第百九話 皇女ミーアの放蕩祭り~プニッツァの祭典~
パーティーが始まった当初、学生たちは、どこかぎこちなかった。
それも当然のことだろう。いきなり、育った環境がまったく違う者たちが集められ、パーティーに放り込まれたのだ。しかも、仮面をつけられた仮面舞踏会。仲間内で固まって会話を楽しむ、などと言うわけにもいかず……。
もちろん、大体はわかる。誰が中央貴族の子弟で、誰が平民の子どもたちかということは、雰囲気で察することはできる。けれど、それを言うのは貴族からすれば野暮。そして、ミーア学園の生徒たちにしても、ミーアの取り計らいによる仮面舞踏会である以上、そのやり方に従うのは当然のことである。
そうして生まれるのは、微妙に話しづらく、盛り上がりづらい環境で……。
そんな空気を打ち破ったものが……ミーアの馬プニッツァだった。
「おお、あれは……」
会場に登場した大きなプニッツァを見て、誰かがつぶやいた。
芳ばしいチーズが焦げる匂い。トマトソースの甘い香り、上に乗せられた香草の芳しさに、思わず腹が鳴る。
ところで、これは余談だが……帝国中央貴族の令嬢たちは、他国の貴族の令嬢たちと同じようにドレスや宝石、アクセサリー類が好きだ。花を愛でる者、小鳥などの愛玩動物を愛でる者も少なくはない。
では、令息たちは、どうか?
彼らもそう変わったものではない。剣や鎧などが好きだし、集める者もいる。少年たちにとって、強い騎士への憧れというのは普遍のものだった。
そして、騎士と言えばもう一つ欠かせないものがある。そう、馬である。
中央貴族の男子は……結構な割合で馬好きなのだ!
そんな彼らにとって、多少のデフォルメがされているとはいえ……馬形のプニッツァは、心躍らせるものであった。
「あの食べ物、馬の形をしているな」
「ああ……。あの耳の形は、テールトルテュエ種だろう?」
「いや、月兎馬じゃないか? やはり、馬と言えば……」
などと、その口は軽くなり……。さらに、ミーアが率先してプニッツァを切り分け、周りの者たちに渡しているのを見て、俄然、あの食べ物に興味を抱いた。
っと、そんな時……。
「はーい。こちらにも、プニッツァが来ましたよー」
近くのテーブルにプニッツァ皿がやってくる。あいにくと馬の形のものではなかったが、この際、仕方ない。その美味しそうな匂いにつられ、ついつい、手が伸びるわけで。
「おお! これは、美味い」
思わず歓声を上げたのは、グロワールリュンヌの学生だ。対して、
「ああ、本当に、美味しいなぁ」
みょーんっとチーズを伸ばして食べるのは……同い年ぐらいの、聖ミーア学園の学生だった。
各テーブルに、次々と焼き立てプニッツァが襲来。分断されるように、グロワールリュンヌの学生たちは散り散りになり……聖ミーア学園の学生たちに混じり合っていく。
プニッツァの力は偉大だった。同じテーブルの皿から、同じ料理を取り、同じように味わうこと、それは奇妙な連帯を生んだ。今までの気まずい空気から打って変わって、場の空気感は明るく華やいだものになる。
美味しい料理を食べれば、表情も自然と柔らかくなる。
口だって軽くなる。
それに、今日は仮面舞踏会。貴族という身分さえ仮面の下に隠されてしまえば、いるのは同年代の少年少女で……。
談笑の花のつぼみは各所で綻んでいった。
「しかし、これは、この料理が優れているだけのこと。この学園で教えている農学の手柄ではない」
辛うじて、聖ミーア学園と農学の関係深さを思い出した少年が言う。この料理は素晴らしいが、だからと言って、この聖ミーア学園が優れているというわけではないという主張。そんな、空気を読まぬ愚行に、微妙に雰囲気が悪くなりかけたところで……。
「あら、残念ですけれど、それは二流の言うことですわ」
現れたるは、帝国の叡智……。その手に、分厚いプニッツァ三枚ののった(三枚の! のった!)皿を持った、ミーア・ルーナ・ティアムーンであった。
「あっ、これは、ミー……」
言いかけた少年に、ミーアはスゥっと手を挙げ、
「それは野暮、というものですわ」
言葉を制し、続ける。
「それに、先ほどの言は、野暮というよりは二流と言わざるを得ませんわね」
「なっ、どういうことです? 私が二流だなどと……!」
たじろぐ少年に見せつけるように、ミーアは分厚いプニッツァを手に取り、パクリ。その先端をかじる。サクリ、と心地よい音。モグモグ……ゴクリ。うーん、美味しい! もう一枚! とやってから、ミーアはお皿に目を落とす。
「このサクサク感、見事だとは思いませんこと?」
「え? は、はぁ……そうですね。大変、美味しい料理かと思いますが……」
「ふふふ、そうでしょう? この聖ミーア学園の料理学部が開発した傑作料理ですわ」
若干、偉そうにミーアは胸を張り、それから……。
「では、この歯応えの秘訣は、どこにあると思いますの?」
「は? いや、それは……」
言い淀む少年に指を振り振り、ミーアは言う。
「焼き加減はもちろん重要ですけど……同時に小麦の種類も重要になるのですわ」
「小麦の……種類?」
きょとん、と目を瞬かせる少年に、ミーアは笑みを浮かべつつ続ける。
「ええ。もしかしたら、ご存知ないかもしれませんけれど……同じ小麦といってもその種類、そして、産地によってその質は変わってくるのですわ」
プニッツァ開発の際に得た、受け売りの知識を、実に偉そうな口調で披露するミーア。
「この厚みのあるプニッツァと薄いプニッツァとでは、小麦の種類が違う。また、味付け。小麦自体に強い甘味を持つものがございますけれど、このプニッツァ生地自体に甘味のあるものと、そうでないものとでは、当然、トッピングの味付けが異なってくる。その小麦に合った調理法があり、その料理に適した質の小麦がある」
それから、ミーアは少年の目を見つめ、
「そうしたことを知らずして、美食は極めることができない。最良の料理は作れない」
「だっ、だからこそ、小麦や農学の研究をする必要がある……と?」
その問いかけには答えずに、ミーアは微笑みを浮かべ、
「すべて同じ小麦で作った料理と、それぞれの調理法に適した小麦で作った料理……どちらが上なのか。どちらが一流か……。ふふふ、あなたの領地でも、いろいろな、最高のお料理が食べられるようになればいいですわね」
それだけ言うと、次のテーブルへと歩いて行ってしまった。