第二十一話 ミーア姫、イラァッとする
そんなこんなで待つことしばし……、ノックの音が響いた。
「失礼いたします。ネストリ陛下をお連れいたしました」
そうして、入ってきたのは、両脇を二名の兵士に囲まれた国王、ネストリ・ペルラ・ガヌドスであった。
相も変わらぬ薄暗い光を湛えた目、疲れた老人のような顔には、けれど、少しばかり生気が宿っているように思えて……。
はて、と首を傾げつつも、ミーアは立ち上がる。
「ご機嫌麗しゅう、ネストリ陛下」
スカートの裾をちょこんと持ち上げるミーアに、ネストリは唇の端を上げて答える。
「これはご機嫌麗しゅう。ミーア姫殿下。このような小国にわざわざ足をお運びいただくとは……。相も変わらず物好きな……」
そのあんまりな物言いに、オウラニアがムッとした顔をするも、それを片手で制して、ミーアはニコニコ笑みを浮かべる。
「ふふふ、相変わらずですわね。お元気そうでなによりですわ、ネストリ陛下。どうぞ、お座りくださいませ」
などと言いつつ、ミーアはふと気付く。
――あら……しかし、よくよく考えると、この方からどうやって話を聞きだせばいいのかしら……?
そう……ミーアは、昨夜、出会ってしまっていた。
美味しい海の幸、絶品ガヌドス料理とっ!
ゆえに、現在のミーアの脳みそは、その大部分を今日のお昼の絶品料理とラフィーナに持っていく絶品お土産に、大部分を割かれていたのだ。
――ううむ、まさか、良からぬことを考えてませんよね? とは聞けませんし、どうしたものかしら……?
一瞬、悩みつつも、とりあえずは普通に話を振ることにする。
そうして生まれた流れに身を委ねる、いわゆる海月戦術である。
流れを探してゆーらりゆらり、と海月は動き出した。
「ところで、最近はいかがかしら? なにやら、息子さんのところに通って、良からぬことを企んでいるとお聞きしましたけれど……」
「それは人聞きが悪い。私はただ、苦労して生きてきた息子の希望を叶えてやりたいだけですのに……」
その言葉に、ミーアはスゥっと視線を鋭くする。
――ふうむ、今のは冷静に聞けば、カルテリアさんの手にかかって死んでやろう、と言っているのだとは思いますけど……。これ、もしも、カルテリアさんがガヌドス港湾国が欲しいとか言い出したら、そのために動くということかしら?
以前も、そんなようなことを言っていたっけ、と思い出す。
現状、元老議会はオウラニアの味方をしているものの、ヴァイサリアンの受け入れで国全体は落ち着かない状況。ネストリ王の暗躍を許すのは望ましくはないだろう。
はたして、ネストリが敵に回る時があるのかどうか……。
「息子さんの希望というと、あれかしら? もしや、王子として復権したいとか、あるいは、次のガヌドス国王になりたいとか、そういったことかしら?」
念のために探りを入れるも、
「ふ、お戯れを。私はただ息子の手にかかり死にたいと思っているだけです。できれば邪魔せずにいてもらえればありがたいのだが……」
肩をすくめて、そう返される。
「つまり、あなたの望みは、ご自身の最愛の息子に殺されることだと……それは、今も変わらないと、そういうことかしら?」
眉をひそめつつ尋ねれば、ネストリは、ただ静かに、いっそ穏やかに言った。
「それが息子の希望のようなので……それ以外には何もするつもりはないのです」
――ふぅむ、まぁ、それならば、別にわたくしが言うこともないかしら……。
と、一瞬、納得しかけたミーアだったが……、ふと、胸の内に言い知れぬ感情が芽生えた。
それは、抑えようのない苛立ちだった。
――しかし、この方……今まで、何もしないでいて、このまま自分が希望するとおりの死を迎えたいだなんて……わたくしやオウラニアさんが苦労しているというのに、ずいぶんと都合が良い話ですわ。
無性に……こう、目の前の男の尻を蹴り上げてやりたくなったミーアは、深く息を吸って、吐いてから……。
「ネストリ陛下、あなたは、息子の遊びを中断しないために、彼が馬車の前に飛び出すのを止めないのかしら?」
言ってやった!
「……なに?」
その言葉に、ネストリが眉をひそめた。何を言われたのか、よく理解できていなそうな彼に、ミーアは再度問いかける。
「いえ、ふと不思議に思っただけですわ。あなたは、彼が蛇として生きることに、なんの不満も抱かないのかしら? あのように、秩序の破壊のために生きることに、あるいは、ただ復讐に生き、復讐に死ぬことに……何の疑問も持たないのかしら?」
ミーアは指摘する。
愛する息子であるはずの、カルテリアの希望を叶えることが、彼のためになることなのか? と……。
それは、カルテリアが復讐を遂げようとすることに対して、あるいは、彼が王位を求め、再び蛇として、ガヌドスを混乱に陥れようとすることに対しての牽制。
なんにせよ、彼が悪事を望んだ時、その希望を叶えてやることが……本当に、彼のためになるのか? という問いかけだ。
ネストリには、カルテリアが暴走しそうな時に止めてほしいと思っているし、少なくとも同調すんなよ! と思っているミーアなのである。
「私に、息子を諭せと? 聞くと思うのですか? 恨みの相手である私の言葉を……」
「わたくしはよくわかりませんけれど……親とは、そういうものでしょう? 恨まれていようと、憎まれていようと、我が子には愛情をもって諫言を呈する。そういうものではないかしら?」
それからミーアは、目の前にある紅茶を一口。喉を潤し、追撃をかける。
「あなたは、今まで王としても、夫としても、親としても……もしかしたら、子としても……なにもしてこなかった。なにもしないようにして生きてきた。その刈り取りをする時が来たのではないかしら?」
「刈り取り……?」
「今までは、あなたの周りにはどうでもいい人間ばかりだった。だから、そのような生き方が許された」
国を良くすることもせず、蛇に積極的に協力することもせず、世界になんの影響も与えることなく生きて死のうとした……。
そんなふうに生きることが、許されるはずはないのに。
――ベッドの上でなにもせずに、ダラダラ生きればFNYになる。同じことですわ。
自らのことにおきかえて考えながら、ミーアは静かにネストリ王を見つめる。
「けれど、カルテリアさんは、あなたが愛した女性との子なのでしょう……? いいのかしら、それで」
小さく首を傾げて、それからミーアはオウラニアへと視線を向けた。
「ご自分が酷い扱いをした娘さんによって、愛する息子に会うことを許されている。あなたは、自由に、その愛する息子さんに会うことができる。そのような慈悲を受け、息子を正す機会すら与えられたのに、あなたは……まだ、ご自分がどのように死ぬのかしか、考えられないのかしら?」
お前、いい加減にサボってんじゃねえぞ! 思いっきり尻を蹴り上げてやりたいミーアなのであった。