第百二十五話 ギロちんフェロモン
「女性が帝位を継ぐ、などという可能性は考えてもみませんでしたけど、それは素晴らしい考えですわ。もしそんなことが可能であれば、妾が女帝となることもできる……もしも、女帝になったら、大きな黄金の像とか建ててみるのも良いかもしれませんわね」
なぁんて、つぶやいているカルラである。るんるん体を弾ませつつ、口元がニマニマ緩んでいた。
「……いや、それ以上に、あの小麦畑アート……。あの刹那の美を妾も……。いえ、ミーア姫殿下以上のものを……いっそのこと帝都と同じぐらい大きなものを作らせて……うへへ」
……カルラは、なんというか、こう……俗物だった。紛うことなき、俗物なのであった!
正直なところ、トップになると不味い類の人物であった。
そんな彼女の様子を見て、ミーアは危険な香りを嗅ぎ取った。
――これは……、なにやら、かつてのわたくしと同じような匂いを感じますわ!
それは前時間軸のミーアも纏ったことのある危険な香り……ギロちんを引き寄せる、いわばギロちんフェロモンとでもいうべきものだった。
こいつを帝位に就けるのだけは、絶対にまずいぞ! とミーアが直感したのと、ほぼ同時、同じ危機感を持っている者がいた。
それは……。
――ここで口を挟んでくるのは想定外だぞ、くそったれ!
話を上手いこともっていこうとしていたヤーデンである。
エメラルダの意向を汲んで、適度に反論しつつ、最終的には敗者を演じるつもりであったヤーデンだが、ここでカルラのまさかの発言。思わず頭を抱えたくなっても無理からぬところだろう。
――ええい、こうなればっ!
彼は静かに視線を転じて、聖ミーア学園の者たちに問いかける。
「その……こういったご令嬢が皇帝になる可能性があるのですが……どうだろうっ!? どう思われるだろうかっ!?」
声を荒げて、問う!
……ヤーデン、ヤケクソである。
「まっ! それはあんまりというものですわ、ヤーデン殿。妾を侮辱しようとしておりますの?」
なぁんて、プリプリ怒っているカルラであるが……ヤーデンはチラリとブルームーン公爵夫人のほうに目を向け……その怒りがカルラのほうに向かっているのを確認して、あえてスルー。
――あとで、ヨハンナさまに怒られるだろうから、カルラ嬢については問題ないだろう。無視でいいな、うん……。
それから改めて、辺りに目を向け、自身の発言が意外と効果的であったことを知る。
そうなのだ、帝国の叡智(の虚像)によって、今まで忘れられていたことではあるのだが、帝国貴族の中にはポンコツもいれば、悪人もいる。
無論、それは四大公爵家の者であっても、例外ではない。そんな者がもしも継承権を与えられ、女帝になってしまったら、どんなことになるのか……?
カルラは身をもって、その危険性を見せつけてくれたのだ。まぁ、本人にはその気はなかっただろうが……。
「……それは、確かに」
同意の声は、グロワールリュンヌの学生のみならず、ミーア学園の学生たちにも広がった。
「いえ、でも、それは個人の資質ではないでしょうか。そこに男女差は関係ないのでは……」
沈着冷静に、セリアが正論を差し挟もうとするも……。
「残念ながら、そうとばかりも言えないと思う」
ヤーデンは再び首を振ってみせた。
「先に言っておくが、カルラ嬢は悪人ではない。それに、彼女の実家ブルームーン家の考え方自体が悪ということでもない。それは、私が保証しよう」
軽くブルームーン家並びにカルラにフォローを入れつつ、ヤーデンは続ける。
「彼女の、先の『責任感』を欠いた発言は、ひとえに、彼女に、統治者となるのに必要な覚悟がないから、ではないだろうか。我が帝国は伝統的に、男児が家督を継ぐことを常識としてきた。それは、統治者として、民の上に立つ者としての責任を育むのに一役買ってきたのだ」
生まれついての男女の資質の差を論証しようとする場合、頼るべきは神聖典ということになる。人間の始まり、神は人間をどのように作り、男と女とをどのように設計したのか、という辺りの話になってしまう。
しかし、神聖典を読み解く限りにおいて、そこに明確な差は見出しづらい。
ヴェールガ公国が聖女ラフィーナに権威を与え、将来的には政治的な権限もおそらくは与えるであろうことからもわかるが、ヴェールガ公国は女性が権威を持つことに寛容だ。神聖典には男女それぞれが尊重されるべきと書かれているがゆえに、である。
同じく、血統による継承というのも、実は論拠が薄い。
あくまでも、権威を認めるのは神であり、論拠となるのは神聖典である以上、血統に関することはあくまでも単なる慣習に過ぎない。論拠としては弱い。
それゆえ、ヤーデンは後天的要因に論拠を求めた。帝国の伝統によって形成される要因、同一の学校において、同一の教育を受けていてなお生まれてくる差。
『将来、家督を継ぐ』
『領主となる』
『民を率いる者となる』
それらの認識と覚悟の差。
そこに、ヤーデンは論拠を求めたのだ。
――我ながら、これは、なかなかに説得力があるかもしれないぞ。それに、ミーア姫殿下には当てはまらないから、エメラルダ姉さまに怒られることもなし。
我ながら良い敵役ができているぞぅ! と自画自賛するヤーデンであるが……。
「それは、そのような自覚を持てるよう教育し、常識を変化させていけば、女帝も容認できるようになる、と。そういうことでしょうか?」
問いかけたのは、セロ・ルドルフォンであった。
「あるいは、女性の中で、その資質と責任、覚悟を持ち合わせていれば、家督を継ぐことができるということでしょうか? 僕には姉がいます。僕などよりもずっと民を治めるのに相応しい、力を持った姉です。以前から、僕は姉が家督を継げばいいのに、と思っているのですが……」
ほう、こいつとは、話が合いそうだぞ! などと……、偉大なる姉を持つ弟という共通点を発見し、ちょっぴり親しみを覚えたヤーデンが、口を開こうとした、まさにその時だった。
「それは、秩序を破壊し、混乱を生み出すもとになるんじゃないか……?」
静かに反論の声を上げたのは、ナコル・フーバーであった。




