第四話 友とすべきもの
それぞれ衣装に着替えてお城を出ると、すでに、祭りの準備はすでに進んでいた。
背の低いテーブルの上には、ペルージャン名物のターコースや、新鮮な野菜、ジュワッと肉汁滴る焼肉に、果物などが並べられている。
っと、その一角に黄色いケーキを見つけたミーアは、パティの肩を叩いた。
「ほら、パティ。あれが、カッティーラですわよ? 一つもらって……」
そちらに向かいかけたミーアを、
「ミーアさま……」
穏やかな声が、ミーアの足を止める。
ミーアと同じく、祭りの衣装に身を包んだアンヌだった。
ちなみに、髪型もせっかくなので、ということで、いつもとは違い、頭のところで一つにまとめられている。
「先ほど、ユハル陛下との対談の際にお食べになられていたようですが……」
タチアナから指導を受け、思いを新たにしたアンヌは、むむぅっと眉根を寄せてミーアを見つめている。ミーア、うぐっと喉を鳴らしつつ、
「おっ、おほほ、嫌ですわ、アンヌ。そのように誤解して。わたくしは、ただ、その……パティたちにもらってきたら、と勧めようとしたまでのこと」
それから、ミーアは子どもたちに笑みを浮かべて、
「ほら、みなでもらっていらっしゃい」
ミーアの声に「はーい!」と元気に声を上げ、
「さ、行きましょう!」
意気揚々と走り出したのは……ベルだった。子どもたち……と言ったはずなのだが……。
子分であるキリルを引き連れて、ずんずんカッティーラへと向かっていく。その後を追って、シュトリナとパティが歩いていく。
――あら? ヤナは……?
っと、ミーアが隣に目をやると、なにやら複雑そうな顔をしているヤナがいた。
「ヤナ。どうかしましたの?」
そう問えば、ヤナは、ハッとした顔をしてから……。
「はい、あの……なんだか楽しすぎて、少し怖いなって思ってしまって……」
恐る恐るといった様子で言った。
「はて、怖い……ですの?」
「はい……。去年……セントノエルに来ることになってしばらくは、あんまり生活が変わりすぎて……それに慣れるのに必死だったから、こんなことは考えなかったんですけど……」
静かに視線をキリルたちのほうに向けて、ヤナは続ける。さらり、と前髪が揺れ、その額の刺青がかすかに見え隠れした。
「今年の夏は、セントノエルのみんなと聖ミーア学園に来て……それがすごく楽しくって……今日も、キリルがあんなふうに楽しそうにしてるのを見て……それが嬉しくて。だから、怖いなって思ってしまったんです。こんなふうな幸せが、当たり前になっていることが」
一年半前まで、ヤナは海賊の末裔として蔑まれていた。
貧しさは、彼女の人生の大半を共にした旧友、弟の食べ物を探さなければ、という緊張感は、寝ても覚めても彼女に付きまとった悪友であった。
「ミーアさまのところにいれば、ずっとこんなふうに幸せでいられるんだって……。それはわかっているんです。でも、ある日、突然に、この幸せな日々が取り去られてしまったら、それはすごく怖いことだなって、そう思ってしまって……」
幸せが当たり前になってしまった時……唐突に昔と同じ地獄に落とされたら……と。ヤナは、そう想像してしまったのだろう。
ミーアは静かにヤナの頭を撫でてから……、
「なるほど。その考え方は、とても大切ですわ」
しみじみとした口調で言った。
その気持ちは、ミーアにはよくわかった。
ヤナの囚われた感覚、それは、自身が常々持っている「ひょっこりギロちんと出会ってしまうんじゃ?」という危機感に似ているのではないか、と……ミーアは、そう思った。
ならば、先達としての心構えを説いてやることもやぶさかではない。
教育者たるミーアは、したり顔で頷いてから……。
「しかし、だからこそ、今、与えられているものに感謝して、しっかりと楽しんでおくことが、大切なのではないかしら? そうしてこそ、苦しいことに出逢った時、再びその楽しさを得るために頑張れるのですから」
そう、ミーアは知っている。
今ある幸福が永遠に続く、などということはあり得ない。むしろ、そんな心理状態は危険なのだ。
永遠に帝国の繁栄が続くと信じていたあの日。否、そんなこと意識すらしていなかったあの日。
転がるように革命と断頭台へと転げ落ちて行ったミーアである。
ギロちんは、どこにでもいる。
どこからでも駆け寄ってくるし、誰かに変装して近づいてくるかもしれない。実に、油断ならないやつなのである。
だから、今、目の前にある幸福が永遠に続くなどと、ミーアは思わない。決して油断してはいけないのだ。
その認識は正しいのだ。そのうえで、大切なことは、なにか?
「未来に何が起きるのかは、人にはわからないものですわ。明日起こることですら、わたくしたちにはわからない。当然、不安にもなるでしょう。されど、明日の不安のために、今日の喜びをも曇らせるのは、もったいないことですわ」
せっかく幸せなのに、明日の不安で今日を憂鬱に過ごす? それはなんの意味もないことだ。非常にもったいないことなのだ。
「だから、今日が、一点の曇りもなく幸せなら、それだけで喜び感謝すべきですわ」
それが、大前提。そのうえで……。
「そして、今日得られた幸せを、ただ一人で味わうのではなく、あるいは弟と二人きりで味わうのではなく、みなで味わいなさい。そうして、明日の不安を分かち合える友を作りなさい。その数は、多ければ多いほど良いはずですわ」
明日、自身が窮地に陥るなら、その時、助けてくれる人を作っておくべき。自分を助け、苦し、援護してくれる友人を作っておくべきである、と。
これこそが、ミーアの小心者の戦略である。
いざ革命が起きた時のために、今日幸せであるうちに、ともかく頼れる人をたくさん作っておくこと。新月地区の神父さましかり、荒嵐や東風しかり、である。
「不安を分かち合える友と……」
「そう、不安と労苦を分かち合い、助け合える友と……ですわ」
それから、ミーアは膝を屈め、ヤナと視線を合わせて。
「少なくとも、わたくしは、あなたを友であると思っておりますわ。喜びを分かち合い、わたくしが窮地に陥った時には助けてくれる友であると……。だから、あなたを不幸が襲う時には、わたくしは、それを分かち合おうと思っておりますけれど……どうかしら?」
オウラニアはもちろんのこと、ヤナは、仲良くしておくと非常に心強い人である。
なにしろ、ガヌドス港湾国には海がある。
ガレリア海をテリトリーとするヴァイサリアン族、そのヤナと友誼を結んでおくことは、なにかあった時の、逃亡の助けとなるだろう。
いついかなる時も、未来への備えを忘れないミーアである。
「友……、あ、あたしが、ミーアさまの……」
ぽかん、と口を開けるヤナに、ミーアは優しく微笑んでから、スッと前方を指さして、
「それに、ほら。あなたの友は、あちらにもおりますわ。あなたのこと、待っているみたいですわよ?」
「あ……」
ミーアが指さした先、キリルが、パティが、ベルが、シュトリナが、こちらに手を振っていた。
「今はただ、目の前の美味しいカッティーラを喜びましょう。これを食べ終えた後の寂しさを思って、今の甘味を楽しまぬことはもったいないこと。そうではないかしら?」
そして、明日のFNYの不安のために、今日のカッティーラの甘味を楽しめないのはもったいない! と、主張したいミーアなのである。
……話の方向が若干、怪しくなってきた気がしないではないのだが……。
「さ、行きますわよ、ヤナ。アンヌも一緒に」
ヤナの手を引いて、ミーアは歩き出す。
慌てた様子のヤナだったが……その顔からは、先ほど浮かんでいた不安の色は消え去っていた。