第百五話 ヤーデン、ちょっぴりほっこりする
馬車が止まった時、ヤーデン・エトワ・グリーンムーンは、おや? と思った。
「妙だな。学園まではもう少しかかるかと思っていたが……」
その疑問はすぐに解消された。
馬車から降りてすぐに、目の前に仮面の少女たちが現れたのだ!
――こっ、これは、いったい何事だ!?
戸惑う彼らに、涼やかな声がかけられる。
「ご機嫌よう、グロワールリュンヌのみなさま。ようこそ、我が聖ミーア学園へ」
先頭に立つ少女、その白金色の髪に、ヤーデンは見覚えがあった。
――我が……ということは、もしや、この方は……。
少女は、スカートをちょこんと持ち上げ、それから、ハッとした顔をして、仮面を外してみせた。その素顔を見て、グロワールリュンヌの者たちに動揺が走る。
「わたくしはミーア・ルーナ・ティアムーン。初めてお会いする方もいるかしら?」
悪戯っぽい笑みを浮かべてミーアは続ける。
「実は、みなさんを歓迎するために、本日は楽しい趣向として、仮面舞踏会を企画いたしましたのよ?」
仮面をつけ直すミーアに、ヤーデンが深々と頭を下げた。
「これは、お心遣いに感謝いたします、ミーア姫殿下。私は……」
っと、ミーアはその言葉を遮り、唇に人差し指をつけ……。
「ふふふ、ダメですわ。仮面をつけている時に名前を呼んでは。今日は、お互いの身分を仮面の内に隠す仮面舞踏会ですわ。互いの正体を気にせず、お楽しみいただきたいですわ」
それから、ミーアはくるりんっと振り返る。っと、そこに立っていた少女、よくよく見れば……。
――って、姉上じゃねぇかっ!
見まごう事なき姉、エメラルダ・エトワ・グリーンムーンがそこに控えていた。
一つ頷き、姉とその隣に控えた女性(恐らく彼女も貴族令嬢だろう)は、持っていた仮面を手渡してきて……。
「どうぞ、これをつけて、パーティーの間は外さないようにしてくださいましね」
ご機嫌に、そんなことを言っていた!
弟に特別な言葉をかけたり、などということもなく……、まるで初対面の相手に接するような……一切の姉感を出さずの澄ました様子で、である。
――ああ、ちくしょう、姉上、すっげぇ楽しんでるなぁ!
仮面をつけてルンルンなエメラルダに、うぐぐ、っと恨めしげな視線を向けるヤーデンである。
なにせ自分は、これからミーアとグロワールリュンヌの間で苦労することになるのだ。視線がついつい恨みがましくもなろうってもんである。
……けれど、そんな気持ちもすぐに消える。
直後、口元に浮かぶのは、打って変わった苦笑いだった。
――でもまぁ、良かったな、姉上。きっと、前からああいうふうにミーアさまと一緒に行動したかったんだろうから。
そう、彼は知っている。
夏休み、ミーアにお茶会に呼ばれないか、とソワソワしていた姉のこと。船旅に一緒に行ったことを心から楽しそうにしていたこと。
幼い頃から姉はいつでも、ミーアの友として行動することに憧れていたのだ。だからこそ……。
――まぁ、姉上が嬉しそうにしてるんだから、少々の苦労は呑み込もう。俺が頑張れば丸く収まるんだしな、うん……。
自分に言い聞かせるように、内心でつぶやく。
そう……彼は知っている。
姉、エメラルダ・エトワ・グリーンムーンが、グロワールリュンヌの者たちに「弟のことをよろしく」と声掛けしていたこと。
セントノエルのほうにも、弟が行くから、とミーアやラフィーナに手紙を出していたこと。
なんだかんだとエメラルダが、弟たちがやりやすいよう、自身の持つ人脈をフル活用しつつ、それを一切、弟たちには知らせていないこと……。
暴君エメラルダは、面倒見の良いお姉ちゃんなのだ。幼い頃から、姉にはいろいろと世話になっているのだ!
――しかし、それにしても、仮面舞踏会とはな……。
受け取った仮面をつけつつも、ヤーデンは改めて考える。
――余計ないさかいを避けようということか。まぁ、所作を見れば相手が貴族かどうかはわかるだろうが、それを問うのも野暮というもの。
野暮――それは軽視すべきではない要素。むしろ、門閥貴族には最も有効な抑えと言えるかもしれないものである。
下手に間違えて、ミーアの関係者や他国の王族に対し無礼を働くというのは、もちろん危険ではあるのだが……それ以上にグロワールリュンヌの生徒たちが嫌うのは、中央貴族としての矜持を傷つけられることだ。
貴族の仮面舞踏会においては、相手の正体を問うようなことはしない。それは、ある種のマナーのような者。そのように風情のない、野暮なことをするような者は、帝国中央貴族にはいない、というのが、彼らの常識だ。
帝国貴族の伝統と文化を尊重する彼らが、そのような野暮なことをするわけがない。
――まぁ、それ以前に、そもそもパライナ祭の代表校に選ばれたいなら、ミーア学園の生徒を揶揄するようなことはすべきじゃあないんだが……わかってない奴もいそうだからな。
その点、ミーアのやり方は実に理に適っていた。彼女は帝国貴族に適格に、グロワールリュンヌの学生たちの気質を押さえているのだ。
――さすがはミーア姫殿下と言ったところか……ん?
っと、その時だった。彼の目に、なにやら不思議な光景が飛び込んできた。
人々が集まる広場、歓迎パーティーの会場となる場所だろう。それはまぁ、良い。学園の校舎から少し離れた場所のように感じるが、問題ない。
それより彼が気になるのは、その会場のほど近く、風に揺れる小麦畑だった。
なんだろう、その畑には、なにやら模様のようなものが見えて……。
「あれは、いったい……」
「ん? あ、ああ……あれが、気になりますのね」
ヤーデンの声を聞いたミーアは、なにやら一瞬、渋い顔をした。
「あれは、聖ミーア学園の生徒たちが作ってくれた畑ですの。上から見てみると良いですわ」
そうして、ミーアは木造の台の上に彼らを誘った。首を傾げつつも上った先、目の前に広がった風景……それを見た誰もが、息を呑んだ!
「なっ……なんだ、あれ……」
普段は、冷静なはずのヤーデンも思わず、ぽっかーんと口を開ける。
それは、ダレカの顔の描かれた小麦畑だった。いや、誰かのというか、あれは、まさか?
「ミーア姫殿下の……お顔、でしょうか?」
「ええ……まぁ、そう、みたいですわね」
微妙に歯切れの悪いミーアである。一方で、
「……いい」
ぽつり、とつぶやくような声が聞こえる。
想像もしていなかった言葉に、思わず振り向けば、見えたのは、ヤーデンと同じく星持ち公爵家の……。
「カルラ嬢……今、なにか?」
問いかけると、カルラ・エトワ・ブルームーンはハッとした顔をして、小さく咳払い。
「いえ、なんでもございませんわ……おほほ」
口元を扇子で隠しながら言うのだった。
今週はミーア成分やや薄しです。
そしてどうでも良いことながら、プニッツァの参考のために某ファミレスで甘いピザを食べてきました。