第百十五話 大将軍ミーア・ルーナ・ティアムーン、開戦を告げる!
ミーアが入室してから待つことしばし、ユバータ司教が入って来た。その後ろには、ルシーナ伯爵家の兄妹が続く。
裁定役のヴェールガ勢が席に着くのを待ってから、ミーアは静かに口を開いた。
「みなさま、お揃いですわね。昨日は、歓迎パーティー、お楽しみいただけましたかしら?」
そんなミーアの問いかけに、ヤーデン・エトワ・グリーンムーンが立ち上がる。
「昨日は、素晴らしい歓迎会を感謝いたします。ミーア姫殿下。我ら、グロワールリュンヌ校の一同、姫殿下のお計らいに、心から感謝をおささげいたします。それに……」
なにか言いたげな顔をしてから、ちらり、とヤーデンが視線を向けた先……、そこにはヨハンナと、ティアムーン帝国皇帝マティアスの姿もあった。
――ふむ、これはほめ過ぎるとヨハンナさんにお叱りを受けると考えたか……。しかし、お父さまの手前、わたくしの学園に対する礼も尽くす必要があるか……とか考えているのかしら……。
色々と葛藤を抱えていそうなヤーデンに、ミーアは助け舟を出すことにした。
「その言葉、きっと我が聖ミーア学園の者たちも喜ばしく思うことでしょう」
ミーアの側で、ヤーデンからのお礼を学園のお礼へと転化してしまう。それから、余裕たっぷりの態度で辺りを見回し……。
「さて、本日は討論会によって、お互い存分に、議論を戦わせていただきたいですわ。無論、戦わせると言っても、昨日も言ったとおり両校は敵同士ではありませんけれど……」
大切なことなので、もう一度、強調しておく。
そう、敵同士ではない。どちらの学校が勝とうがミーア的には構わない。
むしろ避けるべきは、相手を倒すために不毛な罵り合いになること。揚げ足取りをしあうこと。それでは議論が深まらない。
グロワールリュンヌの学生の意識改革こそがミーアの真の勝利である以上、きちんと意義のある議論をしてもらわなければならない。
――それと、きちんとテーマを設定してあげることも肝要ですわね。
そう考えつつ、ミーアは静かに言葉を連ねる。
「あまり内容を絞らずにいては、有益な議論もできないことでしょう。であれば、ここはやはり、両校の意見が別れそうなものをテーマにして、話し始めるのがよろしいのではないかしら……」
そうして、ミーアは微笑んで、悠然と告げる。
「討論のテーマはずばり『農学』でいかがかしら?」
「ミーア姫殿下、それは……」
腰を浮かそうとするフーバー子爵。ミーアは、チラリと横目を向けて、
「あら? それほど驚くことでもございませんでしょう? 聖ミーア学園の一番の強みは農学ですし……。最大の功績もまた、寒さに強い小麦ですから。パライナ祭についても、そのテーマで参加することになるでしょう」
それから、静かな目でグロワールリュンヌの学生たちを見つめて……。
「そして、言わずもがな、グロワールリュンヌの者たちにとって、農学は否定されるべきものでしょう? 帝国貴族の間では、農業をする者は才なき者という扱い。帝国の国土は、非常に恵まれた土地ゆえに、なんの才能もなくとも、農作物はできる。簡単に収穫を得られる。だからこそ、それは才なき者のすることだ。さらに言えば、農業などと言うつまらないものは、属国であるペルージャン農業国にやらせておけばよい、と、そのような常識がまかり通っているのではないかしら?」
ミーアが口にした常識、それは徹底して叩くべき、初代皇帝がこの帝国の施した呪いの縛りだ。その恐ろしさに気付いている貴族が、はたして、どれだけいるだろうか。
――この討論会はグロワールリュンヌの者たちに気付かせるためのもの。あのクソッたれな初代皇帝が確立した反農思想を明らかにするためのものですわ。だからこそ、きちんと言葉にしてあげませんと……。
と、その刹那……ミーアは不意に、とある想いに囚われる。それは……。
――ああ、そうか。そういう意味ではこれは……過去の初代皇帝との戦いということになるのではないかしら……?
それは、帝国を縛って来た古き呪いを、白日の下に晒すための戦い。
初代皇帝の確立した滅びの仕組み、悪しき価値観との戦い。
敵は、これまでの歴史の流れによって固められた、極めて強固な、ティアムーン帝国の伝統だ。
対して味方は、ミーアが絆を築いてきた者たち。
そして――この帝国の未来をより良きものにしようという意思を持つすべての者たちだ。
――だから、わたくしは、グロワールリュンヌの生徒たちを敵だと思えないのですわね。なにしろ、彼らとて、決してこの帝国の滅びを望まないでしょうから……。
結局のところ、グロワールリュンヌの生徒たちというのは、かつての自分と同じものなのだ。
前の時間軸において、なすすべもなく滅びに堕ちていった被害者なのだ。
中央貴族の者たちの、そのほとんどは、断頭台にかけられたかどうかは別にして、破滅させられたのだ。
蛇に……あるいは、初代皇帝に。
――そして、ミーア学園の生徒たち、孤児たちや平民の出の者たちも、クソッたれな初代皇帝のせいで被害を受ける者たち。いわば、互いに被害者と言えますわ。
だからこそ、手を結び、戦うことだとてできるはずなのだ。
この帝国の幸福な未来という旗のもと、共に戦うことができるはずなのだ。
――ならば、その総指揮官たるわたくしとしても気合を入れなければなりませんわね。これは、わたくしの最大の敵との戦いなのですから。
静かに顔を上げ、ミーアは告げる。
「そのような常識を持つグロワールリュンヌのみなさんにとって、我がミーア学園の農学に対するスタンスは決して放置できないもののはず。であれば、それをテーマにして討論することに、何の不都合がございますかしら?」
ニコリとフーバー子爵に微笑んでみせてから、ミーアは改めて、生徒たちに目を向ける。
「両者の議論が、このティアムーン帝国にある問題を照らし出し……より良い未来を引き寄せられるよう、祈りますわ」
切実な祈りの言葉と共に、一つの戦いが始まろうとしていた。