第五話 忘れえぬ風景を刻んで
かーん、かかーん! 木の鳴る音。
星々の輝く夜空を、高らかに赤く染める炎と、人々の歓喜の声。
収穫の感謝、再会の感謝、ただ、今日を生きられることへの感謝の気持ちをのせて。
かーん、かかーん! 木の鳴る音。
天高く響く、感謝の音。
ミーアとラーニャ、クロエにベル、シュトリナ、さらにはアンヌとタチアナまで。
ペルージャンの姫君と、異国の客人たちによる演舞は静かに始まった。
それをパティは、ぼんやり眺めていた。
思えば……こちらの世界に来てから、お祭りをよく見るようになった。
皇女ミーアの誕生祭に聖夜祭、ガヌドスでの豊漁祭、そしてペルージャンの祭りだ。
かつてのパティは、祭りとは無縁の子ども時代を送っていた。
クラウジウス家では、こんな賑やかな、楽しい空気を感じたことはない。
みなで今日の恵みを喜び合い、神に感謝をささげる、そのようなことは、あの家には無縁のことだった。
あそこにあったのは……ただただ冷たい呪いだ。
神への、世界への、人への、呪い。
怒り、嘆き、敵意、嘲り、ありとあらゆる負の感情が暗く淀んで滞留する。
パティの心を絶望で塗りつぶすあらゆるものが、あの家にはあった。
――世界はこんなふうに明るくなれるのに……。蛇たちは『こんな世界なんて壊してしまえ』って言うけど、それはただ、あの人たちが見ているものが壊してしまいたくなるような世界だというだけのことなんだ……。
この幸せな光景を壊すなんてこと、パティには考えられなくって……。
「パティ?」
不意に話しかけられて、パティは静かにそちらを見た。
心配そうな顔をしたヤナがこちらを見つめていた。
「……なに?」
「いや、あたしたちの出番みたいだから……」
ヤナの指さすほう、目を向ければ、ミーアたちが手招きしていた。
賑やかな祭りの、人々の囲いの中……。
炎に照らし出された場所、人々の歓喜の渦の中心。
そこに踏み出すのに、パティは一瞬、躊躇する。
あの温かな世界に触れてしまったら、耐えられないかもしれない、と……。再び、過去に戻ることが、できなくなってしまうかもしれない、と……。
そんな予感があったから……。
でも……。
「いこう、パティ」
その右の手を、ヤナが引く。
「いっしょに、いこ。パティお姉ちゃん」
反対の手をキリルが掴み、引っ張られるようにしてパティは走り出した。
それに合わせて、かーん、かかーんっと、アドリブで木の鳴る音。
そちらを見れば、機転を利かせて、ベルが楽器を鳴らしていた。
パティと目が合うと、にかっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「パティ、ほら!」
ヤナが、教わったとおりのステップを懸命に踏む。キリルもちょこちょこと足を動かし、懸命に姉の真似をしている。
誘われるようにして、パティも踊り出す。押し出されるようにして、ミーアたちのほうへ。
かーん、かかーんっ!
木の鳴る音に合わせて、足を、手を大きく動かす。
「今日を、覚えておこう。これから先、どれだけ辛いことがあっても」
「え……?」
不意に聞こえた言葉に、パティは目を瞬かせる。っと、ヤナが小さく笑みを浮かべて、
「どんな時だって、あたしはパティの味方だし、なにがあっても、どこに行っても友だちだから……」
ヤナの言葉に続くように、
「ほら、パティ、こっちですわよ、こっち」
ミーアが手を振り、呼んでいた。
「もっと前に出てもいいですよ……できれば、私が目立たないように……」
遠慮がちにそんなことを言うクロエと、同じく恥ずかしげに頬を赤らめるタチアナがいて。
「ほら、もっと、こう、罠を避ける感じで」
ベルの、なんだか、こう……助言のようなものがあって。その隣でシュトリナがニコニコ笑っていて。
「転ばないように気を付けてくださいね」
優しい笑みを浮かべるアンヌと、
「そんなに難しく考えなくっても、もっと簡単にすれば……わわっ」
ちょっぴりつまずきかけるラーニャがいて……。
気付けば、周りにはミーアの仲間たちが……いや、パティの仲間たちがいた。
温かな、笑顔が溢れる空間……幸せな光景……。
――私が、この時代に来た理由……。過去に持って帰らなければならないもの……。
今日の光景を、心に刻んでおこうと、パティは思った。
ヤナの言ったとおりに……。
過去の世界がどれだけ暗くても……クラウジウス家の中がどれだけ絶望的であっても。
それはいつか終わるのだと……世界はこんなにも明るく愛おしいものなのだと、いつでも思い出せるように……。
事実……その夜の記憶をパティは、生涯、忘れることはなかった。
空には月。一面に輝くは星。
地上で踊るは大きな焚火。その周り、希望に顔を輝かせながら賑やかに踊り明かす人々。
弾ける笑顔に囲まれて、心から楽しい時間。
そこには、大切な人たちがいて、友がいて……。
みなで、いっぱい食べた。いっぱい踊った。
甘くて、熱くて、心がふわふわする時間。
それは、決して忘れ得ぬ風景。
パティをこの先支え続ける、愛おしく、まぶしい記憶であった。




