第百二話 サフィアス、駆け付ける
グロワールリュンヌの学生がやってくる一日前のことだった。
「ふぅ……ダンスレッスンも十分にやりましたし、準備は万端と言ったところかしら……」
迎撃の準備は整った。っと、ミーアはお腹をさすりながら思う。
なにを迎撃するのか……? 無論、プニッツァを、である!
あの日から、数日にわたって検討を重ねて来たプニッツァ制作。
「なにも、毎日のようにミーア姫殿下のお手を煩わすこともない、とキースウッド殿から言われたのですが……」
などと言ってきた料理学部の講師に、ミーアは静かに、穏やかに首を振り、
「いいえ、わたくしにもできることがあるならば、それをしたいと思っておりますの。それに、わたくし自らが制作指揮に関わっていると言えば、グロワールリュンヌの学生たちも食べないわけにはいかないでしょう?」
ミーアには確信がある。プニッツァの美味しさの前では、つまらない意地など張ってはいられないだろう、と。
けれど、それも食べてもらえれば、という条件が付く。
「下賤な者の作ったものなど食べられない!」
などと言うことを言い出す輩がいないとも限らない。
「わたくしが直接指揮を執り、手ずから料理をしようと考えるのは、そういった理由から、ですわ」
こう言われては、講師も……そして、その裏で操ろうとしていたキースウッドも、なにも言えなくなってしまう。
結果として、ミーアは、パーティーの料理に直前まで関わることになってしまったのだ。
ついでに、ミーアを手伝うため、ティオーナやリオラ、ベルやシュトリナ、さらには、シオンまでもが参戦。
「グリーンムーン公爵令嬢を、ニーナ嬢に止めてもらっている関係で、彼女も動きが取れないが……。いや、これは、むしろ、もう、全員を受け入れて、こちらも戦力を集中したほうが……いや、だが……ぐむ……」
などと、陰で全軍の総指揮を執る苦労人が、とってーも頭を悩ます事態になったとかならなかったとか……。まぁ、それも些細な話であるが……。
そうして、さぁて、今日も料理学部に様子を見に行くかなぁ、などと思っていたミーアのところに、ルードヴィッヒがやってきた。
「失礼いたします。ミーア姫殿下」
「あら、ルードヴィッヒ。どうかなさいましたの?」
「グロワールリュンヌ校に先駆けて、サフィアス殿がいらっしゃっております」
「まぁ、サフィアスさんが……? ふふふ」
ミーアは小さく微笑んで。
「確か、サフィアスさんはキースウッドさんと仲良しでしたし、ナイスタイミングですわね。お二方ともお料理好きな方ですし、明日のプニッツァ準備にはぜひ参加していただかないといけませんわ」
とりあえず、キースウッドを呼んでくるように、とルードヴィッヒに言いつけつつ、ミーアはサフィアスを出迎えた。
「ご機嫌麗しゅう、ミーア姫殿下」
部屋に入って来たサフィアスは深々と頭を下げる。
「ご機嫌よう、サフィアスさん。ずいぶんと久しぶりですわね。父上には、もう?」
「はい。皇帝陛下には先にご挨拶させていただきました。本当に、この度は母が、大変ご迷惑を……」
「あら、迷惑だなんてことはございませんわよ? ヨハンナさんのおかげで、いろいろと進められた気がしますし」
そもそも、ヨハンナに噂を流したのはエメラルダなのだ。謝られる筋合いはまったくない。
「そう言っていただけると……」
などと、ほぉっとため息を吐きつつ、しかし、とサフィアスは続ける。
「しかし、実のところ、母のことだけではないのです。我が妹のこともお話ししておかなければと思っておりまして……」
「あら、サフィアスさんの妹君、といいますと……確か、カルラさんだったかしら?」
ミーアは頬に指を当て、小さく首を傾げる。
カルラ・エトワ・ブルームーンに関して、ミーアが知っていることは少ない。
サフィアスと同じ青い髪を持つ少女、年は自分の一つか二つ下。パーティーやお茶会で何度か顔を合わせたことはあるものの、それほど親しく話したことはない。
性格は……。
「割と大人しい方だったように思いますけれど……」
どちらかと言えば物静かな、一般的な帝国貴族の令嬢の範疇を出ない人物。そんな評価だった。セントノエルにも来ていなかったから、余計にその印象は薄いのだが……。
「実は、我が愚昧は、私を次期皇帝の座につけようと考えているらしく……」
「まぁ……サフィアスさんを……それは」
ミーア、そこでふと考える。
――そういうことでしたら、表向きにはサフィアスさんが皇帝ということにしておいて、わたくしは裏でゴロゴロしながら、帝国の危険を回避するという可能性は……。
なぁんて、考えた瞬間だった。
「たっ、大変です。ミーアおば、お姉さまっ! ミーアお姉さまの非常に悲惨な末路の記述が……!」
などと、ベルが駆けこんできたので、ミーア、慌てて首を振る。
――ああ、やはり、わたくしが女帝になるしかないのですわね……。ええ、もちろん、そのつもりでしたわ。面倒だから誰かに責任を押し付けようとか、そんなこと、まぁったく思っておりませんわ!
誰に言うでもなく、心の中で宣言してから……。ミーア、キリリッと表情を引き締めて。
「つまり、カルラさんは、わたくしの邪魔をしに来た可能性がある、ということですわね?」
「大変、恐れ多いことながら……」
深々と頭を下げるサフィアスに、ミーアはにこやかな笑みを浮かべる。
幸いにして、ミーアには腹案があった。
「ならば、良い手がございますわ」
堂々と宣言するミーアに、サフィアスは眉をひそめた。
「良い手……? といいますと?」
ミーアは、こっそりと声を潜めつつ、厳かに告げる。
「実は……討論会の参加メンバーには、聖ミーア学園特製のプニッツァという料理を振る舞おうと思っているんですの。わたくしが、手ずから作ったものなのですけど……」
ミーア、ちょっぴり盛る! 本当は、かるーく手伝う程度の関わり方なのだが、自身が一から十まで作りましたが、なにか? というような空気感で!
そんなミーアの空気を前に、サフィアスが引きつった顔をする。
「みっ、ミーアさまが手ずからお作りになられた料理……まっ、まさか、それで我が妹を……」
「ええ……」
深々と頷き、ミーアは言った。
「カルラさんの胃を攻める、というのはいかがかしら?」
そう、ミーアの作戦は常に単純だ。ミーアはプニッツァで、サフィアスの妹、カルラの胃を掴んでしまおうというのだ。が……。
「胃を……攻めるっ!?」
それを聞いた瞬間、サフィアスの表情が、絶望に染まった!