第百七話 (血)雨後の……
ヤーデンを先頭に、グロワールリュンヌの学生たちは、着の身着のまま、歓迎会の場にやって来た。
通常であれば、パーティー用の礼装に着替えるところではあるのだが、それをしようという者はいなかった。
――本当なら、平民には手が出せないような高級服を着て、思い切り見下すところだろうが誰も……カルラ嬢さえも言い出さないな……。
ヤーデンは思わず感心してしまう。
この歓迎会を、仮面舞踏会としたミーアの叡智に……。
通常のパーティーとは違い、仮面舞踏会で大事なのは、言わずもがな、互いの正体を秘すること。わかっていても指摘しないし、華美なドレスを身に纏い、あからさまに身分をバラすようなことはしない。
正体を明かすことほど、野暮なことはない。帝国中央貴族は野暮を嫌うのだ。
本質的に彼らの敵は平民ではない。同じ貴族たち、中央の門閥貴族たちこそが、彼らの本当の競争相手なのだ。
ヤーデンにしても、本来であれば警戒すべきは、同格のブルームーン公爵令嬢なわけで……辺土貴族や平民など、眼中にないのだ。
であれば、避けるべきは野暮なことをして、同格の中央貴族の子弟に笑われることだ。
だからこそ……彼らは高級品でマウントを取ることを避けた。あえて普段使いの服で来ることで、ミーア学園の学生たちとのバランスを取ったのだ。
――見事な思想誘導、見事な牽制だ……。
姉であるエメラルダから、日夜、親友自慢という名の、ミーアの叡智っぷりを聞かされてきたヤーデンである。ミーアの深慮を疑うようなことはないのだ。
さて、ゲストが揃ったところで、ミーアは会場の前方に歩み出た。
「グロワールリュンヌのみなさまもいらっしゃいましたし、お料理のほうも……」
っと、視線をやると、うっかり近づいてきたら一大事だぞ! とばかりに、サフィアスが焦った様子で、腕で丸を作った。キースウッドも、うんうん、っと大きく頷いてみせる。
「ふふふ、大丈夫そうですわね。それでは早速、歓迎パーティーを始めましょうか」
プニッツァはできたてが一番美味しい。うっかり、そのタイミングを逃すなどと言うことになったら一大事である。挨拶などは、さっさと終わらせてしまいおう、と、ミーアは話し出した。
「改めまして、ようこそ、我が聖ミーア学園へ。グロワールリュンヌのみなさまに心から歓迎の意を表しますわ」
一度、そこで言葉を切り、話すべきことを整理する。大切なこと、しなければならないことは……プニッツァを美味しく食べられる状況を作ることである。
「すでに、フーバー子爵からお聞きのこととは思いますけれど、わざわざみなさんにお越しいただいたのは、ヴェールガ公国で開かれる予定の、パライナ祭に出場する代表校を決めるためですわ。明日からの数日間、聖ミーア学園とグロワールリュンヌ学園の選抜学生により、討論会を開き、その結果で決めようと思っておりますの」
とりあえず、事実を確認したうえで……ミーアは息を吸って、吐いてから……。
「けれど、確認しておきたいことなのですけれど、聖ミーア学園とグロワールリュンヌ学園は、別に敵同士ではありませんわ」
静かな……けれど、毅然とした口調で言った。はっきりと言った!
敵同士でパーティーを開いたところで、美味しい食事などできない。互いに牽制しあうような、緊張した空気感の中で美味しいものを食べるなど、ミーアは御免なのだ。
「ただ、そうですわね……あえて『敵』という言葉を使うのであれば『好敵手』という言葉が相応しいかしら?」
口元に穏やかな笑みを浮かべ、あくまでもみなの緊張感を鎮めるように心がけつつ、ミーアは続ける。
「人には……聖ミーア学園には競い合う好敵手が必要だと、わたくしは考えておりますわ。鉄は、ただそこにあるだけでは、いずれ錆びて朽ちていくのみ。だから、鉄は鉄によって研がれる必要がある。人もまた同じこと。わたくしたちは、一人でいれば、サボるものですわ」
チラリ、とミーアが視線をやった先、んっ? と首を傾げるベルの姿があった。
ミーアは、そんな孫娘に語るように力強く拳を握りしめ……。
「だから、鉄が鉄によって研がれるように、人も、またその友によって研がれなければならない。友……すなわち好敵手によって」
っと、そこでミーアは思う。
――しかし……競い合うにしてもディオンさんとギミマフィアスさんのような物騒なのは御免ですわ。誤解のないように、きちんと言っておきませんと……。
小さく頷き、続ける。
「無論、好敵手で互いに研鑽すると言っても、剣と剣で打ち合うようなものではない、ということはお分かりかと思いますけれど」
人の血は、人の血を呼ぶ。人の死は別の死を呼び寄せ、戦が起こる。
血の雨が降った後、臭い立つのは革命の危険な香り、それはヤツを呼び寄せる。
――気をつけねばなりませんわ。”血雨後のギロちん”とも申しますし……。
……そんな言葉はない。
ミーアはうんうん、と納得しつつ、
「議論と議論を戦わせ、より良い結論へと至る。互いの考えを交換し、時に相手に学び、時に自身の論に対しての理解を深めていく。それこそが、わたくしがみなさんに期待することですわ」
そこまで言って、ニッコリと笑みを浮かべる。
「だから、わたくしは、みなさんを歓迎いたしますわ。このミーア学園の学生たちをより高みへと導いてくれる好敵手として。あるいは、この帝国をより豊かにしてくれる味方として」
それから、ミーアは両腕を広げて厳かに告げる。
「では、そろそろ、歓迎パーティーを始めましょうか」