第三十六話 一味違うのである!
さて、第六資料管理室長、ジーナ・イーダとの邂逅を終えて、ミーアたちは神聖図書館の資料閲覧室へと向かった。クラリッサとアベルは、現在、そこで資料調べをしているらしい。
重厚な木製の扉を開けると、広い室内が目の前に広がる。光の溢れる廊下と比べ、少しばかり薄暗かった。四人掛けのテーブルが十数個並べられた室内には、古い本特有のかすかなかび臭さが漂っていた。
「なんだか、新しい本との出会いがありそうで、ワクワクしてしまいますわ」
「ふふふ、ミーアさんは本が好きですものね。この前、お勧めしてもらった本もとても楽しかったわ」
などと華やかな会話をしつつ、ミーアは辺りに視線を巡らせる。っと……目当ての人物は、端の席に座り、本を読んでいた。
また少し大きくなったように見える背中に、ミーアはそーっと歩み寄り……っと、気配を感じたのか、アベルがサッと振り返る。その拍子に黒い髪がサラリと揺れた。凛々しい瞳がミーアを見た瞬間、嬉しそうに笑みの形をとる。
視線と視線が交錯した刹那、ミーアの胸がトックゥンッと高鳴った。
……乙女なのだ。本当に、ミーアは乙女なのだ!
ミーアが帝国の叡智だとか、天が遣わした知恵の女神だとか、海月かキノコの化身なんじゃないか! とかは信じなくても、これだけは信じてもらいたいことなのだ!
乙女なのだ! ミーアは!
ぽぉっと、ほのかに頬を赤らめつつも、すぐにハッと正気を取り戻し、それからミーアはニッコリ笑みを浮かべた。
「ご機嫌よう、アベル。おひさしぶりですわね」
と言いつつも、いささか緊張を隠せないミーアである。どうしても昨日の山盛りのジャム(ざいあくかん)の塊が、脳裏を過るのだ。
そんなミーアに、アベルは優しげな笑みを向ける。
「やあ、ミーア。ずいぶんとひさしぶりになったが、元気そうでなによりだ」
それから、ちょっぴり悪戯っぽい笑みを浮かべて……。
「しばらく会わないうちに、また美しくなったのではないかな?」
まるで、ミーアの心の不安を読み取ったかのような、そんな軽口を叩いた!
「まっ、まぁ、アベル。しばらく会わない間にずいぶんと口が上手くなりましたわね! そんなこと、会う女の子みんなに言っているのかしら?」
「どうだろうな……。少なくとも、本気でそう思った時以外には言わないようにしているが」
「まっ!」
などと……実に、こう……タチアナ式運動療法必須な感じの、甘ったるーいトークを繰り広げた後、ミーアはふと、彼の隣にいる女性に目を留めた。
目が合うと、すぅっと、目を逸らされてしまった。
長く艶やかな髪、その色はアベルと同じ、漆黒だった。その顔立ちは、かつて蛇の廃城で見たヴァレンティナにも似て、迫力のある美しさを誇っていたが……唯一、その瞳は、眼鏡の奥で、おどおどと、どこか落ち着きがないようにも見える。
――ふむ、これがクラリッサ王女殿下。ヴァレンティナお義姉さまとは、ずいぶんと雰囲気が違いますわね。
少々、意外に感じるミーアである。
なにしろ、ミーアの知るレムノ王家の人間と言えば、アベルのほかには、ヴァレンティナとゲインだ。
なんというか、押しが強いというか、インパクトが強いというか……。
ヴァレンティナの、世界中の何にもおもねる必要なし、と言った超然とした態度とも、ゲインの傲慢さに溢れる雰囲気とも、目の前の女性は違っていた。
強いて言うならば、出会った間際のアベルを思わせる態度に近いようにも感じるが……。
――いずれにせよ、ここは、落ち付いて話せるよう、ゆっくりと、穏やかに話しかけるのが肝要ですわね。
なにしろ、相手は味方につけるべき人物。将来の義姉である。できるだけ友好的な関係を築くに越したことはない、と、ミーアはここぞとばかりに愛想よく笑みを浮かべて、
「お初にお目にかかりますわ。クラリッサ王女殿下。わたくしは、ティアムーン帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンと申します。弟君のアベル王子とは、大変、仲良くさせていただいておりますわ」
スカートの裾をちょこんと持ち上げ、深々と頭を下げて……できうる限りの礼を尽くしておく。っと、相手は慌てた様子で立ち上がる。
「あ、は、はじめまして……。ミーア皇女殿下。レムノ王国第二王女、クラリッサ・レムノと申します」
おどおどとぎこちなく、クラリッサは礼を返した。
それから、自信なさげに視線を彷徨わせる。
「はじめまして、クラリッサ王女殿下。ラフィーナ・オルカ・ヴェールガと申します」
ミーアに続き、ラフィーナの自己紹介があり、クラリッサはさらに落ち着きを失ったようだった。
大帝国であるティアムーンとヴェールガの聖女の挨拶を、ほぼ同時に受けたのだ。緊張するなと言うのが、無理な話かもしれないが……。
惑いに惑った視線が、助けを求めるように向かったのは弟、アベルのほうだった。
アベルは、姉に小さく頷いてみせてから、
「実は、姉上は、パライナ祭にレムノ王国の代表として参加する予定なんだ。けれど、なにぶん国を出たことがなくてね。あまり、他国の人とも交流がないんだ。こうして、幸運にもここで会えたことだし、ぜひ、仲良くしてもらえると嬉しいんだが……」
「あら。もちろんですわ。ふふふ、せっかくお会いできたのですから、ここにいる間に、ぜひとも仲を深めさせていただけたら、わたくしも嬉しいですわ」
ミーア、ここぞとばかりに、己が内に貯蔵されている愛嬌を絞り出すように振りまいて……。
「よろしくお願いいたしますわね、クラリッサお……うじょ殿下」
ミーアの中、乙女心と常識とがぶつかり合い、この時ばかりは勝利したのは、常識のほうだった。
ベルとは、一味違うのである! 年季が……。