第四十四話 シュトリナは、悩んでいた!
さて、ミーアたち、三人が話し合いをしていた時のこと。
ディオンとシュトリナは神聖図書館の中を見て回っていた。資料を調べるためではない。建物の構造を調べ、警備に不備がないか確認しているのだ。
「別についてくる必要はなかったんだけど……」
やれやれ、と肩をすくめるディオンに、シュトリナは可憐な笑みを浮かべてみせた。
「あなたのような剣呑な人が一人で歩いていたら、ヴェールガに警戒心を抱かせてしまうでしょう? せっかくミーアさまが、ラフィーナさまと良い関係を築いているのだから、それを台無しにすることはできないし……」
そう言いつつも、シュトリナはディオンの顔をチラリと横目で眺める。
――うーん……どうなんだろう?
突然だが、シュトリナは悩んでいた。
それは、ドルファニアへの途上、馬車の中での出来事が原因だった。
「そういえば、リーナちゃんの恋バナって聞いたことありませんね」
天秤王並びに忠臣キースウッドの良さと冒険の相似関係について、独自の理論を熱弁していたベルは、ふと思いついたといった様子でシュトリナに言ったのだ。
「リーナの、恋バナ?」
きょとりんと首を傾げるシュトリナに、ベルは大真面目な顔で頷く。
「はい。お友だちとして、ボク、すごく気になります。ディオン将軍となにかないんですか?」
そんなことを聞かれて、シュトリナは、実に嫌そうな顔をした。
「特になにもないよ。そもそも、ディオン・アライアのことなんか、特になんとも思ってないし……」
「ええー? じゃあ、リーナちゃんの好みのタイプの男性ってどんな感じなんですか?」
「え? それは……」
っと、腕組み。しばし、考えてみて……。
――っていうか、好みのタイプってなに?
そんなこと、今まで考えたこともなかった、ということに気付かされてしまったのだ。
元より、蛇として育てられた身だ。恋愛など望むべくもないことと思っていたわけで……。だから、おとぎ話の王子さまや格好いい騎士さまに対する憧れなどというものを、彼女は持ち合わせていなかった。
それに、舞台役者に対する憧れなんかもないし……。
――ミーアさまみたいに、セントノエルの生徒同士、とか……?
シュトリナは、試しに同級生の男子学生を思い出してみる。その誰もが、どこの国の、どの貴族かは頭に入っていたし、家の状況なんかもわかっていた。だから、政略的に有利だとか、国に対して影響力を行使するには、どの相手が良いのか、などはよく理解できていた。
ついでに、どんなふうにアプローチすれば、相手の心を掴めるかなども、大体は把握できていた。ちょろいお子さまばかりだ。むしろ、ディオン・アライアこそが、最も容易ならざる相手と言えるだろう。よりによって、なぜ、あの厄介な相手なのか! と主張したいシュトリナである。
――そういえば、バルバラの指示で、新入生歓迎ダンスパーティーの相手は選んだんだったっけ……。それって、恋バナ……には、やっぱり使えないかな。
さすがに、ベルが求めているのは、そんなものではないだろう。
わざとダンスが不慣れなふりをして、
「あまり社交界には慣れてないので……」
とかなんとか言って相手の優越感をくすぐってみたり、相手が飲み物を持ってきてくれた時に、動きをなにげなく眺めながら、『ああ、隙だらけだからいつでも毒とか入れることができそうだな』と思っていたりだとか……。
たぶん、そういう話が求められているのではないことは、シュトリナにもわかっている。偽りでも良いのだったら、それっぽい恋バナをでっちあげることもできるが……。ベルに対してそんなことはしたくないし、する意味もない。
ということで……シュトリナは、思わず悩んでしまう。
――あれ、リーナって、楽しくベルちゃんとできるような恋バナがまったくない……?
そうして、彼女は深い思考の中に沈み込んでいく。
――もしかして、自分で気付いていないだけでルヴィ・エトワ・レッドムーンみたいに、ちょっと変わった趣向がある、のかも……?
試しに、頭の中に大男を思い浮かべてみる。筋骨隆々の、屈強な大男を思い浮かべて……。
――う、うーん……?
正直、良さがわからない。これならば、まだ、イエロームーン家の執事のほうが、格好良さがわかるというものである。彼は、渋くて、格好いいと言えると思う。まぁ、それとて、恋愛対象にはまるでならないのだが……。
――こっ、恋バナ……難しいかも……。
愕然とするシュトリナにベルは言ったのだ。
「じゃあ、気になる人とかいないんですか?」
「気になる人……ねぇ」
恋愛的に、という条件を外せばいないでもなかった。
例えば父親。さすがに、甘い物を食べ過ぎて健康を崩しそうだと気になっている。ミーアにも同様の心配をしているが、ともあれ、気になる人といえばそう言えるだろう。
また、サフィアス・エトワ・ブルームーン。婚約者を使って脅せば、簡単にミーアを裏切りそうなので、危なくないかなぁ、といつも気になっている。
他にも、いろいろな意味で気になる殿方というのはいないではない。
そして、そんな中で、もちろん、ディオン・アライアも気になる人といえば気になる人なのだろう。
なにしろ、もとは最強の敵だ。蛇として、ミーアと敵対するならば、絶対に避けては通れない恐ろしい敵だった男。未だに、変な行動をしたら、容赦なく殺気が飛んでくるような男だ。
気にならないといえば嘘になる。
――でも、ベルちゃんが言ってるのは、そういうことじゃないんだろうな……。
これは、パラダイムシフトが必要かもしれない……っと、シュトリナは思考を切り替える。
――リーナの好みのタイプを聞きたいということなら、きっと魅力的な条件を提示していって、それに当てはまる相手が好みのタイプということなんじゃないかな。
そうして、シュトリナは、頭の中に条件を提示していく。
どんな時でも、ベルを守れるだけの腕っぷしがあるのが望ましい。蛇の暗殺者と最低限、戦えるぐらいの強さが欲しい。
それに、家柄が面倒くさくない貴族、ないし平民が良い。
ある程度は、シュトリナの自由にさせてくれる懐の深さも欲しい。
顔は、そこそこで大丈夫。あまり良すぎると、それはそれで面倒そう。
それに、イエロームーン家の権力に、あまり興味がない人物……。
などなどなど……。そうして、検証を重ねた結果っ!
――あ、れ……? そう考えると、意外とディオン・アライアは好条件かも……?
恐るべき事実に気付いてしまうシュトリナであった!
っということで、図書館について以来、なんとなく、ディオンのことが気になってしまうシュトリナである。
――リーナの好みのタイプ……。んー。
などと、うつむき、物思いに耽っていると、ふいに肩を掴まれる。
「きゃっ!」
後ろに引かれ思わず悲鳴を漏らしかける。いったい何が、と隣のディオンに目を向けると……思いのほか鋭い、凛々しい目つきで前方を睨む彼がいて……。
心なしか、その姿が、ちょっぴり……ほんのちょっぴりだけ……格好よく感じてしまったシュトリナであった。