第百二十七話 約束は果たされん……
――あ、あら? おかしいですわね……。
目の前で展開される状況に、ミーアは首を傾げていた。
――わ、わたくし、言いましたわよね? アベル王子にお会いしに来たって……。エリスの物語では、こういう時は、こう……、ギュっとして、いい雰囲気になって、それで解決になるのではなかったかしら……?
だからこそ、ミーアは両腕を大きく広げて、アベル王子を抱きしめる準備をして待っていたというのに……。
なぜか、話の中心はミーアではなく、アベルとシオンの二人に移ってしまっていた。
――ああ、こんなこと、以前もございましたわ。確か、剣術大会のお昼にサンドイッチを食べていた時ですわ。あの時も、わたくしを置き去りにして、お二人で話を進めてしまって……。
「我が国の街道は、広く、平らにならしてある。そこならば、戦いの場所として不足はないだろう」
そうこうしている間にも、シオンとアベルは歩き出していた。
「アベル王子! お待ちになって、決闘なんて、そんなっ!」
ミーアは大慌てで、アベルのもとに走り寄ろうとしたが、寸でのところで、ベルナルドに止められた。
「ベルナルド、特別に君に命じる。彼女、帝国のミーア姫殿下のそばで彼女を守れ。決して、彼女に傷一つつけるな」
「よろしいのですか?」
「姫にはボクとシオン王子の決闘が正当なものであったと証言してもらわなければならない。レムノでもサンクランドでもない、彼女の言葉ならば、サンクランド国王も文句は言うまい」
「ダメですわ! アベル王子、そんなのっ!」
「君とはもっと違った形で再会を喜び合いたかったところだが……もっと……」
アベルは小さく首を振って、自嘲の笑みを浮かべる。
「はは、未練がましいな、我ながら……」
まるで、その気持ちを断ち切るかのように、アベルはミーアから視線を外して……、
「アベル王子っ!」
二度と、その声に振り返ることはなかった。その視線が向かう先に立っていたのは、一人の少年だった。
「ミーアの言葉は、届かなかったか?」
「たとえ相手が誰であれ、止まることはできないさ。君ならばわかっているはずだ。シオン王子」
「腐った王権のために殉じるか、アベル・レムノ」
「それでも、なお王権は必要なのだ。秩序なき世界ではより多くの民衆が苦しむことになる。腐っていたとしても王の剣は必要なのだ」
もしも王族も貴族も、すべて一掃してしまえば治安は荒れ、賊が跋扈する。
「もし、権力が腐敗しているというのであれば、それを正すのがボクの役目だ」
決然と言い放ち、アベルは静かに剣を抜いた。
「それでも、お前たちが民を踏みつけにすることを見過ごすことはできない」
そのためには、自国の介入も辞さない。腐った権力者を廃し、新たな統治機構が動き出すまで、自国がその役割を担うことをも視野に入れたシオンと、レムノ王家に属するアベルの見解は、どこまで行ってもすれ違う。
「もし、お前が民を虐げることに加担するというのなら、ここで我が剣の前に散れ、アベル・レムノ」
鋭い視線でアベルを睨みつけて、シオンが剣を抜いた。
いつぞやと同じ、アベルは頭上高くに振り上げた、攻撃的な上段の構え。
対するシオンは、だらりと腕を垂らし、後の先を狙う下段構え。
「あの時と同じになるとは思わぬことだ。今日の俺には油断はない」
「思わないがね。もっとも、もとよりボクが君相手にできることは一つきりなのでね」
次の瞬間――先に仕掛けたのは…………シオンだった!
奇襲っ!
低い態勢のまま、一足飛びにアベルの懐に飛び込む。
敵の攻撃を待つことを基本にしているシオンの先制攻撃。それは、確実にアベルの意表を突いた。
狙いは当たった。その不意打ちにアベルは一歩後ろに下がり、姿勢を崩す。
けれど――上手くいったのはそこまでだった。下がりながら放たれた迎撃の斬撃が……、その鋭さが、シオンの予想を上回ったから。
「ぐっ!」
振り上げた刃で重い一撃を受ける。と同時に一歩後退、衝撃を殺す。
「万全の姿勢でなくともこの威力か。まともにやられたら、どんな威力になるのかな」
さらにもう一歩下がって、間合いを開ける。
「なるほど……、再戦のために鍛錬を積んでいたのは、俺だけではなかったということか」
「天才の君を上回ろうというのだ。気合も入ろうというものだよ。なにしろ、ボクは不器用なものでね」
構えを取り直したアベルは、今度こそ攻撃に打って出る。
「努力は買おう。だが、簡単にくれてやるほど、安い首だと思うな」
力強い踏み込みから、流れるような動作で繰り出された剛撃、それをシオンは剣を傾けて受け流す。
刃の上を火花が散り、受け止めきれなかった衝撃に、腕に切り傷が走った。けれど、
「はぁっ!」
直後、ついにシオンの斬撃が走る。
剣術大会の日にも一度として見られなかったシオン本来の返しの剣。
それは正確に、鋭く、アベルの脇腹を切り裂く。が……、
「はぁあああっ!」
気合の声をあげながら、アベルは肩口から、シオンに体当たりをくらわせた。
「……くっ、あえて近づくことで、間合いを外すか。やるじゃないか、アベル・レムノ」
「そちらこそ……。間合いを殺さなければ、今のでやられていたところだよ。鎖帷子を軽々と切り裂くとはさすがだね、シオン王子」
血が滲む脇腹を軽くたたきつつ、アベルが笑った。