第百六話 カルラ、刹那の美に魅了される
――それにしても、ミーア姫殿下の顔がデザインされた小麦畑、か……。上手いな……。
ヤーデンの脳裏に、途中の休憩中の会話が甦る。
「ミーア学園では農業などと言う下賤なものを教えているとか」
「ああ、ペルージャンの姫を講師に呼んでらしいな。まぁ、あの属国から講師を招いたのであれば、そのようにくだらぬ教育をしていてもおかしくはないのかもしれないが……」
などと話していた者がいたが……連中には、良い牽制になるだろう。
――下手に畑を馬鹿にしたりすれば、ミーア姫殿下のお顔を馬鹿にしたのか? と言われかねないからな。皇帝陛下の前で、ミーア姫殿下に馬鹿にされた、などと言い出されれば、それこそ首が飛びかねない。
そこまでは、まだヤーデンの理解の範疇であったが……、カルラの一言が、そんな彼を戦慄させた!
「……いい」
その一言の意味が、咄嗟に理解できなかったヤーデンである。
いい……? とは、どういうことか。なにが”いい”のか? あの小麦畑の、なにが……。
刹那の思考の末、辿り着いた答えに鳥肌が立った。
――カルラ嬢は、あの、小麦畑に顔が描いてあるモノをいいと……うらやましいと思ったというのかっ!?
正直なところ、ヤーデンには、まぁったく理解できない感覚である。その感性に唖然としそうになるが……。
――あるいは、ああいうのが、ご令嬢は好きなのだろうか……。であれば、姉上のためにあの小麦畑肖像画をグリーンムーン領に作ってみるのもありか……。
などと考えた彼は、再びの戦慄に背筋を震わせる。
――あれは中央貴族の心に羨望を植え付け、自発的に小麦畑を作らせる……誘導か!?
反農思想は、帝国中央貴族の子弟に深く根付いた思想だ。それをやすやすと覆すような思想誘導に、ヤーデンは驚愕する。
――カルラのように自己顕示欲を刺激された貴族は、きっと、このやり方を真似したがるだろう。それだけでなく、ミーア姫殿下や、それこそ皇帝陛下に気に入られようとするならば、ミーア姫殿下の顔が描かれた小麦畑を積極的に作るのではないだろうか?
ゴクリ、と喉を鳴らしつつ、ヤーデンはミーアを見つめる。
「でも、ミーア姫殿下、なぜ、あのような畑に肖像画を?」
そう問いかけたのは、カルラだった。
その質問の意味を吟味するように、ミーアは一瞬考え込んでから……。
「そう、ですわね。刈り取って食べれば消えてしまうから、かしら……?」
その言葉に、カルラが驚きに目を見開いた。
カルラ・エトワ・ブルームーンは、自身の中に芽生えた気持ちに戸惑っていた。
小麦畑アートを見た瞬間、彼女の中に衝撃が走った。
その圧巻の迫力……あの小麦畑には、圧倒的な凄みがあった。
――妾は、あの大きさに憧れてるのかしら? でも、それだけではしっくりこない気がいたしますわ。
胸に芽生えた疑問を抑えきれずに、カルラはミーアに問うた。
「でも、ミーア姫殿下、なぜ、あのような畑に肖像画を?」
わざわざ、小麦畑に自分の顔を描いた理由は何か? 美しい肖像画でもなく、黄金の彫像でもなく……なぜ、いずれ消えてしまう小麦畑に?
その問いにミーアはきょとん、と小首を傾げてから、ごくごく当たり前のことを言うような口調で……。
「刈り取って食べれば消えてしまうからかしら?」
その言葉に、カルラは、ずががーん! っと衝撃を受けた。
帝国最大の門閥の一角、ブルームーン公爵令嬢たる彼女である。
肖像画を描いてもらったこともあれば、永遠に残りそうなプチ黄金像を作らせたこともある――ミーア的には、ヤッベェ奴なのであるが……まぁ、それはさておき……。
そんなカルラにとって、ミーアの言葉は非常に衝撃的だったのだ。
――永遠に美を残す、ではなく……消えてしまうのが良い……?
それは、ある種のパラダイムシフトだった。
――すぐに消えてなくなってしまう、その一瞬のために全労力を使う。だからこそ、価値がある……そういうことですの?
それは実に……実に魅力的な発想で、しかも、
「自身の肖像画を描いた小麦畑のケーキの味は、また格別ですわよ?」
一瞬しか存在しない、甘く美味しい芸術……。その刹那の儚さを思う時、なんだかカルラは負けたような気がした。
ブルームーン公爵家の姫として、いつでも褒め讃えられ、金銀財宝に囲まれた日々を送るうちに、いつしか、彼女の心を動かすものはなくなっていた。もはや、この世の美も、価値ある物も、自分は手に入れられたと考えていたから。
だからこそ、今より上の地位、皇帝の妹にでもなって、世界中の価値ある物を集めてやろうと思っていたのに。
けれど、皇女ミーアは、カルラが知らぬ価値を知っていた。儚く消えていく美にこそ価値を見出すという……究極的な贅沢を知っていたのだ。
思えば、ミーアにはそうした潔い思考が見え隠れしていた。あの誕生祭の時の雪像もしかりである。いつまでも、永遠に残り続ける必要などない。一瞬で消えてしまう美であるからこそ、より人々の心に深く刻まれ、魂に刻み込まれるのだ。
――妾もあれ……欲しい。肖像画の小麦畑から作ったケーキ……食べてみたいですわ!
帰ったら、絶対にあの小麦畑をねだろうと心に決めるカルラである。なんだったら、ミーアの物より遥かに巨大な小麦畑を作ってやろうと、そう決心するカルラである。
ちなみに、まぁ、お分かりかと思うが、一応の答え合わせをすると……。
「でも、ミーア姫殿下、なぜ、あのような畑に肖像画を?」
その問いかけに、ミーアは思わず考えてしまう。
小麦畑に肖像画を描く意味は何か……? それは、もちろん……。
「刈り取って食べれば消えてしまうから、かしら……?」
もし仮に、その肖像画が脚色過多で空とか飛んでいたりしても、でっかい剣とか構えた勇ましーいものでも……刈り取って食べてしまえば全部、なかったことにできる。
消えてしまうというのは、とても良いことだ。しかも、その後、ケーキにもパンにも、プニッツァにすらなるのだ。普通の肖像画よりも良いのは、考えるまでも無いことだった。
「目で楽しんだ後、食べて終える。実に、素晴らしいことですわ!」
そう、強調するミーアであった。