第百二十一話 ミーア姫は揺らがな……くもなかったかも……?
「目の付け所は間違っていないだろう? シオン王子」
そう言って、ランベールは得意げに地図を広げた。
レムノ王国北に位置する王都。その左下にあるのが現在、ミーアたちがいる町『セニア』だ。
セニアのそばには、王国中央部を走る太い街道が、南方のドノヴァン伯爵領まで伸びていた。
「この街道を使った補給路を分断するか。この街道を通らずに行くことは?」
「できなくはない。が、簡単でもない。どちらにせよ、準備にはそれなりに時間がかかるだろう」
レムノ王国が他国に比して誇るもの、それは精強な軍隊……ではない。
真に、かの国が誇るべきもの、それは国内に整備された広い街道だった。
――各貴族内を繋ぐ太い街道、それを前提とした高い機動力を持った即応軍。それがレムノ王国の強みだと、キースウッドは言っていたな。
通常では機動力が低い歩兵すらも馬車に乗せて輸送することで実現した高い展開力と、円滑な補給線の構築。
それこそが、精鋭な中央即応軍の戦力を集中運用することを可能とするものだった。
完成された防衛の仕組み、もしそこにさらなる増強を加えるとすれば、それは内向きのものではなく外向きのもの、すなわち……。
ランベールは、考え込むシオンをさらに揺らすように言葉を続ける。
「だが、そうした戦術的な話よりも、もっと大切なことがあるだろう。シオン王子、この国の王政府は、民を弾圧するために金剛歩兵団という強力すぎる兵力を派遣したのだ。それだけでも、彼らには民を率いる資格がないとは思わないか? 幸い、いまだに戦端は開かれていないが……、もし一度戦いが始まれば……」
思わず、シオンは言葉を飲み込んだ。
そう、その一事のみを見ても、王政府に非がないとは言えないのだ。
一方的な虐殺が行われようとしている……、それを黙って見過ごすことなどできようはずがないのだ。
――様々な事情はあろうが……、民に重税を課した挙句、民の代弁者たる家臣を投獄。それだけでも、民の上に立つ資格はないのではないか? ミーア姫の付き添いで来ただけのつもりだったが……こうして国内の事情を知ることができて、革命派とつながりが作れたことは僥倖だったのではないか……?
カチャリ……。
思考の沼に沈み込みそうになったシオンの耳に、不意に陶器のぶつかる音が聞こえた。
視線を転じれば、そこには、すまし顔で紅茶をすするミーアがいた。
満足げに息を吐き、微笑みすら浮かべているミーア、心なしか、その頬はかすかに紅潮して、つやを増しているように見える。
その余裕の顔を見て、シオンは、すっと頭が冷えたような気がした。
――呑まれかけていたな……俺は。
扇動者、ランベール。
目の前の男は、侮りがたい魅力を持っている。
その言葉には人の心を魅了する、詐欺師のような巧みさがあった。
「私は、この国を変えたいのだ。こんな不条理がまかり通るような国を……」
「革命を邪魔するものではなかったかな? 俺たちは……」
詐欺師の話を長く聞いてはいけない。シオンは話を変えるべく口を開いた。
「あなたたちの仲間の、確かジェムとかいう男が、そう言っていたのだと聞いたが……」
「ああ、そうだったね……」
ランベールは笑みを浮かべて、ミーアの方に目を向けた。
「それも何とかしようと思っていた。ミーア・ルーナ・ティアムーン」
「はぁ……?」
きょとん、とした顔で首をかしげるミーアに、ランベールは続ける。
「我々の崇高な抵抗運動を邪魔するようなことをしてほしくないのだ」
ランベールは会話をしながら、ジェムの言葉を思い出していた。
サンクランドの王子とティアムーンの皇女がこの国に潜入してくること。
シオン王子は味方につけるべきだが、ミーア姫の方は革命を阻害する恐れがあるため、シオン王子に気づかれないように排除すべきこと。
――だが、愚かな妹のせいで、それはかなわなくなった。
この期に及んで、ミーア姫を害すようなことがあっては、シオンの協力を得ることはままならない。
であるならば、次善の策をとるべきだ。
――ミーア姫をも味方につけるか、最低限、口を閉じておいてもらわなければならない。
幸い、相手は少女だ。いろいろと噂を聞いてはいるが、しょせんは子ども。
――簡単に言い含めることができるだろう。
そう考えていたランベールは上機嫌に笑みを浮かべる。
「まぁ、今日はいろいろあって疲れたんじゃないかな? よければ、今日はここに泊まっていくといい。王宮並みとは言えないが、大きな風呂とベッドがあるだろう」
「まぁ! お風呂!」
目を真ん丸にするミーアに、ランベールは内心で笑みを浮かべた。
――ティアムーン帝国皇女は無類の風呂好きか。噂に聞いた通りだな。
この調子で、接待していけば、ミーアの心を掴むのも時間の問題……。
内心で皮算用を整えるランベールであった。