第九話 ひっそりと増殖しているらしい
「もうすぐ、ガヌドス港湾国に到着いたします。姫殿下」
護衛の皇女専属近衛騎士に声をかけられ、ミーアは馬車の窓から外に視線を送った。
「ずいぶんと久しぶりですわね……」
以前、来た時にはシャロークの商会を隠れ蓑にしての潜入であったが、今回は隠れる必要もなし。ゆえに、護衛の皇女専属近衛隊を馬車の周囲に並ばせての堂々たる訪問である。
「まぁ、シャロークさんが大丈夫と言っておられましたし、そんなに殺伐としたことにはなっていないと思いますけれど……」
っと思いつつも、内心でドキドキしつつ、窓の外を眺めていると……ふいに、ミーアの視界にとあるものが入って来た!
「なっ……あ、あれ、は……?」
あまりにも……あまりにも衝撃的な光景に……惨状に! ミーア、思わずクラァッ! としかける。
「ミーアししょ―! ようこそ、ガヌドス港湾国へー」
そんなのんきな声が聞こえてくる。
声の主は、スラリと背の高い、見知った少女、オウラニア・ペルラ・ガヌドスだった。
まぁ、それは良い。彼女が迎えに出ていることは、想定内だ。
オウラニアはなんだかんだで、ミーアの弟子を自称する人である。お出迎えに来たとしても、おかしいことはない。むしろ自然だ。
それに、その周りに人々がいるのも驚くことではない。オウラニアはあれでも王女。臣下や護衛の者たちが、やたらと大勢待機していても、不思議ではない。自然なことだ。が……。
「あの旗……なぜ、ガヌドスにあれがありますの……?」
呆然とした声で、ミーアがつぶやく。
そうなのだ……オウラニアの後ろで男が振る旗、それは紛れもなく、セントバレーヌで見た、あの旗だった! あの、ミーアがキラキラ黄金の粉をまき散らし、赤い鎧に身を包んだラフィーナが凛々しい表情を浮かべている……ド派手でちょっぴーり恥ずかしい旗である。
セントバレーヌ直送の巨大な旗を見て、思わずげんなりした顔をするミーアである。
……ちなみに、なぜ、それがあるのかと言えば……、無論、セントバレーヌから運んだのである。
ミーアがセントバレーヌにて、騒動を解決した際、ちょうどそこに一人のヴェールガの若者がいた。ルシーナ司教の下で働いていた若き聖職者である。セントバレーヌで育ち、海や魚に詳しい彼は、新しくガヌドスに立ち上がる予定の、研究施設への派遣を仰せつかったわけだが……。
「セントノエルと、あのミーア姫殿下が作った学園との共同研究か。それならば、あの旗はきっと使えるに違いない。ラフィーナさまもたいそう、お気に入りのご様子だったし……」
そう気を利かせた彼は、急遽、セントバレーヌの商人組合に願い出て、旗を借り受けてきたのだ。
商人組合は、その願いを快諾。さらに、まったく同じ旗を帝都にいるシャルガールに依頼。
シャルガールはその依頼を快諾。そういうことならば、とサービスで、さらに予備に二本、同じ旗を作って、商人組合に送り……。
結果として、例の旗がこっそりと増殖していたりするわけなのだが……まぁ、もちろん、ミーアの知る由も無いことなのであった。
さて、ミーアたちを出迎えたのは、王家の関係者だけではなかった。
オウラニアの隣には、元老議会所属、造船ギルト長のビガスとその娘の姿も見えた。他にも元老議会で見かけたような者たちがチラホラ見えて……。
――ルードヴィッヒが同行していないのが悔やまれますわね。きっちり誰なのか、解説してもらえたでしょうに。
などと思いつつ、ミーアはため息一つ。
あの熱烈な歓迎の中に降りていくのは、疲れそうだなぁ、嫌だなぁ……と思いつつも、さすがに無視して馬車で通り過ぎるわけにもいかない。
オウラニアの目の前で馬車を止めてもらうと、ミーアはサッと馬車から降りた、
「ご機嫌よう、オウラニアさん。お元気そうでなによりですわ」
スカートの裾をちょこんと持ち上げ、華麗に挨拶。オウラニアもそれに合わせて、頭を下げる。
「うふふー、ミーア師匠もーお元気そうでなによりですー。子どもたちも、ベルさんにシュトリナさんもー、元気そうでよかったわー」
ミーアに次いで、馬車から降りて来た一行に、明るく微笑みかけるオウラニア。
それを尻目に、ミーアは、ビガスに声をかける。
「ご機嫌よう、ビガスさん。娘さんも、お変わりないみたいでなによりですわ。いろいろ、ご苦労しているのではないかと心配しておりましたわ」
「お気遣い感謝いたします。おかげさまで、ミーア姫殿下とラフィーナさまのお計らいによって、ヴァイサリアンの受け入れは、大きな問題もなく進んでおります。もっとも、いささか忙しさは覚えておりますが……」
おどけるように苦笑いを浮かべるビガスに、ミーアは上機嫌に頷いた。
「それはなによりですわね。シャロークさんもそう言っておりましたから、わたくし、安堵いたしましたわ」
っと、そんなミーアにオウラニアが小さく首を傾げながら、
「ところで、どうしますかー? ミーア師匠―。先に王宮に行きますかー? それとも、海産物研究所のほうを見ますかー?」
「ああ、ええ、そうですわね……」
ミーア、腕組みしつつ、しばし考えて……。
――正直なところ、旅の疲れもございますし……ちょっぴりお腹も減っているから王宮に行って休みたいところですけど……。先に見ておかないと、気になって休めない可能性もございますわね。
もちろん、オウラニアやビガスらのことは信じているし、シャロークの発言にも一定の信用はおいているミーアであるが、それはそれ。自分の目で見られる時には、きちんと状態を確認して、安心したい。
それこそが、小心者の戦略である!
――相手がルードヴィッヒならばまだしも……一応見ておいたほうが安心できますわね。
ミーアは一つ頷くと、オウラニアのほうを見る。
「そうですわね……せっかくですし、ガヌドス港湾国の新しい風を感じたいですわね。海産物研究所のほうを見させていただこうかしら?」
穏やかな笑顔で言うミーアであった。