第十二話 常識人たち……
先行するガヌドス側の馬車を見て、ミーアはホッと息を吐いた。
「あらー、どうかしたんですかー、ミーア師匠ー?」
ちゃっかりミーアの馬車に同乗していたオウラニアが、不思議そうに首を傾げる。
「いえ、あの旗を持って迎えに来ていたものだから、てっきり、あの旗を立てた馬車で案内されるのかと思ったので、安心いたしましたわ」
まさか、そんなド派手に目立つことはしないだろうなぁ、とは思っていたのだが……、一抹の不安を捨てきれなかったのだ。
「もうー、ミーア師匠ー、そんなことするわけないじゃないですかー」
おかしそうに笑うオウラニアに、
「ですわよね。オウラニアさんに常識があってよかったですわ。さすがは我が弟子ですわね!」
胸を撫で下ろすミーアであるが……、
「それはそうですよー。さすがに、あんな大切な旗をそんなことに使うはずないですよー。でも、いいアイデアだから、レプリカを作って実行してみますねー」
「なっ……」
やっべぇアイデアを与えちまったぞぅ! っと青くなるミーアであったが、後の祭りである。
現実逃避するように、窓の外に目をやると……、
「あー、見えてきましたよー。あの建物がそうですー」
オウラニアが指さした先、ガレリア海に面した、港湾施設の一角にその建物は建てられていた。
「おお、あれは……」
目に入ってきた建物を見て、ミーアは小さく声を上げる。
やがて、馬車が止まり、さっさと降りたミーアは、建物に歩み寄り、それを眺める。
「どうでしょうー? ミーア師匠―」
オウラニアのどこか不安げな声が聞こえてくる。それに応えるように、ミーアは一つ頷いて……。
「……素晴らしいですわ!」
ミーアは、ほぅっと深いため息を吐き、その建物を見た。
その建物は、なんというか、実に普通だった!
四角い石造りの建物で、いかにも急増といった印象だ。おそらくは、倉庫かなにかを転用しているのだろう。大きさと、なにより、海の近くにあることを重視した結果だろうか。
ともあれ、無骨で実用的な造りが、すっかり気に入ってしまったミーアである。
――なにより、わたくしの像とか、珍妙なオブジェクトが立っていないところに非常に好感が持てますわ!
小麦畑ミーアートとか、黄金像とか、でっかい旗とかで、散々精神を削られてきたミーアとしては、もう、ごくごく普通の建物が建っていたというだけで、非常に感動的なのだ。
馬車を降りて来たビガスを見つけて、ミーアは上機嫌に微笑んだ。
「良い建物ですわね、ビガスさん。この建物は、元老議会のほうで用意してくださったのかしら?」
「というよりは、我が造船ギルドで用意させていただきました」
そう言ってから、彼は苦笑いを浮かべる。
「もともとは、船を造るのに使っていた建物でして……。いささか古いですが、修繕すればまだ使えるかと思いまして……」
「なるほど、実用性と速度感を重視した結果というわけですわね! 素晴らしい判断ですわ!」
新しくおかしな建物を建てるより、もともとあった建物を利用するほうが、ヘンテコなことは起こりづらい。ミーアとしては非常に嬉しい限りである。
「そこまで評価していただけると幸いです。いささか、面映ゆくもありますが……なにしろ、なんの飾り気もありませんので、ミーア姫殿下にお越しいただくにはもっと見栄えも気にしたほうが良いのではないか、との声も出ておりまして……例えば肖像画を飾るとか、ああ、あの旗は掲げさせていただくことになるかと思うのですが……」
「飾り気など……何ほどのこともございませんわ。こういった研究所は、実用的なのが一番ですもの。旗も無理に飾る必要はございませんわ! 邪魔になってもいけませんし……」
強調しつつも、これ以上、おかしなことを言い出す前に、とミーアは入口のほうに向かい歩き出した。
「さっ、参りますわよ!」
っと意気揚々と進むミーアを、ビガスの言葉が追いかけてくる。
「せめても、ということで、研究所の看板は、職人たちにきちんとした物を造らせました」
その言葉に、ミーアはハッとして……それから、建物の入口上部につけられた看板を見て……ぽっかーんと口を開ける。
木彫りの重厚な看板、そこには、やたらと立派な文字で「セントミーア海産物研究所」なる文言が書かれていた!
――惜しい! 実に惜しいですわ! 台無しですわ!!
ミーア、心の中で、思わず叫ぶ。
セントミーア……これでは、まるで、聖人ミーアの海産物研究所のようではないか! 聖ミーア学園だけでもなかなかアブナイのに、それに続いてこれは、まずいのではないだろうか。
わなわなと看板を見つめた後、ミーアはオウラニアのほうに目を向けた。
「え、ええと、オウラニアさん、これはその……よろしいのかしら?」
「えー? なにがですかー?」
きょっとーんと首を傾げるオウラニア。ミーアは自らの胸に渦巻く懸念点をきっちり、しっかりわからせようとして……。
「いえ、セントミーア海産物研究所、という名前ですけれど……」
「ああー、セントノエル学園から、セントと聖ミーア学園から、ミーアを取って、セント・ミーア海産物研究所とさせていただきましたー。ちょっとー、単純な名前だったでしょうかー?」
単純すぎるよ! っとツッコミを入れたくなるミーアであったが、その視界の端に、ふと、遅れて入って来たミーアベルの姿が移る。
ミーアと目が合うと、うん? っと小首を傾げるベルに、ミーアはグッと言葉を呑み込み……。
「ええ、まぁ……セントノエルとミーア学園との共同研究ということは、そのとおりですし、まぁ、名前の付け方としては妥当かもしれませんけれど……その、この名前の付け方では、わたくしが聖人のように見えてしまわないかしら?」
なにしろ、セントミーアである!
これは、さすがに、ヴェールガに喧嘩を売ることになるのではないか……? っと、ミーアが懸念を表明すると……オウラニアは、パンッと手を打った。
「あははー、もうー、ミーア師匠は心配性ですねー。でも、大丈夫ですよー、ほらー、よく見てくださいー」
そう言って、オウラニアは看板を指さした。
「ここ、セントとミーアの間に、小さく魚の絵が描いてあるじゃないですかー」
「ええ……まぁ、そのように見えますわね」
「だからー、この二つの言葉は、くっつけて読まないで、別々のものなんだーって、ちゃんとわかってもらえますよー。ヴェールガから派遣されてる神官さんにも確認を取りましたー」
オウラニアが視線を向けた先、そのヴェールガから派遣されたのであろう、青年が、ふんふん、っと頷いていた。
……ちなみに、セントバレーヌですっかりミーア色に染められた人である。
「……まぁ、ヴェールガの方がそう言われるのであれば……ううぬ」
ミーアは看板を見上げて、小さく唸った。
――これは、急いでラフィーナさまに手紙を書いておいたほうが良い気がしますわね。ご自分のいないところで、勝手にこんな名前をつけられたら、きっと、気分を害されるに違いありませんわ。
早くも、げっそり疲れを覚えるミーアなのであった。




