第三十三話 嘘じゃない! 本当だっ!!
そわそわ、っとミーアは髪を気にする。
――大丈夫かしら? 寝癖などは、立っていないはずですけど……。アンヌがきちんと整えてくれましたし……でも、鏡を見たいですわね。
なにしろ、アベルと会うのは、ずいぶん久しぶりなのだ。できれば、一番、美しい自分で会いたいわけで……。
そうなのだ、最近は割と忘れがちになってはいたが、ミーアは――なんと乙女なのだ!
それも、まごうことなき、完璧な乙女なのだ! ここ最近は、ナニカ違うものだったような気がしないでもないのだが……その本質は恋する乙女なのだ! 乙女なのだ!!
…………うっ、嘘ではない、本当だ!
そんな感じで、ふわふわ浮足立ったミーアの脳裏を、ふいに、昨日の光景が過る。
レモンパイはともかく、たぁーっぷり、スプーンに山盛りにしてしまったジャム。あのジャムは、ほんのちょっとだけ……その、多かったかもしれない。
それに、ペルージャンやガヌドス――いや、ガヌドスで食べた海産物はむしろ、甘い物を帳消しにする善いものなので、まぁ良いとして、ともかく、ほんのちょっとだけ、暴飲暴食の感があったかもしれない。
やや不安を覚えたミーアは、自らの腕に触れる。
――たぶん気のせいだと思いますけど、少しだけ……なにやら……。
ミーアはシュシュっと辺りを見回し、己が忠臣アンヌの姿をみとめる。
「アンヌ、その……大丈夫かしら?」
チラリ、と上目遣いに問う。っと、アンヌはパチクリ、目を瞬かせる。
「はい……?」
「わたくし、その、アベルと今、会って……」
そんな、もじもじとした問いかけに、アンヌは優しい笑みを浮かべて、
「ああ、ミーアさま、ご安心ください。昨日、お風呂に入り、髪もお肌もお綺麗になっていますから。きっと……きっと……あ……」
「…………アンヌ?」
なぜだろう……アンヌは、そこでなにやら、考え込むように黙り込んだ。大変、真面目な顔でミーアのほうを見て、眉間に皺を寄せている!
「え……あ、アンヌ、どうしましたの? おほほ、もう……いやですわ。そのような怖い顔をして……」
っと、場を和ますように笑うが……アンヌは一切笑わなかった! むしろ、その表情には、鬼気とした緊張感が満ち満ちていた!
「なっ、なんとか言ってくださいまし! アンヌ? アンヌぅ!」
ミーアの声がまるで聞こえていないかのように、アンヌは小さく……、
「……こういうふうに、アベル殿下のお力をお借りすれば……ミーアさまご自身に健康を考えていただけるかもしれない……。でも……」
などと、なにやらつぶやいていた。
「アンヌ! 返事をしてくださいまし、アンヌぅ!」
「あ、すみません。ミーアさま」
と、そこでようやくアンヌはハッとした顔をした。それから、ジッとミーアを見つめて……。うん、っと深々と頷き……。
「そう、ですね……。全然、大丈夫だと思います…………その……今、は……」
苦しげに、一言付け加える。
「いっ、今は……?」
少々、引っかかる物言いに、ミーア、震える。
「そうですね……今は、かろうじて……といった感じでしょうか」
「かっ! かろうじてっ!」
目を見開くミーアに、アンヌはしかつめらしい顔で頷き、
「昨日の……、あのジャムはさすがに入れ過ぎだと思います。レモンパイは良いと思うのですが、ああいった甘いお菓子を食べる時は、お紅茶は甘くしないほうがいいと思います」
忠臣アンヌは、きちんと心を鬼にして、ミーアに諫言を呈することができる人なのだ。必要とあれば、その心を鬼にできるのだ!
そうして、アンヌは、ミーアの顔を見て……、
「スプーン一杯……あ、スプーンにたくさん山盛りという意味じゃないですよ? こう、薄く一杯ぐらいがちょうど良かったと思います」
それを聞くミーアの顔があまりにも悲しげだったので、うっかり妥協してしまった! ハリボテの角が、早くも取れかけていた!
「で、でも……体に良い海産物で帳消しになるのでは……」
「いいえ、ミーアさん……。それは、良くない考え方だわ」
すぅっと、そこに歩み寄る者がいた。
聖女のような厳粛な表情を浮かべたラフィーナである。気遣わしげな顔で、胸に手を当てて……、ラフィーナは言う。
「甘い物を食べ過ぎなければ、しょっぱいものが食べたくなったりもしないでしょうし……。ジャムは出すべきじゃなかったかもしれないわね。ミーアさんの健康のためにも、私の心の平安のためにも……私も、アンヌさんに賛成だわ」
心の平安のため、とはなんだろう? と一瞬首を傾げるミーアであったが、すぐに、
――ああ、ラフィーナさまは、友人として、私の健康を心配してくださっているのですわね……。
っと、心の中で少しだけ感動しつつも……。
「うう……わかりましたわ。当面の間、お紅茶は、あまり甘くしないよう、お砂糖やジャムを可能な限り控えるよう心掛けることを努力できるよう、検討を始めたいと思いますわ」
なんというか……こう、どこかのやり手の政治家のようなことを、もにょもにょ言うミーアであった。
「それでは、ご案内いたします。どうぞ、お入りください」
ともあれ、ミーアたち一行は、ユバータ司教に伴われて、神聖図書館へと足を踏み入れた。
古の時代よりの知識の集積地……。
あらゆる聖なる教え、善き聖人たちのエピソード……のみならず、邪なる蛇の教えすらも収めた場所……神聖図書館は、静かに、帝国の叡智一行を出迎えた。
帝国の叡智が、この場所で、どのような深淵なる知恵に触れるのか、今はまだ誰も知らない。