第百十六話 クソメガネの系譜、脈々と……
「では、農学というテーマで、聖ミーア学園の研究についてお話しさせていただこうと思います」
そう言って、セリアが立ち上がった。合わせて、用意していた資料を、ワグルが全員に配っていく。
「近年、帝国の小麦の収穫高が落ちているということを、ご存知でしょうか?」
セリアが指し示した資料には、帝国のいくつかの土地の収穫高についての数値が書かれていた。ルードヴィッヒの同輩、バルタザルとジルベールのまとめたものを、ミーア学園の教材として使っているのだ。
将来、赤月省や青月省に“物のわかっている”官僚が増えてほしいという、切実な願いの結晶だ。
「旧来の小麦の収穫高は、この夏の寒さでかなり低下しています。その減少量は、領民たちを飢えさせるほどで……」
「それが、どうしたというのだ?」
グロワールリュンヌの男子学生が遮るように言った。
「どうした……というのは、領民が餓えても問題ないと……?」
一瞬、セリアの目つきが鋭くなるが、男子学生のほうは涼しい顔のまま、
「いや、そうは言わん。しかし、帝国内で獲れなければ、ペルージャンなり、周辺国から買えばいいではないか」
その言葉に、周りの学生たちも、同意を示すように頷いている。
――そう。これが彼らの常識ですわ。なければ買えばいい。それが、帝国貴族の一般的な認識。いえ、むしろ、領民を飢えさせないという立場をとっている分、良識的な見解と言えるかもしれませんわ。まぁ、ユバータ司教の手前ということもあるでしょうけれど……。
そして、その、他国から買えばいいというのは、前時間軸のミーアの認識でもあった。
ないのなら、ペルージャンやガヌドス、ヴェールガ辺りから買えばよいのだ。自分たちのもとにおべっかを言いに来る商人など、吐いて捨てるほどいる。
「小麦を買ってやる」と言えば、奴ら、きっと涎を垂らして喜ぶぞ! むしろ、買ってやれば、今後もごひいきに、と、なにか手土産も持参するかもしれないではないか。
門閥貴族は、食糧不足を、適当に金で解決できる問題だと考えている。
――けれど……問題は買える小麦があるとは限らないということ。そして……商人は、彼らの考えるほど甘くはないということですわ。
供給量が不足している時に、小麦を欲すれば、その値段は法外なものとなる。ミーアが実体験として知っていることである。
そして、その仕組みをも、ミーアはルードヴィッヒから聞いていたのだ。
――わたくしが欲しいケーキは、みんなも欲しい。だから奪い合いになり、より高い値段で買うと言った者のもとにいく。とてもわかりやすい話ですわ。
あのわがまま皇女ミーアでもちゃんと理解できるように説明した、クソメガネの苦労が偲ばれる話であった。まぁ、それはさておき……。
「そうですね。実際に、小麦が不足した地域では、他国、他領から来た商隊から買い付けて、その不足分を補っています。けれど、その結果はどうでしょうか?」
セリアは変わらず、落ち着いた口調で言う。
「その領地からは、本来不要なはずのお金が外に逃げています。本来、別のことに使えたはずのお金が小麦に使われた。それも、輸送費のかかった、通常よりも遥かに割高の小麦に……です。それは無駄な支出と言えるのではないでしょうか」
セリアは指摘する。
自領の小麦が不足したがゆえに『無駄』が生まれた。そのお金が、あれば、なにか別のことができたのではないか、と。
「農学は無駄を出さぬための学問。それどころか、飢饉の際には、金銭を稼ぐ大きな力になると思います。ここで、聖ミーア学園から寒さに強い小麦の提供を受けた、ベルマン子爵領の収穫高、並びに財政状況をお知らせしたいと思います」
セリアの言葉を聞きながら、ミーアは感心していた。
――なるほど。考えましたわね、セリア。農業を領内の経済状況と結び付けて、農学の価値を語ろうとしている……貴族にもわかる価値観で説明しようとしておりますわね。
飢饉における犠牲者の数は産出することはできない。なぜならば、大飢饉は起きなかったからだ。
あの地獄を実際に経験すれば一目瞭然のことであっても、それを見せることはできない。
それに、仮に寒さに強いミーア二号がなかったとしたら……などと言う試算を出すことには、あまり意味はないだろう。なぜなら、それは起こらなかったことだからだ。
しかし、財政的な状況であれば、目に見える形の利益・不利益という形で提示することができる。しかも、貴族に理解できる価値観で。
貧民がどれだけ死のうとも、貴族の心を動かすのは難しい。けれど、自分たちが使える金が減ると言われれば、グロワールリュンヌの学生たちだとて、無視はできないはず。
そして、それゆえに、ミーアネット……すなわち、ミーアが手配した食料援助に関しては、勘定から抜いてある。話がややこしくなるために、あえて省いてあるのだろう。足りなくなっても、ミーアネットに助けてもらえるんだから、無駄な支出は出ない、などと言われては元も子もない。
――しかし、この『相手にわかる形で説明する』というのは、ちょっぴりクソメガネみがありますわね。クソメガネは、わたくしにわかるように説明するのは骨が折れるとかなんとか言っておりましたし……
セリアの言葉を受けて、立ち上がったのは、ドミニク・ベルマンだった。
「我が領地、ベルマン子爵領では、聖ミーア学園に農地を解放しました。複数の農村にミーア二号小麦を提供した結果、収穫高は、例年とほぼ変わらぬ量を維持しています。通常の小麦の不足分をミーア二号小麦で補った結果、隣接の領地にも売ることで、財政的にも微増が見られると……」
「ふふ、ベルマン子爵領では、まぁ、そうでしょう」
どこか馬鹿にした口調で、グロワールリュンヌの学生が笑った。ミーアは、その顔に見覚えがあった。
――あの顔、どこかで……。ふぅむ、どこでだったかしら……?
首を傾げるミーアの前で、その男子生徒は続ける。
「この僻地では、他に外貨を稼ぐ手段はない。領内に目だった才ある者もいないのでしょう? ならば農作物に頼りたくなるというのもわかる。しかし、我ら中央貴族にとってはそうではない」
彼はセリアのほうに視線を向けて……。
「先ほど、そちらの娘が言った『無駄』という点で言うならば、農地に使う土地は無駄になるのではないか? 領地は有限。であれば、もっと価値のあるもののために使うべきでしょう」
――ふむ、これは、なかなかに手ごわいですわね。
セリアの攻勢で早々に決まってしまうのではないか、と思っていたミーアであったが……どうやら、話はそう簡単ではないらしい。
――まぁ、この帝国建国以来の呪いですし……この機会に根の部分から掘り起こしてしまうべきですわね。
ミーアは、ニッコリと笑みを浮かべて、
「なるほど。そちらの方……ええと……」
「お初にお目にかかります。ミーア姫殿下。私はフーバー子爵家の長男、ナコル・フーバーと申します」
「ほう、あのフーバー子爵の……なるほど」
ミーアはチラリとフーバー子爵に目をやってから……。
「わたくし、あなたの話に興味がございますわ。農地よりも価値のあるものとは、どのようなものかしら?」
きょとん、と首を傾げてみせるミーアであった。




