第三十七話 ミーア姫、しゃっきりする!
「ところで、クラリッサ姫殿下は、なにを読んでいるのかしら?」
小さく首を傾げるラフィーナ。その視線の先には、机の上に置かれた本があった。
「はい。実は、レムノ王国がパライナ祭に提供できるような技術はなにか、と悩んでいまして。アイデアはないか、と、前回のパライナ祭のことを調べておりました。前回の祭りで、レムノ王国がどのような技術を披露したのか。それに、他の国々の様子も知りたいと思ったので……」
「なるほど、良い着眼点ですね」
感心したように言うラフィーナに、クラリッサはなぜか、恥じ入るようにうつむいて……。
「……弟の……アベルの助言に従っただけです……私の手柄ではありません」
そう言って、チラリとアベルに視線を向ける。アベルは苦笑いを浮かべて、
「ミーアと一緒に、生徒会選挙の時に公約を作った経験が生きたよ」
「ああ、過去のラフィーナさまの公約に学ぶ、というやつですわね。なるほど、そんなこともございましたわね」
なんだか、ちょっぴり懐かしくなってしまう。
同時に、ミーアは思い出す。
――ふむ、そういうことならば、わたくしもお役に立てますわね。なにしろ、わたくしは、あのラフィーナさまと真っ向から戦い、選挙戦を勝ち抜いたのですから!
……なんだろう……、ミーアの中で、なにかこう、重大な記憶の改ざんが行われたような気がしないではなかったが……。それはともかく……。
ミーアは、自信満々の笑みをクラリッサに向ける。
「そういうことであれば、わたくしも協力いたしますわ」
ここがアピールのしどころ、とばかりに、ミーアはドンッと胸を叩く。
「え……? 協力って……」
目を瞬かせるクラリッサに、ミーアは力強く頷いて……。
「こういったことは、いろいろな人間の視点を入れたほうが、意外とスムーズに出来上がるものなんですのよ? わたくしの時にも、アベルが手伝ってくれて、とても助かりましたし。あの時の恩返しと言うのではありませんけれど、パライナ祭を成功させたい気持ちはわたくしも同じ。ここは、是非とも、アイデア出しのお手伝いさせていただきたいですわ」
それから、ミーアは小さく首を傾げた。
「ちなみに、こちらにはいつまで滞在されるのかしら?」
「え、えっと……」
キョトキョトと視線を惑わせてから、クラリッサは、やっぱりアベルのほうに目を向けた。判断を仰ぐように……。弟に決めてもらおうとするかのように……。
「ああ、そうだな。特に決めてはなかったのだけど……」
アベルはチラリとミーアのほうに目を向けてから……。
「しばらくここに滞在できればと思っているよ。せっかくこうして会えたんだから、いろいろと、その期間のことを話したいし……」
――まっ! アベル、嬉しいことを言ってくれますわね。ふふふ、わたくしと話したいから滞在期間を延ばすなどと……。
ミーアをニッコリさせる回答をしてくれるアベル。さらに、
「それに、ミーアにも姉上と仲良くなってもらいたいからね」
ちょっぴり照れくさそうに、そんなことを言う。
――まっ! アベル、将来のために、お義姉さまとわたくしを仲良くさせるつもりですわね! ふふふ、外堀から埋めていくとは、なかなかに策士ですわね! そういうことならば、なおのこと、わたくしも協力しなければ……。
海月ミーアをしゃっきりさせる、回答まで返してくれるアベルであった。
こうまで言われては、やる気を出さざるを得ない。ミーアは鼻息荒くクラリッサの本に目をやった。
「ところで、資料調べの成果はどんな感じなんですの?」
さながら、狩人のようなミーアの視線を受けて、クラリッサはビクンっと体を震わせてから……。
「は……はい。実は、前回のパライナ祭では、新設した騎馬部隊を披露したみたいで」
「ほう、騎馬部隊……。それは興味深いですわね」
基本的に、馬には特別な興味を持つのが天馬姫ミーアである。
なにしろ、馬と言えば危地から逃してくれるミーアの友。いわばミーアの足のようなものである。それを披露したと聞けば、興味も湧こうというものである。
常に、ギロちんが追いかけて来た時に備える、帝国の叡智の情報収集力の高さを物語る行動と言えるだろう。常在断頭台の精神なのである。
「それは、どのようなものでしたの?」
「どうやら、騎馬に金属製の防具をつけて並べて走らせたみたいです。一個騎馬隊を派遣して、他国に披露したのだとか……」
「ふむ……金属製の防具を……」
ミーアは、なにか、深い考えごとをするような、大変、難しい顔をして……。
――それは、なんとも……重そうですわね。
そんなことを、思った。
ミーアの頭の中、おもたぁい金属武装をつけて、嫌そうな顔をする荒嵐の顔が思い浮かぶ。絶対に、本気で走ってくれなそうな顔であった。
――ふぅむ、それって逃げるだけならば不利になりそうですわ。あるいは、相手を威圧する効果も考えられますけど……。いえ……。
顎に指をあてたまま、小さくポツリ、と。
「……脅すなどと、実に無意味なことですわね」
そう……ミーアは常に、最悪の最悪を想定する。
では、誰に追われるのが最も最悪か……? 言わずもがな、ディオン・アライアである。
まぁ、狼使いでも構わないのだが、ともかく、あの二人が追手であった場合、威圧など、不可能である。ディオンなど、強そうな相手でと、却ってやる気になった挙句、金属防具ごと斬ってくるに違いない。
さらに、相手が騎馬王国の民であった場合、馬が鎧で守られていたほうが容赦なく弓矢を放ってくることもあるかもしれない。追手がルールー族であった場合には、逆に、馬など無視してサクッと乗り手に弓を当てるだろう。
つまり、馬を逃げ足として考えた時には、最も肝要なのは軽いことなのだ。金属鎧の重さなどいらない。
大事なのは軽いことなのだ。
……軽い! ことなのだ!
――まぁ、わたくしには不要の道具ですわね。逆に、余計なものをつけなければ、多少、わたくしが食べ過ぎたとしても平気なはず……。
ミーア、そこで、自らが危険な思想に流されつつあることを自覚した!
ハッとした顔でアベルのほうを見る……っと、彼は、優しげな笑みを返してくれた。
ミーアの知るところ、アベルは紳士だ。実にできた人であり、気遣いもでき、優しさに溢れた素敵な人なのだ。。
ゆえに……先ほどのやり取りは、もしかしたら、彼の思いやりによるものではなかったか……?
ミーアは、ふと、自らの二の腕を軽くさする。
「油断は禁物ですわ」
思わず、つぶやいてしまう。
――危ないところでしたわ、わたくしとしたことが。しっかりと運動しないといけませんわね。常に、健康と脱出を考えて励まなければ……。荒嵐も来ていることですし、しっかりと付き合っていただきましょうか……。しかし、荒嵐といえばあのくしゃみ……、よくよく考えると、なんなのかしら……? 最初は香水のせいかと思っておりましたけれど、わたくしを見るなりくしゃみをするとは……実に……。
「奇妙なことですわね……」
ミーアの言葉を聞いて、ラフィーナが目を見開いた。