第百十九話 それは不自然なこと……
「ミーア姫殿下、そのように横から口出しされては……」
フーバー子爵が再び立ち上がる。それを見たミーアは、ああ、と小さく声を上げ……。
「それは申し訳ないことをしましたわ。つい興味がある事柄でしたので、自分の意見を口にしてしまいましたの」
朗らかな笑みを浮かべて、ミーアはいけしゃあしゃあと言った。
「これは無粋な介入でしたわね。さ、続きをどうぞ」
っと、ミーアは、聖ミーア学園の学生たちに話を振る。
――すごいな、ミーア姫殿下。すっかり、ご自分のペースに持ち込んでいるぞ。
それを見たヤーデンは、思わずといった様子でため息を吐いた。
――これは、フーバー教諭とは格が違うな……。だが、それ以前に……。
ヤーデンの感覚が訴えかけていた。ミーア学園の主張を覆すことは、極めて難しいということを。
聖ミーア学園の生徒たちは、優秀だった。
いくつかの種類の小麦を用いた交配実験、他の植物と合わせて植えた時の実験、種を蒔く時期に関する実験。さらに、小麦の種類と合わせた料理の開発などなど。
そこには隣国ペルージャンの知識も含まれているらしく、資料にはセロ・ルドルフォンと併記して、アーシャ・タフリーフ・ペルージャン姫の名前が記載されていた。
そのどれもが、ヤーデンの目には、有効なものに映った。ある程度、物のわかっている者ならば、それが読み取れることだろう。
けれど――ミーア学園の主張を覆しがたく思うのは、生徒の優秀者が理由ではなかった。
ではなぜか……? それは……。
――ミーア学園のやり方のほうが自然だから、か……。
その一言に尽きる。
そう、聖ミーア学園で農学を教えること……この帝国の、肥沃なる三日月地帯で農学を教え、農業を進めるということ……それは、ごくごく自然かつ真っ当なことのようにヤーデンには思えた。
湖がある土地で、湖を埋めて畑を作るだろうか? 否、そんなことはしない。湖があるならば、その魚を獲って生活すればいい。あるいは水を引いて、少し離れた平地に畑を作るのでも良い。
土地がまったくないならまだしも、わざわざ湖を埋め立てるのは不自然だ。
同じように農作に適した土地を潰して、なぜわざわざ、別の何かを作らなければいけないのか?
その何かの形もわからぬのに、なぜ、農地にするのを拒むのか? いったい、なぜ……?
――そうだ……我ら貴族の教えは、ひどく……不自然だ。
ミーアが言っているのは、この帝国の土地を生かすのに最も良い方法はなにか、ということだ。
それは、自明の理なのだ。
この帝国では、才能のない者であっても……適当に種蒔きしただけで、多くの収穫を得ることができる。だから、農民は奴隷のごとく、一切の才なき有象無象がなるものだ、と……。
帝国貴族の常識に、刻み込まれている。
すなわち、この帝国の国土は『農業をするのに向いた土地』なのだ。
それが、聖ミーア学園の生徒、セリアやセロ・ルドルフォンの言葉によって解き明かされていく。そう、それは否定のしようのない事実だ。
では……なぜ……? なぜ、こんなにも中央貴族の常識は歪められているのか?
ただ、嫌悪感という曖昧なものにより、なぜ、農業はこんなにも軽視されたのか……?
ゾクリ、とヤーデンの背筋に、得体のしれない寒気が走った。まさに、そのタイミングで、
「美味しいお茶菓子を出されれば、食べるのが当たり前。それが自然というもの……。それを食べないのは不自然……それを実現しようとするには、意志の力が必要……」
お茶菓子を眺めながら、ミーアがつぶやくのが聞こえた。
――美味しいお茶菓子……? いったい何を……いや!
疑問に感じたのは一瞬だった。あの帝国の叡智が(あの姉が大絶賛する、あの叡智が!)なんの意味もないことを、この場面でつぶやくだろうか……。
――否、そんなことは決してない!
あのエメラルダが自慢げに、誇らしげに語っていた皇女ミーアの偉業……それを鑑みれば、ここで無意味なことをつぶやく理由はどこにもない。であれば、あの言葉には意味があるはず……。
――不自然を実現しようとするには、意志の力が必要……。
例えばの話だ。
川の流れに逆らって、落ち葉が流れてくる……などと言うことがあり得るだろうか? 波に逆らってぷかぷかと、布が流れてくるなどと言うことがあり得るだろうか?
あり得ない。そう、あり得ないのだ。川の流れに逆らってくるならば、そこには川を遡ろうとする意志を持った生き物がいなければならない。波に逆らってくるとすれば、その布は、布ではなく生き物……海月かなにかでなければならない。
……まぁ、偉大なる帝国の海月は大抵の場合、波に逆らうような無駄なことはしないのだが、それはさておき……。
ヤーデンは、そこで、ハッと口を開けた。
「この帝国がより栄え、富むための方法、最も単純に、それを行う方法がある。にもかかわらず、それをしないのはひどく不自然なこと。そして、その不自然さは偶然に生まれたものではなく……何者かの意志によってもたらされたもの……?」
ヤーデンのつぶやきを聞いて、ナコル・フーバーが驚きの声を上げる。
「馬鹿な……。つまり、何者かが悪意を持って、この帝国の繁栄を阻害しようとしている、と……? いや、そんなことが……」
彼のつぶやきを受け、困惑が広がっていく。
グロワールリュンヌの生徒たちの間に――そして、今日はお紅茶だけにしておきましょうか……などとちょっぴり気落ちした様子のミーアの顔にも!
「ミーア姫殿下! 要するにおっしゃりたいのはそういうことではないのですか? 何者かが、悪意を持って、帝国貴族の認識を変えようとしているのだ、と……」
みなの視線が、一斉に、ミーアのもとに集まっていき……!
「はぇ……い……、まぁ……その、そういう感じですわ」
ミーアは深々と頷き、堂々たる仕草で紅茶のカップを持ち上げるのだった。