第三十九話 ……あれ?
荒嵐との乗馬エクササイズを頑張ろう! と、やんわりと心に決めたところで、ミーアはふと気付く。
――あら、クラリッサお義姉さま、なんだか、少し表情がお暗いような……。
先ほどまでは、緊張した様子を見せていたクラリッサだったが、今は、その表情がわずかばかり暗かった。緊張とは違う硬さというか、こちらを拒絶するような表情と言うか……。
なにか、怒らせるようなことを言ってしまったかしら? と、少々不安になりつつも、ミーアは口を開いた。
「どうかなさいましたの? クラリッサお……うじょ殿下……」
話しかけると、ハッとした顔をして、クラリッサは首を振った。
「いいえ、なにも……」
短く一言。それだけしか答えてくれない。
これはいよいよ変だぞぅ、っと思うミーアであったが……、アベルのほうに目を向ければ……特に変わった様子はない。
――ふぅむ、よくわかりませんけれど……。まぁ、かつてのオウラニアさんのように、扉を閉ざして、一切顔を合わさないように、なんてことはされないでしょうし……。
まだ、クラリッサとは会って間もないのだ。あまり、ぐいぐい距離を詰めないほうがここは良いのではないか。
――幸い、ここにいる間はたくさん機会があるでしょうし。アベルも協力してくれるでしょうから焦る必要はございませんわね。
あえて余裕の態度で笑みを浮かべて、それからミーアは言った。
「では、わたくしは部屋に戻って、少し休もうと思いますわ。クラリッサ姫殿下、それに、アベルも、また後ほど」
そう言って、ミーアとラフィーナは部屋を後にした。
廊下で待っていたのは、先ほどユバータ司教と共にいた司書神官だった。
「それでは、ご案内いたします。ラフィーナさまには特別なお部屋を……」
っと、青年の言葉に、ラフィーナは清らかな顔で首を振った。
「いえ……。ここは、ヴェールガの神聖図書館。王侯貴族に民草に、いかなる立場でも、等しく同じ客室に泊まることになっているはずよ」
それから、ラフィーナはミーアのほうに目を向け、
「こちらの我が友、ミーア姫殿下も特別な部屋を求めたりはしないでしょう。私が、友よりも良い部屋を求めると思うのかしら? 私も、ミーアさんたちと同じ部屋に……ううん、むしろ、ミーアさんたち一行と同じ並びの部屋にしてもらえたほうが却って嬉しいぐらいよ」
そんなラフィーナの清貧かつ謙虚な言葉に、司書神官はひどく感動した顔で、
「かしこまりました。では、そのようにさせていただきます」
深々と頭を下げた。
こうして、まんまとミーアたちと近くの部屋を確保したラフィーナは、再び図書館内でのパジャマパーティーへの道を切り開いたのだ! ……あれ?
さて、宿泊用の客室に入ったミーアは、中を見て、まぁ! と思う。
「おかえりなさい、ミーアさま」
笑顔で出迎えてくれるアンヌ。どうやら、部屋は二人用らしく、机が二つ、右の壁と正面の壁沿いに据え付けられている。
それは良いとして、ミーアが気になったのは部屋の左側にあるベッドだった。
そのベッドは、上下二段になっているタイプのものだったのだ。
「これは、なかなかに楽しそうですわ。アンヌ、わたくしが上を使ってもよろしいのかしら?」
「はい、もちろんですけど……その、落ちないでくださいね」
「まぁ、ふふふ。問題ありませんわ。わたくし、寝相は良いほうですもの」
なぁんて笑うミーアである。
ちなみに、これについては本当である。一度、眠ると、打ち上げられた海月のように、あまり動かないと定評があるミーアである。
そんなわけで、ミーアはひょいひょいと梯子を上り、早速ベッドに横になってみる。
「おお! これは。ふふふ、天井が近いですわ」
すぐ目の前、手を伸ばせば届きそうな位置に天井があった。それから、ミーアはアンヌのほうを見下ろして、ベッドのちょっとした高さにニコニコする。
――ふふふ、これは……なんともワクワクしますわね!
なぁんて、上機嫌に笑うミーアである。
そうなのだ。たまに忘れがちになることではあるのだが、こう見えてミーアの中身は大人のお姉さんなのだ! …………あれ?
「ああ、こうしていると、幼い頃に戻ったような気がしますわね」
ミーアは、童心を常に忘れない、大人のお姉さんなのだ。たぶん。
そうして、改めて天井を眺めていると、ふいに、木と木の切れ目が気になるミーアである。
――ふむ、これ……パカッと開いたりして、ベルがふってきたりしないかしら……? と言うか、あの子……抜け穴探しとか言って天井を押したり、叩いたりしてないかしら……?
少々の、不安感を覚えるミーアである。
「ところで、ミーアさま、ハンネスさまが今後の打ち合わせをしたいとおっしゃっていたのですが……」
「ああ、なるほど、そうですわね。いろいろとやることもございますし、手分けする必要もあるかしら」
目を閉じること、一、二、三秒。
足をぶんっと振って、ミーアは起き上がり……。
「では、参りましょうか。サロンかなにか、あればよいのですけど」