉さまのことを、個人として心配してくれてありがとう。もちろん、それもあるんだけど、姉上には、王女として、共にレムノ王国の問題を解決するために、立ち上がっていただきたいと思っているんだ」
「解決すべきレムノ王国の問題、ですの?」
「ああ、そうだ。レムノ王国には、悪しき風習がある。女性を軽視するという悪しき風習がね……」
アベルは、そうして視線を落とす。自らの手のひらをジッと見つめながら、絞り出すように言った。
「ボクは……あの日、シオンに言ったことの責任を取らなければならない」
穏やかな、決意のこもった声で、アベルは続ける。
「革命騒動で剣を交えた時、ボクは言ったんだ。腐っていたとしても王権は必要だ、と。腐っているとするなら、それを正すのがボクの役目だ、と……友への言葉を偽りとせぬために……そして」
アベルが顔を上げる。
「君に相応しい者となるために。ボクは、レムノ王国にある問題を解決しなければならない」
決意のこもった言葉、真っ直ぐに自身に向かう澄んだ瞳に、ミーアの胸がトックゥン! っと高鳴った。
――あ、ああ、アベル、そんな急に……。相変わらず心臓に悪いですわ!
なぁんて、恋愛脳をギュンギュン言わせるミーアに、アベルは続ける。
「そして、クラリッサ姉さまには、ぜひ、その件に協力してもらいたいんだ」
「なるほど、そういうことなんですのね……んっ?」
その時……ミーア、閃いてしまう!
――あっ……これって、もしかして……。
その脳裏に……ある一節が甦る。
レムノ王国第二王子、アベル・レムノ廃嫡の文字が……。
――あの図書館で見かけた歴史書……。もしかして、あの記述の世界のアベルは、レムノ王国の女性軽視の問題を解決するために立ち上がり、その結果、王国政府と決別することになったのではないかしら?
アベルのこの想いが、あの革命騒動の時の、シオンとのやり取りに起因するものであるならば、それは十分に考えられることだった。
――そして、その世界においては、たぶん、クラリッサ姫殿下には頼れなかった。あるいは、助力を求めたけれど断られたか……。
今のクラリッサを考えれば、どちらもあり得るように思えた。
――いずれにせよ、アベルは一人で戦わざるを得なかった。だとすると、もしかすると、クラリッサ姫殿下を頼れる味方にできるならば……あの未来も変えられるのかも?
今日のミーアは、本当に、冴えているのだ。本当なのだ!
「ミーア?」
不思議そうに見つめているアベルに、ミーアはハッとした。
「え? あ、ああ、ええ、そうですわね……。うん」
小さく頷きつつ、ミーアは考え込んでしまう。
――しかし、参りましたわね。完全に、放火疑惑のことを話す機会を逸してしまいましたわ。いえ、あるいは、逆に言わないほうが良いことかもしれませんわ。
もしも、クラリッサに“共に立ち、難局に立ち向かう者”となることを期待するのであれば、彼女を疑うような要素をアベルに与えるべきではないかもしれない。
――そもそも、まだ犯行は起きていないわけですし……。
今ならば、クラリッサの胸にあるのは……あるとすればだが……小さな、不確定の動機のはず。それは、いうなれば、小さな種に過ぎないもののはずなのだ。
――凶行の種が蒔かれる前に、彼女の手から種を奪い取る……。そうすれば、すべて解決ですわ!
ミーアはグッと拳を握りしめて、アベルに目を向ける。
「よくわかりましたわ。わたくしもできるだけのことをいたしますわ!」
気合の入った声で言うミーアであった。