第十四話 ミーア姫、優しい気持ちになる
「ミーア姫殿下、ところで、その……」
不意に、ヴァイサリアンの長老、ユホが声をかけてきた。
「あら、なにかしら、ユホ長老」
そうして愛想よく微笑むミーアである。
元より、いらぬ対立を生まぬために、とスマイルを心掛けているミーアである。なにせ、笑顔だけなら無料なのだ。それで有利になれるならば、いくらだって笑ってやろう、と常日頃から表情筋鍛えているのだ。
さらにはヴァイサリアン族が、食の彩に貢献できる民であると知った今となっては、なおのこと、愛想よくしておくに越したことはない。
そんなミーアにユホ長老は遠慮がちに、後方に目をやった。その視線の先には、ベル隊長に率いられたベル探検隊の面々が、物珍しそうに、例のウニョウニョを眺めていた。
――ふむ……どうでもいいですけど、あれ、食べられるのかしら……? 毒がないにしても、どんなお味なのか……興味がありますわね。珍しそうですし、保存が効くようだったら今度ヴェールガの神聖図書館に行く時のお土産にでも……。
などとミーアが考えていると、ユホ長老は意を決した様子で、
「ヤナさまとキリルさまのご様子は、いかがでしょうか?」
「うん? ああ、ええ、元気にしていると思いますけど……。ここに来るまでにも、ペルージャン農業国に寄ってきたのですけど、そこでもたくさん食べてましたし……」
とりあえず、ちゃんと美味しい物を食べさせていると報告。それから、ミーアは老人の言葉を改めて考える。
――しかし、ヤナさま、キリルさま……。そういえば、ヤナとキリルはヴァイサリアン族の族長直系に近い血筋だったと聞いておりましたわね。きちんと丁重に取り扱っているということは強調しておいたほうがよろしいかしら。
一つ頷き、ミーアは口を開いた。
「あの子たちが、あなたたちヴァイサリアンにとって、大切な子どもたちであることは、よく知っておりますわ。だから、わたくしもできるだけ大切に面倒を見ているつもりですわ」
「そうですか……」
ふぅ、と深い息を吐き、老人は安堵の表情を浮かべる。けれど、それも一瞬のこと。彼の表情には再び、不安げな色が浮かぶ。
「それで、その……このようなことをお聞きして良いものかとは思うのですが……あのお二人を、どうなさるおつもりですか? ゆくゆくは、このガヌドスに、我らヴァイサリアン族の中に、返してくださるおつもりですか?」
「そう、ですわね……」
ミーアは言葉を濁す。なにやら……少々の危険信号を感じ取ったためだ。
お魚料理に使っていた六割と、深海珍味らしきウニョウニョに割いていた二割の脳みそ使用を一旦停止。脳みそ十割、帝国の叡智を目の前の事柄に向ける。
そうして、考えるのは、帝国の平和。それを脅かさぬための、ガヌドス港湾国の平和である。
――先のヴァイサリアン族の蜂起を鑑みるに、彼らの中の怒りがそう簡単に解消されたとは思えませんわ。今のところ、表向きは上手く受け入れが進んでおりますし、ガヌドスの民との和解も上手きできているように思いますけれど……。これから先のことはなんとも言えませんわ。
なにか事件などがあって、再び争いが起きたりすれば一大事だ。
――その際に、ヤナとキリルが、利用される恐れがありますわね……。
二人を旗印に、ヴァイサリアン族の蜂起を訴える、みたいなことになられては、困る。
できれば二人には帝国か、あるいは、オウラニアのそばにいてもらって、ヴァイサリアン族に不穏な動きがあった時には、それを鎮めるように動いてもらえたほうが助かるのだ。
――でも、それは体の良い人質と受け取られるかしら……。いえ、それよりはむしろ、今現在、あの二人がヴァイサリアンの中に帰されないことのほうを、人質と見做して騒ぐ者もいるかもしれませんわ。とすると、答え方を考えなければ……。
ミーアは素早く脳みそを回転させ……ようとして……。
――なにか、甘味が欲しいところですわね。この考えている隙に、なにか、甘いお魚とかないかしら? 甘い貝とかでも良いのですけど……。
「ミーアさま……これを」
っと、その時だった。音もなく歩み寄って来た者がいた。
それは、忠義のメイド、アンヌだった! 彼女がそっと差し出したもの、それは一枚のクッキーで……。
「ラーニャ姫殿下がお土産に、と包んでくださったクッキーです」
「あら……このクッキーは……」
それを見た瞬間、ミーアの胸に甦ったのは淡い思い出だった。
暗くじめっとした地下牢……ほの暗い灯りの中で食べた……あのクッキー。
静かに、それをひとかじり。そうして、口の中に広がる素朴な甘さに、ミーアの心がじんわーりと温かくなり……なんだか、こう、とても優しい気持ちになった。
「ありがとう、アンヌ。美味しかったですわ」
それから、ミーアはユホ長老のほうに目をやった。
老人の目の中に、ヤナたちを気遣うような、そんな雰囲気を見て取ったミーアは静かに、優しく、言葉を紡ぎ出す。
「将来的にガヌドスに戻り、ヴァイサリアンの指導者となるかは、結局のところ彼女たちの意志によりますわ。彼女たちが帰りたいというのであれば、わたくしが止めるようなことはありませんわ。ただし……」
一度、言葉を切ってから、そっと目を閉じて、ミーアは言葉を続ける。
「今、ヴァイサリアン族の中に彼女たちを返せば、良からぬことに巻き込まれる恐れがございますわ。あなた方の中で、過激な考えを持つ者が、あの子たちを旗印に利用するかもしれない。逆に、あの子たちを誘拐し、ヴァイサリアン族を脅すかもしれない。なんにせよ、彼女たちを守るために、まだヴァイサリアンの中に彼女たちを戻すわけにはいきませんわ。あの子たちは、もうこれまでに散々苦労してきている。これ以上、あの子たちを苦しめるようなことは、させたくありませんの」
ミーアははっきりと告げる。
――よくよく考えれば、ヤナとキリルはパティの友人。ヤナは、わたくしの願いを聞いて、パティの友になってくれた恩人でもありますわ。だからこそ、守ってあげなければなりませんわ。
もしも、返してくれと要求されれば、突っぱねなければならない。
ミーアは気合を込めて、老人に視線を向ける。っと、
「そうですか……。安心いたしました」
ユホ長老は、深々と頭を下げて、
「お二人のことを、どうか、よろしくお願いいたします」
その態度に、ミーアは目をパチクリさせる。
ユホ長老は苦笑いを浮かべて、
「ミーア姫殿下、我らはヤナさまのお帰りを求めているわけではないのです」
「それは、どういうことかしら?」
「ミーア姫殿下がおっしゃられたように、まだ、我らの一族も落ち着きません。ここに戻って来られても、我々であの方たちを守り切れるとは思いません。むしろ、なにかあった時のために、ミーア姫殿下のおそばにいさせていただいたほうが、きっとお二人のためには良いはずですので……」
「そうよー。ミーア師匠のそばにいられるなんてー、各国の王族が涙を流してうらやましがる境遇なんだからー」
っと、それまで黙って聞いていた弟子がニッコニコ顔で言う。
「それにー、将来的には、あの二人にはガヌドスの王宮で、私の補佐をしてもらうことも考えてるんだからー、危険な目になんか遭わせられないわー」
「あら、そうなんですのね? でも、お父さまもあの二人は養子にしたいとか言ってましたし、ふふふ、引く手あまたですわね」
そうして、ミーアが視線を向けた先、ベルと並んだヤナとキリルが、ウニョウニョを突っつきながら、目を丸くしていた。




