第百十七話 クソメガネの教え、脈々と2
「ミーア姫殿下……」
っと、少しばかり慌てた様子で立ち上がったフーバー子爵に、ニッコリ笑みをみせて、
「ふふふ、そうですわね。確かに、少々、話がわき道に逸れてしまうかもしれませんけれど、それでも、実に興味深いお話でしたから、ぜひ、もっと深く聞きたいですわ。グロワールリュンヌの方の見解を」
あくまでも、グロワールリュンヌの意見に耳を傾けるだけですよ、という体で、ミーアはグロワールリュンヌの学生たちのほうに目を向ける。
「農地より価値のある土地の使い方があるのであれば、なるほど、確かに、農地にしておくのは無駄という理屈になるでしょう」
その論理は一見すると正しいように感じる。が……。
「では、具体的に、農地より価値のある使い方というのは、いったいなにかしら?」
言いつつ、ミーアは横目に誰かを探す。その男は壁際に立って、討論の様子をジッと眺めていた。ミーアと目が合うと、ハッとした顔で頭を下げる男……ルードヴィッヒ。
ミーアの脳裏に、忠臣、ルードヴィッヒ・クソメガネ・ヒューイットの声が甦る。
「ルードヴィッヒ、わたくし、良いことを思いつきましたの」
ある時、ミーアは、得意げに言い出した。
ミーアは昨晩、考えたのだ。
帝国の状況を改善するために、どうするのか……。
ルードヴィッヒは言っていた。帝国の問題点は入ってくるお金より出て行くお金が多いことだ、と。それをなんとかするにはどうするか……。
解決は、極めて簡単なことではないか!
「帝国の問題を解決するには、出て行くお金より、入ってくるお金を増やせばよい。つまり、小麦一袋を金貨百枚で輸入するならば、その倍の額、外国に輸出すればよい。それだけで、帝国の財政は回復する。非常に簡単な話ですわ!」
得意げに胸を張るミーアを静かに眺めたルードヴィッヒは……
「なるほど、素晴らしい見識ですね。私が教えたことがよくご理解できているようです」
っとにこやかに拍手をした後、
「では、どのように輸出を増やすのか……、具体的にはどうすればよいでしょうか?」
真顔で尋ねて来た。
「…………はぇ?」
「この帝国の、どのような物を売りましょうか? なにか、他国が欲しがる物がこの帝国に残されているでしょうか?」
「え、えーっと、ああ、ほら、お母さまのご実家の絹織物、とか……?」
「コティヤール侯爵領はすでに革命の火で焼かれました。産業が回復するまでにはしばらくの時間が必要となるでしょう」
「ええと、それでは……宝石、とか……?」
「残念ながら、我が帝国には名産品となるような宝石はほとんどありません」
「え、えええと、あとは……うーぬぬ……」
っと唸るミーアに、ルードヴィッヒは、ふっと笑みを浮かべて、
「申し訳ありません。我ながら意地悪をしました」
そっと眼鏡を押し上げてから、彼は言った。
「本来、そのようなことは、我ら臣下が考えるべきことだと思います。なにを売るか、なにを作るかなどは、皇女殿下御自らが考える必要はないでしょう」
「なっ!」
あまりの言葉を失うミーア。しかし、考えてみればそれも当然のことで……。
――そっ、そうですわ! わたくしがそんな細々したことを考える必要もなければ、知っている必要だってございませんわ! ぐぬぬ、このクソメガネ……また、意地の悪いことをねちねちと……。
っと、怒り心頭のミーアに、一転、ルードヴィッヒは真面目な顔で、
「しかし、どうか覚えておいていただきたいのです。ミーア姫殿下。あなたの言葉は……とても重いものなのです」
「はて? 重い……とは、どういうことですの?」
「あなたの希望を通すために時に軍が動き、民衆が犠牲になることもある、ということです」
その言葉は、鋭く、ミーアの胸を抉った。
「あなたは、輸出すればよいという。輸出して、小麦を買う金を作れという。しかし、現状、帝国に、そこまでの輸出品はないのです。小麦を賄うだけの品はないのです」
改めて聞かされる帝国の惨状。革命軍に削り取られ、焼かれ、帝国は今まさに死に瀕しているのだ。
「にもかかわらず、あなたが、その命令を下したらどうなるでしょうか。その命令を実現するために、兵たちは民草の持ち物を徴収し、他国へ売り渡すかもしれない。それだけならばまだ良いでしょう。しかし、それで足りなければ、民の子を、男を、女を、民自身を、奴隷として売って外貨を得ようとするかもしれない。むしろ、必要な小麦の量を減らすため、民の口減らしのために、積極的に、奴隷売買に手を染めるかもしれない」
「そっ、そんなことしろとは、わたくしは言っておりませんわ」
慌てて主張するミーアだったが、あくまでも冷静にルードヴィッヒは首を振った。
「それはわかっています。しかし、状況を一切理解せずに下される命令は、下々の者たちに無理を強い、時に最悪の忖度という形で実現してしまうのです」
上の者の無責任な命令を、絶対に不可能な命令を……実現するために、下々の者が過激化し、取り返しのつかない悲劇を生む。それは現実として、今まさに、帝国各地で起こっていることだった。
貴族の暴虐は、貴族本人によるものばかりではない。無知ゆえの無謀な命令によって、臣下が起こしていることも多いのだ。逆に、臣下が、領主の無茶な命令を大義名分として、好き勝手に振る舞うというケースも存在する。
「ミーア姫殿下、私は、上に立つ者がすべてを知っている必要はないと思います。具体的な方策を考える必要もないとも思います。されど、あなたは、ご自分の言葉の重さに釣り合う程度には、物を知らなければならない。ご自分の言葉によって、どのような事態が起こるのか、ある程度はわかっていなければならない、と私は考えます。少なくとも、絶対に不可能な命令は出すべきではない。その命令の可否を必ず家臣に問うべきだし、家臣があなたに否と言える関係を築いておかなければならない。そのためにこそ、私は、あなたに教えているのです」
その言葉は、ミーアの魂に確実に刻まれていた。
だからこそ、ミーアは思うのだ。
できるかできないか判断してくれる、知恵袋をそばに置き、自らはイエスマンに徹しようと!
まぁ、一応は、勉強のほうもそれなりに頑張るつもりではあるのだが……それはさておき。
――フワッとしたことを言うやつには、具体的にという言葉が意外と利くんですのよね。
ミーアは、経験則に則って、もう一度尋ねる。
「具体的に、農地より優れた価値のある使い方とは、どのようなものかしら?」
腕組みしつつ問う。
――あの時は、したり顔で、具体的には? とか聞いてきてましたわね……クソメガネ。あれには、ムカつきましたけれど……ふっふっふ、こうして自分でやってみると、実に楽しいですわ。
「具体的に、ですか?」
その問いかけに、ナコルはわずかばかり言い淀む。その隙を逃さずに、ミーアは質問を重ねる。
「ナコルさんだけでなく、他の方も、なにかございますかしら? 農業が、下賤なものであるとするならば、それよりも貴い、価値ある土地の使い方とはどのような物なのか……」
そうして、ミーアは視線を向ける。
「わたくし、ぜひ聞いてみたいですわ」