第二十二話 虚無の深淵を覗いたモノ
さて、ネストリにこってりたっぷりとお説教したミーアは、その勢いを駆ってカルテリアの牢獄に赴いた。
王宮のほど近く、馬車が辿り着いたのは一軒の屋敷だった。貴族、あるいは商人の屋敷といった雰囲気の建物で、なかなかに立派な造りである。
「ふむ……ここが……」
建物の周りをぐるりと囲む塀、頑丈そうな門の前には警備の兵が二人。門の中にも警備の兵の姿がチラホラ見える。
恐らくは十人以上の監視の兵が配置されているのではないだろうか。
それは、このガヌドスにおいては、なかなかの規模と言えるのかもしれないが……ミーア的に注目すべきことはそこではなかった。
正直なところ、あの男を閉じこめておくのに十分な警戒態勢がどの程度なのか、なんて門外漢のミーアにわかるはずがないのだ。
ゆえに、ミーアが思うことは、ただ一つ。
――ここならば、快適に過ごしてもらえそうですし、ここにいたくないから脱走しようとは、少なくとも思わないはずですわ。地下牢のような、一瞬でも居たくないような環境では、余計に逃げ出したくなるはず。カルテリアさんのような方には、むしろ、衣食住を揃えて、FNYらせてやるのがよろしいのではないかしら。
「カルテリアお兄さまは、ここの最上階にいますー」
「ほほう、なるほど、それは、なかなか良い感じですわね!」
日当たりも文句なさそうだ。これならば、健康的かつ快適に過ごせることだろう。
「ありがとうございますー。それでは、中へどうぞー」
ちなみに、ミーアと同行するのは、屋敷の警備兵三名、さらに皇女専属近衛隊四名である。
「会話は、鉄格子越しになってしまいますが……」
申し訳なさそうな顔をするのは、ガヌドスの守備兵だった。
「ここに連れて来られてからずっと大人しくしておりますが、ミーア姫殿下になにかあっては一大事ですし」
「ふふ、別に構いませんわ。安全第一で……むっ!」
見えてきたその部屋を見て、ミーアは、思わず眉間に皺を寄せた。
部屋にはドアがなかった。代わりにそこには鉄格子が入っている。それは、まぁ、良いのだが……、問題は、そこから見えた室内が、想定以上にシンプルであることだった。
端的に言って、ベッドと椅子、その他、生活に必要最低限の物しか用意されていなかった。
「これは……あまり、部屋の中に物がないですわね」
ちらり、とオウラニアに目を向けると、
「はい、ミーア師匠に言われたとおり、しーっかり考えて、自分を振り返ることができるように、集中できる部屋にしてみましたー」
……確かに、気を散らすものが何もないので、考えごとをするには良い部屋かもしれないが……。
――これは……少々アブナイかもしれませんわ。
ミーアは、敏感に危機を察知した!
「オウラニアさん、ちなみに、本などは……」
「いえー、ありませんねー。本を読んでたら、考えごとができないじゃないですかー」
オウラニアの言葉に、ミーアはますます眉間の皺を深くする。
――ますます危険ですわ。これでは、暇すぎてよからぬことを考え出しても不思議ではない。それこそ、退屈に耐えかねて、ちょっと脱獄でもしてみようかな! とか考え始めるかもしれませんわ!
適度な頭脳労働は良い。反省の良い機会になるだろう。けれど、暇や退屈は大敵だ。むしろなにか、別のことに集中させておいたほうが安全なのではないだろうか。
ミーアは、腕組みしつつ……。
「オウラニアさん、罪人とはいえ、さすがにこれでは可哀想ですわ。せめて、なにか、気分転換のための本でも届けてあげては……」
「必要ない。ガヌドス王女の言うとおり、思索の邪魔だ……」
鉄格子の向こう側、男は静かにたたずんでいた。
腕組みし、壁に寄りかかるようにして、両足を伸ばして座る男……両の目を閉じ、さながら、その額に描かれた目で真実を見抜かんとしているかのように……。
蛇の暗殺者、カルテリアは、そこに佇んでいた。
「俺は今、考えごとの最中だ。邪魔はしないでもらおう。それが終わればすぐにでも、こんな場所、出て行かせてもらうつもりなのでな」
そうして、彼は静かに目を開けた。その鋭い眼光を見て、ミーアは……、
――こんな怖そうな顔してますのに、この方ってディオンさんにコテンパンに負けてたんですわよね……。
そのギャップに、ちょっぴりおかしくなる。
ディオン・アライアより弱い相手を恐れるミーアではないのだ。
「帝国の叡智……わざわざ足を運ばせて申し訳ないが、お前の問いに対する答えはまだ出ていないぞ」
彼の言葉に、ミーアはわずかに眉をひそめる。
――問い……はて? なんだったかしら?
一瞬、首を傾げかけるも……寸でのところで踏みとどまる。
「ああ……お母さまの本当の心を考えろと言ったのでしたわね?」
「……まさか、忘れていたのか?」
ギロリ、と不機嫌そうに睨む彼に、ミーアは余裕の笑みを浮かべ、
「まさか、確認しただけのことですわ。お元気そうでなによりですわね」
ミーアは、改めてカルテリアを見つめる。
「ふん、蛇の暗殺者が元気だと、お前にとって都合がいいのか?」
「友人の兄君が元気であれば、それは喜ぶべきことでしょう?」
カルテリアはチラリとオウラニアのほうに目を向けてから、舌打ちする。
不機嫌そうなその顔を眺めつつ、ミーアは、考える。
――しかし、お母さまのことだけを考えている、というのも、やはり暇を持て余すのではないかしら?
ミーアの心配は、むしろ、膨れ上がる。
なだめるように、あるいは、ちょっぴーり媚びるように笑みを浮かべて、ミーアは言った。
「しかし、それほど深い思索をしているというならば、やはり本を読むべきですわね。世の中には考えごとの参考になる本というのは山ほどございますし……」
これ、参考になるよ! と言って、面白い本を進めてやれば、退屈することもないだろう。なぁんて考えるミーアであったが……。
「いらぬと言っている」
とりつく島もなく、カルテリアは首を振った。
――ああ、まずいですわ。このままでは……。
ミーアの焦りはいつになく大きかった。
なぜならば……ミーアは知っているから……。見たことがあったからだ……。
真なる虚無の深淵というものを……。
あの地下牢の日々――ミーアの前に難敵として立ち塞がったものこそが「退屈」という名の怪物だった。それは実に手ごわく、ミーアの精神を責め苛んだ。
延々と続く、地下牢のヒビの数をカウントする毎日。来る日も来る日もそれを繰り返すうちに、ミーアは知ったのだ。はてしない虚無の深淵……不毛の中の不毛を……。
カルテリアを、あの時と同じような状況に追い込んではいけない。あの……。
「……地下牢のヒビの数を……数えるようなこと……」
には……。っと、あまりに考え込むあまり、一部が、口から零れ落ちてしまう。
「…………え?」
オウラニアが、驚いた様子で、目を見開いた。
それから、彼女は顎に手を当て……考えることしばし……。
「あー、なるほどー。そういうことかー」
オウラニアは、ポコンッと手を叩いた。
「カルテリアお兄さまー、狭い部屋にこもってー、たった一人で考えごとをすることはー、狭い地下牢に閉じこもってヒビを数えるのと同じようなものだわー」
「…………なに?」
「ミーア師匠はそう言っておられるのよー。そんな狭い世界にたった一人、ただ自分だけの価値観で考えごとをしたとして、いったいなにが見えるって言うのー?」
「なんだと……?」
カルテリアが眉をひそめる。
「ミーア師匠は、お兄さまにー、考える材料を与えようって言ってるのよー。そうですよねー、師匠ー?」
突如、オウラニアから話を振られるも、ミーア、これをしっかりと受け止め……。
「はぇ……? い、え……ええ。その通りですわ、まさに」
……損ないかけるも、なんとか踏ん張り! それから、続ける。
「オウラニアさんの言うとおりですわ。本にはいろいろな人間の考え方が書かれておりますし。たくさん読めばそれだけ視野が広がるというもの。あるいは、お母さまの隠された、自分自身でも気付いていなかったお気持ちに迫る書き手だっているかもしれませんわ」
熱弁し、ついでに……。
「そして、それだけではありませんわ。あなたは、他人の話にも耳を傾けるべきですわね」
「なんだと……?」
カルテリアは、不機嫌そうな声を上げた。
「それはまさか……」
「言わずもがな、ではないかしら? あなたのお父上、ネストリ陛下と、ですわ」
先ほどのやり取りを思い出し、付け加えておく。
「愚かな。あの男の言葉など……」
吐き捨てるように、カルテリアは言った。
「あら? お母さまを知り、お母さまに思いを寄せる彼の言葉を聞かないつもりですの?」
「くだらん。聞く価値のない言葉だ。どうせ、その内、殺す男の言葉など聞いてどうする?」
頑なに首を振るカルテリアに、ミーアは小さく首を振った。
「まぁ、強制はできませんわ。それをするかどうかは、あくまでもあなた次第。ただ、あなたが一人で悩み、考えて出した答えというのは、あなた一人の経験に基づいた考えにすぎないということだけは指摘しておきますわ」
そこで言葉を切って、チラリと視線を向けて、
「それで、あなたが真実に辿り着ければよろしいのですけれど……」
その言葉に、ギリッと悔しげに歯ぎしりするカルテリアだったが、ややあって、深くため息を吐いた。
「ふん……まぁ、帝国の叡智の言うことにも一理はあるか……」
そう言った後、彼は鋭い目で睨みつけてきた。
「だが、あの例えは、いささか出来が悪かったな。帝国の叡智の名が泣くぞ」
負け惜しみのように、カルテリアが言う。
「地下牢に閉じ込められるのはまだしも、ヒビの数を数えて一日を過ごすなど、そんな馬鹿なことをする人間がどこにいる。そのように不毛な……不毛極まることをする愚か者などこの世にいるはずもなし。なんとも現実味の薄い、出来の悪いたとえ話よ」
「あー……まぁ、そう……ですわね」
そんな指摘に、ひきつった笑みを浮かべるミーアであった。
かくして、ガヌドスですべきことを終えたミーア一行はヴェールガ公国へと旅立つことになった。




