第二十八話 お姫さまのはずだ……そのはず……なのだ……が。
ヴェールガ公爵邸のサロンは、かなり広い部屋だった。
そこには大きな長方形のテーブルが置かれており、椅子が並んでいる。
聞けば、ヴェールガ公爵家では客人を、従者も含めて、一つのテーブルでもてなすことを大切にしているのだという。
もともと、中央正教会では共に食卓を囲む、ということを大切にしている。その大祭司であるヴェールガ公爵家もその方針に従い、貴族も従者も、富む者も貧しき者も一切の区別なくもてなすことにしているのだとか。
というわけで……。
「さ、どうぞ。アンヌさんやディオンさんも、ご一緒に」
ラフィーナに促され、ミーアたちはおのおのテーブルの前に座る。ラフィーナに報告する関係上、ラフィーナの右にミーアが、その隣にハンネス、パティが座る。その隣にヤナとキリル、アンヌが並ぶ。
さらにラフィーナの左にはオウラニアが、その隣にベル、シュトリナ、ディオンが並ぶ。
「では、始めましょうか、みなさま、ようこそドルファニアへ。歓迎するわ」
立ち上がったラフィーナが、みなの顔を一人ずつ眺めてから、涼やかな笑みを浮かべる。
「簡単だけれど、お茶とお茶菓子を用意しました。楽しんでいただけると嬉しいのだけど」
ラフィーナの言葉を合図に、メイドたちが動き出す。
そうして、テーブルの上に置かれたのはティーカップ、そして……!
「おお、これは……!」
お茶菓子として並んだのは、爽やかな香りを漂わせるレモンパイだった。こげ茶色のパイ生地、黄色いすべすべしたレモンカスタードとふわっふわのメレンゲがふるふる揺れている。
――むむ、これは……ただのレモンパイかと思いましたけれど……逸品ですわ!
運ばれて早々、ミーアはカッと目を見開いた!
ササッとフォークを手に取ると、綺麗な焦げ目のついたメレンゲに入れる。ふわふわのメレンゲの下、レモンカスタードのしっとりとした感触、さらに、パイ生地のサクッとした感触……ミーアの中、期待感が膨れ上がる!
ゴクリ、っと喉を鳴らし、一口分に切ったパイをパクリ!
シュワワッと溶ける甘いメレンゲ、ねっとりと舌に絡みつくレモンカスタードの酸味と甘みの二重奏、さらに、レモンの爽やかな香りとサックリとしたパイ生地の食感が混然一体となって……。
「ああ、美味しい……素晴らしいお味ですわ」
珍しくもないレモンパイ。にもかかわらず、ここまでの感動をもたらすこの逸品に、ミーアは瞠目する。
――ありふれているのは、裏を返せば、みなに好まれる味だからこそですわ。ただのレモンパイを完璧に上手く焼き上げれば、こんなにも美味しいものができるのですわね。これは王道、まさに王道を突き進んだ末にある極致の逸品ですわ!
感動に打ち震えつつ、ミーアは紅茶に目をやった。
綺麗なピンク色の紅茶は、香りからして、ラフィーナが好んでいる姫君の紅頬の紅茶だろう。そのティーカップのそばには、宝石のように美しいジャムのビンまで用意してある。
「あら……そのジャムは、もしかすると、いつぞやと同じラフィーナさまの手作りのものかしら?」
「ええ。そうなの……。お口に合えばいいのだけど……」
ラフィーナはちょっぴり恥ずかしそうな顔で頷いた。
そうなのだ。実は、こう見えて、ラフィーナは自分で育てた花をジャムにするのが趣味だったりするのだ。完全に料理ができないわけではない。キースウッドらには、ミーアの仲間扱いされているのだが……本来、それは心外なことのはずなのだ。
まぁ、ラフィーナの場合、逆に仲間扱いされないと、とても傷ついた顔をするので、扱いがめんど……難しいところではあるのだが。
さらに紅茶のほうに関しても、実はラフィーナの手作り茶葉だったりもする。
最近、少しばかりミーアに染められてしまってはいるものの、ラフィーナはミーアとは違う。至極真っ当なお姫さまのセンスの持ち主なのだ! 可愛い動物とか、お花とか綺麗なドレスとかアクセサリーとか、そういうのが好きな、ドストレートなお姫さまなのだ! ミーアとは違うのだ! ポヤァとかアコヤイソメ貝とか女王烏賊の干物とか、そういうので悲鳴を上げちゃう系なのだ!
……いや、まぁ……ミーアも基本的には真っ当なお姫さまの感覚を持ってはいるのだけど。ただ、そこに余分な……ちょっぴり特殊なナニカが付け足されてしまっているだけのことで……本質的には、ミーアも同じお姫さまなのだ……たぶん。
花を愛でる心が、少しだけキノコを愛でる心に浸食されていたり、可愛らしいお魚を愛でる心が、美味しいお魚を愛でる心になっていたり、美しいドレスや宝石に心ときめく感覚が、こんなのしょせん革命の時にはなくなってしまいますし……と諸行無常の感覚になっていたりするのだが……。
基本的には、ミーアも、お姫さまなのだ。そのはずなのだ! おそらく……たぶん、きっと……うん。
それはさておき、ミーアはジャムをスプーンにすくおうとして……ハタと視線を感じる!
シュシュっと視線を転じれば、アンヌと目が合う。
アンヌは静かにレモンパイをもぐもぐ、それから、紅茶を一口。ジャムも検分し……すぅっと人差し指を立てる。
――あれは……ジャム一杯ならばオーケーということですわね?
目で問いかけると、アンヌが、深々と頷く。
ミーアは、にっこー! っと笑みを浮かべ、ジャムのビンにスプーンを突っ込み……山盛りのジャムを紅茶に入れたっ!
あっ、ああっ! っと何やら言いたげに腰を浮かせかけたアンヌに、あら? どうかしたのかしら? と首を傾げつつ、紅茶にジャムを溶かすミーア。
それから、甘くて、ほのかに酸味のある紅茶を飲んで……ほーふーう、っと大満足のため息を吐くのだった。




