第百三十二話 事情聴取
別室に移動して早々に、フーバー子爵が口火を切った。
「して、我らにお聞きになりたいこととは、いったいなんでしょうか?」
「そう、ですわね……」
ミーアは、すぐに本題に入っても良いものか……一瞬、考えて後……、念のために神聖典の一節を唱える。
「褒めたたえよ、神の名を。我らの日々の労苦に報い、我ら弱き者を養いたもう大いなる方を」
高らかに声を張り、ミーアはみなに視線をやる。
――確か、蛇は神聖典に拒否反応を示す、という話がございましたけど……。
そうして反応を確認するが……フーバー親子も、ヨハンナも、キョトンとした顔をしていた。
――まぁ、この確認の仕方は確実ではないようですけれど、一応は安心しても良いのかしら……。ん?
その時、ふとミーアは気付く。
自らのかたわら、しっかりついてきたパティが……パティまでもが不思議そうな顔で見上げていたから。
――あら、パティはこの確認の仕方を知らないのかしら?
少々、不思議には思ったものの、ミーアは咳払い。それから、
「失礼しましたわ。先ほどの討論会が素晴らしくて、ついつい、神に賛美を送りたくなりましたの」
ユバータ司教の目のないところでも、さりげなく、信仰に篤い皇女殿下をアピール。万が一にも足元をすくわれないように余念がないミーアである。
一口のケーキは、ミーアの脳みそを活性化させているのだ。
「さて、実はお聞きしたいことがあって、こうして集まっていただいたんですの。まず、ナコルさんにお聞きしたいのですけれど……あなたが先ほど言った言葉、『政治とは集団行動である』というのは、非常に興味深い見解でしたわ」
まず褒めつつ、ミーアは鋭い視線を向けて、ナコルに問う。
「あれは、あなたが自分で考え出したことかしら? 先ほどは“学んだ”というように言っていたかと思いますけれど、なにか、本の知識かしら? あるいは、どなたかから聞いた話か……」
「はい、ご賢察のとおり、私は、その言葉を父の持つ本の中に見つけました。厳密に言えば、本に挟まれたメモによって、ですが……」
「ほう、メモ……」
ミーアは腕組みしつつ、深々と頷いた。
「なるほど、本ではないのですわね」
「はい。切れ端に書かれたものでした」
眉間に皺を寄せつつも、ミーアは唸る。
――地を這うモノの書本体というわけではないのですわね。とすると……。
「ああ、それは兄の残したものではないかと思います」
横から、フーバー子爵が口を挟んできた。
「我が兄、シドーニウスは、時折、そのように思いついたもののメモを本に挟む癖がありました。古の賢人の本を読みつつ、そこから得られた知識をどのように若者に伝えるか、日々考えている人でしたから。自らの考え付いたことを忘れないように、その都度、メモして残していたのだと思います」
「なるほど……先代フーバー子爵のメモ……」
「はい。日夜、本を読み、グロワールリュンヌの学生たちをよりよく導くために思索を深める、そういう人でした」
「そう……なんですのね」
正直、よりよく導くに関しては、一言、物申したくはなるものの、それをグッと呑み込んで、それからミーアはパティに目を向ける。っと、パティも無言で頷いて応える。
――やっぱり、そういうことですわね。蛇の知識を書いたメモが、ところどころに残されている、だから、断片的な知識は得られても、蛇の核心、秩序を破壊し、混沌を招くというあたりまでは教えられていないのですわ。
そこまで考えたところで、ミーアは小さく首を振る。
「いえ、そう判断するのは、早計かもしれませんわ……」
自分にとって都合の良い情報こそ、信じやすいもの。
今年は不作だったかもしれないけれど、来年は大丈夫だろう。きっと今年少なかった分、例年以上の豊作年で、切り崩した備蓄も回復するに違いない。
そんな楽観主義に毒されて、斃れていった貴族が何人いたことか……。
――結論を出すにはまだ早いですわ。もっとじっくりと、そのシドーニウスさんという方のことを聞き出さなければ……。
「ああ、シドーニウス……フーバー子爵か。懐かしいな……。確かに、いつも考え事をしているような、物静かな男だった」
そうつぶやいたのは、マティアスだった。
「しかし……ふふふ」
そこで、マティアスは、なにやら思い出し笑いを浮かべる。
「今だから言えるが……てっきり、私は、母がシドーニウスに好意を抱いているものと思ったのだ」
「なんと! 陛下! それは、パトリシアさまに失礼というものじゃ。パトリシアさまは、表情にこそ出さないものの、当時の皇帝陛下にぞっこんであったことは、陛下もご存知でございましょうに!」
ヨハンナが、抗議の声を上げる。
それを聞きパティが……こう、なんとも言えない、味のある表情を浮かべる。嬉しげでもなく、照れるでもなく、なんというか……実に胡散臭そうな顔をしていた!
えー、ぞっこんとか、本当かよ……とか、思っていそうな、しかめっ面だ!
そんなパティの様子になどまったく気づかずに、マティアスは頷いた。
「わかっている。一度、聞いてみたことがあるからな……。フーバー子爵には悪いが、実に嫌そうな顔をされてしまった」
「滅相もございません、陛下。皇太后さまと兄が、そのような恐れ多いことにならず、安堵しております」
恐縮するフーバーに一つ頷いてから、マティアスは言った。
「恐らく、母はシドーニウスが子を成さなかったことを気にかけていたのであろうな。子爵家の存続にも、グロワールリュンヌの教育にも影響があることであろうしな……」
――ふむ、パティが気にしていたというのは、少々、気になりますわね。
チラリ、とパティに目を向ければ、パティは小さく頷いてから、
「……やっぱり、疑わしい人物のように思います。先代のフーバー子爵は……」
囁くような声で言った。
――パティがそういうのであれば、もう少し、話を膨らませてみましょうか。
ミーアは一つ頷き、フーバー子爵に目を向けた。
「シドーニウス殿……先代、フーバー子爵は、実に興味深い人物のようですわね。それに、わたくしも気になってしまいますわ。なぜ、子を成さなかったのか……。貴族にとって世継ぎは必須な物ですし……。なにか考えがあったのかしら?」