第百二十四話 ヨハンナの目、赤くなる!
「女帝の是非について……?」
ヨハンナの言葉に、ミーアは思わず内心で舌打ちする。
――これは嫌なテーマを設定されてしまいましたわ。これでは、なにかあっても、わたくしは、ほとんど口出しできませんわ。
なにしろ、ミーア自身にストレートに関係するテーマである。
下手なことを言えば、お前が帝位を継ぎたいから言ってんだろ! とツッコミを受けること、疑いない。
――それは愉快なことではありませんわね。ユバータ司教への印象もあまりよくなさそうですし、さて、どうするか……。
っと一瞬だけ考えるミーアであったが、答えはすぐに出た。
――いえ、しかし……よくよく考えればわたくしのそもそもの目的はグロワールリュンヌの学生たちに農業の大切さを浸透させること。農業振興をしないのは悪だと、もう十分に伝えましたし、これ以上、わたくしが口出しする必要はないかもしれませんわ。
それからミーアは聖ミーア学園の生徒たちのほうに目を向けた。すると、彼らは……力強く頷いてくれた。
――ふむ、それならば、まぁ、任せてしまっても問題ないかしら……。
ミーアは小さく頷いて、
「なるほど、わたくしに異存はありませんわ。確かに、互いの学園からテーマを出すのが公平というものですし……」
こうして、スムーズに次の討論テーマは決まったのだが……。
……その流れに、ヤーデン・エトワ・グリーンムーンは焦っていた! なんだったら、ミーア以上に盛大に舌打ちをしそうになっていた!
――くっ、ヨハンナさま、なかなかに厳しいことを言うっ!
素早くヨハンナ……の隣、興味深そうに話を聞いている皇帝陛下を見て、彼は思わず頭を抱えかける。
――皇帝陛下の前で、女帝の是非を論ずるだと? 下手に女帝反対なんて言おうものなら、ミーア姫殿下への批判だと受け取られるじゃないか!
ふと、彼の視界に一人の青年の姿が入ってくる。ちょうど、見物に来ていたのであろうか、サフィアス・エトワ・ブルームーンが母の言葉を聞いて、驚愕に固まっていた。その顔色は、微妙に悪い。
――だよなぁっ! サフィアス殿! これは、ちょっと無茶振り過ぎだよなぁ! もうちょっと、こう、母君を抑えてもらえると、すごく助かるんですけどねぇ!
グロワールリュンヌのみなの中にも、ヨハンナの言葉の危険性に気付いた者がいるのだろう。誰も、口火を切る様子がない。
先ほど迂闊にも、絹織物と口走った学生など、とてもではないが口を開きそうにない。石のようになってしまっている。
――フーバー教諭は、皇帝陛下が帝国の伝統を重視する方だから大丈夫と確信しているみたいだけど、陛下がミーア姫殿下を優先するのは明らかだ。これは、なんとかしないと……。
眉間に皺を寄せ、うーん、うーん、と唸ること数秒……ヤーデンは静かに手を挙げた。
「まず、確認しておきたいことがあります」
ユバータ司教が頷くのを確認してから、彼は周りの学生たちに目をやって……。
「ミーア姫殿下が、女帝の資質を十分に示されているということは、明らかでしょう。そのお考えには、心から感服いたしました。この場に示された叡智はまさに噂に違わぬもの。我が帝国どころか、周辺のどの国であろうと、ミーア姫殿下の統治を求めることでしょう」
両手を広げ、いささか芝居がかった仕草で、ミーアを礼賛! 大絶賛! 褒めに褒めたたえたうえで……!
「ゆえに、その溢れる資質にのみ目を向けたうえで、ミーア姫殿下が帝位を継ぐべきか? という問いであれば、答えは明らかでありましょう」
答えは明らか……と言いつつ、是非は明言しない。
言葉の流れ的にははっきりしているだろうが、あえて言質を取られるような明言は避け、そのうえで、進める。
「そして、さればこそ、これから討論すべきは、ミーア姫殿下が帝位を継ぐことの是非ではなく『女性が帝位を継ぐこと』である、と。そのことをまず確認したいのです」
皇帝陛下が溺愛するミーア姫殿下の資質に関することではなく、あくまでも、女性が皇帝になることについての議論である、と、しっかりと言明しておく。
そうでなければ、議論などできたものではない。
ふと目を向けると、その正しさを認めるように、ヨハンナが満足そうに頷いていた。
――いやいや、信頼していたぞ! みたいな顔をされましてもね……。それとも、このぐらいのことはグロワールリュンヌの学生ならばわかって当然、とでも思っているんですかね!
ブルームーン公爵夫人の考えをいまいち測りかねるヤーデンである。ともあれ、これで、最低限、議論の状況は整った。
彼は穏やかな表情で続ける。
「そして、我らグロワールリュンヌの側は、当然、女帝を認めない立場を取ろうと思いますが……」
「あら……? そうとばかりは言えませんわ」
直後、ヤーデンの言葉を真っ向から否定する者がいた! そして、その声は、なんと、あろうことか……彼の隣の席から聞こえて来た。
「…………は?」
「女帝、大変、結構なことですわ。妾は、その考えに反対いたしませんわ!」
ぽかんと口を開けるヤーデンの隣……カルラ・エトワ・ブルームーンがキラキラ輝く瞳で言った。
直後、バキンッと何かがへし折れる音。ギクシャクと、そちらに目を向けてみると……。
「あの、馬鹿娘が……」
ヨハンナが、へし折った扇子を手に震えているのが見えた。
そして、その目は……紛れもない激昂のためであろう、赤く染まっていた!