第百十三話 出陣前、それぞれの朝
さて、ミーア主宰のプニッツァパーティーの翌日のことだった。
グロワールリュンヌの学生たちは、ヨハンナのもとに集められていた。
「今さら、私がわざわざ言う必要もないことだと思う。君たちは、中央貴族の家に連なる者として家名を傷つけることがないように振る舞わねばならない。各自の発奮を期待してやまない」
厳格な表情を浮かべ、重々しく言葉を紡いでいるのは、フリオ・フーバー子爵だった。
「わかっているとは思うが、今回の討論会、聖ミーア学園の生徒に負けるなどということは、絶対に許されないこと、あり得ないことである。中央貴族の家に生まれた者として、平民に負けるなど、決してあってはならぬこと。無論、聖ミーア学園はミーア姫殿下が作られた学園である。それに、サンクランドの王子殿下もおられる。そういう意味では、君たちと同格と言える生徒もいるかもしれない。が、それでも十人の代表すべてがそうであるとは、考えられない。負けることは許されぬ」
両腕を後ろ手に組んで、こつ、こつと足音を立てて歩きながら、フーバー子爵は続ける。
「もう一度、重ねて言うが、決して負けることは許されぬ。ヴェールガの伝統的な祭りであるパライナ祭に出るのは、グロワールリュンヌでなければならぬ。我が帝国の伝統を守るため、ぜひとも力を尽くしてもらいたい」
そこまで言ってから、彼はヨハンナのほうに目を向けた。
「ここで、我がグロワールリュンヌの後援会、紫月花の会の長を務めておられるブルームーン公爵夫人からも一言いただきたく思う。みな、心して聞くように」
そこで、言葉を切る。しばしの沈黙……その後、フーバー子爵は眉をひそめた。
「あの、ヨハンナさま……?」
再度、声をかけられて、ヨハンナはハッとした顔をする。見れば、学生たちの視線は自分に集まっていた。
「あ、ああ……そうじゃ、な」
考えごとをしていたヨハンナは、一瞬、答えに詰まってしまった。
――さて、なにを言うべきか……。
生徒たちを見て、思わず考えてしまう。
――なにを言っても無駄ではあるまいか……。
などと言うことを……。
彼女の胸にあるのは、否定のしようのない諦念だった。
脳裏に甦るのは、昨日の風景。あの仮面舞踏会を包み込んでいた熱い空気……、皇女ミーアの生み出した奇跡のような熱狂だった。
グロワールリュンヌの学生たちを歓迎するための会ということで、昨日、ヨハンナはパーティーに参加しなかった。ただ、遠くから、それを見ていただけだった。外野から、眺めていただけなのだ。
にもかかわらず……その光景には、圧倒されてしまった。
隣で同じく見学していた皇帝マティアスが、誇らしげな顔をしているのが、ちょっぴり腹立たしくもあり、されど……。
――あれが、アデラの娘、パトリシアさまの孫娘なのじゃなぁ……。
などと思うと、ついつい感慨深くなってしまったりもして……。
それほど訴えかけるものがあったのだ、昨日の光景には。
――あのただ中にあったこの若人たちに、妾の言葉が、はたして、どれだけ届くものか……。
先ほどのフーバー子爵の言葉も、正直なところ空回りしている感が強かった。
己が娘のカルラは、もちろん、グリーンムーン家のヤーデンもあまり真面目に聞いている様子はなかった。
唯一、例外は……端のほうにいる目つきの鋭い少年で……。
――確か、フーバー子爵の、遅くできた息子であったか。
今回のグロワールリュンヌの選抜メンバーには、フリオ・フーバーの息子、ナコル・フーバーも選ばれていたのだ。
――さすがに、父の教育が行き届いているということか。しかし、一人だけやる気があったとしてもな……。それが、妾の言葉で、さらに二、三人増えたところで、はたしてなんの意味があるのやら……いや……。
と、そこでヨハンナは思い直す。
――そうじゃな。ミーア姫殿下は、パトリシアさま譲りの知恵を持っている。仮面舞踏会のみならず、討論会自体にも何か狙いを持っておられるのではあるまいか……。
仮面舞踏会で、すでに勝負は決したように見えるのに、それでもなお討論会自体は開くという。それならば、そこにミーアがなにかの意味を見出している、とヨハンナは考える。
――妾は、それを見届けねばなるまい。アデラの代わりとして、パトリシアさまの代わりとして……。
ミーアの思惑、真意をしっかりと見極めねば、と改めて思う。
なぜならば……ヨハンナはまだ譲ることができないからだ。
ミーアの思惑に乗ること、ミーアの成そうとしていることに賛同することが、できないからだ。
皇太后パトリシアから託されたものがある。
ティアムーン帝国を、ミーアを、よろしくと頼まれたのだ。あの日託されたものを……その信念を、凌駕する価値が、ミーアの成すことにあるのか、どうか。
――妾は見極めねばならない。討論会は、そのためのものとなろう。ならば……。
ヨハンナは、小さく息を吐いて……。
「フーバー子爵の言ったとおりじゃ。我が帝国の、栄えある中央貴族として義務を果たせ。誇りを持って議論し、堂々とこの学園の者たちを打ち倒すのじゃ」
厳かに、高らかに告げた。
一方、その頃、ミーアはと言えば……。
「ふわぁむ……ううむ……眠いですわ」
大きなあくびをしながら、少し遅めの朝食をとっていた。ちなみに、なぜ、そんなに眠そうなのかと言えば……。朝、早めにアンヌに起こされたからだ。
「ミーアさま……ミーアさま」
ゆさゆさ、と体を揺すられる感覚。ミーアは、ぼんやーりと目を開け、辺りを窺う。かすむ視界に現れたのは、自らの忠義のメイド、アンヌであった。
「あら? アンヌ、どうしましたの? こんな早くに……」
一目でわかる。まだ、辺りは薄暗い。起きるにはまだ早い……まだまだまだまだ早い! と即座に判断。再び、寝に入ろうとするミーアに、アンヌがむむむっと真剣な顔で……。
「実は、タチアナさんから、指示をいただいておりまして……。ミーアさま、昨日は少し食べ過ぎたうえ、運動量が足りないご様子でしたから、本日は、朝から軽く運動をしていただこうと思います」
「……はぇ?」
しぱしぱの目を瞬かせるミーアに、アンヌは続ける。
「ミーアさまのご健康を守るため、しばし、私はとぉっても厳しくしなければなりません」
「え……あ……ちょ、アンヌ? なにやら、目つきが、怖いですわよ?」
などと慌てるミーア。なんとか、アンヌを諫めようとしているところへ……。
「おはようございます! ミーアお祖母さま!」
元気よくドアを開け、ベルが入って来た!
「あら、ベル……こんな朝早くにいったいどうしましたの?」
「はい。ミーアお姉さまの健康作りにお付き合いしようかと思いまして。それに、冒険旅行の体力作りのためにも、一緒に運動、頑張りますよ!」
ミーアが逃げられないように、アンヌに呼ばれていたベル、その後ろにシュトリナと監視役のリンシャの姿もあって……。
「え……あ……え?」
「頑張りましょう、みなさん」
恋愛大軍師アンヌの巧みな用兵により、完全に逃げ道を塞がれたミーアなのであった。




