第百一話 精鋭たちとフーバーの誤算
フリオ・フーバー子爵の手紙によって召集された者たちは、馬車に乗り、一路、聖ミーア学園へと向かっていた。
途中、街道の脇に馬車を止め、休憩がてらのお茶の時間を挟む。実に、中央貴族の関係者らしい旅路である。
「やれやれ、このような田舎に呼び出すなんて、いったいミーア姫殿下は何をお考えなのだろうか」
「まさにその通り。誇り高き中央貴族に連なる我々にこのような……。かろうじて帝国の地、少し行けば辺土というようなこのような土地に呼び出すとはなんという……」
「そもそも、その聖ミーア学園というのは、あのペルージャンの姫を講師に招いているのだとか。属国から何を学ぶことがあるのやら……」
従者の入れた紅茶に口をつけつつも、口々に不平をつぶやく者たち。それを見て、一人の少年が深々とため息を吐いた。スラリとした長身、深い緑色の髪をサラリと揺らし、ヤーデン・エトワ・グリーンムーンは呆れ顔で首を振った。
「アホだな、お前ら。これから向かう聖ミーア学園は、ミーア姫殿下の肝いりの学園だぞ。しかも、サンクランドのエシャール王子殿下も通われている学園だ」
ジロリと鋭い視線を送ってから、厳然たる口調で、彼は言う。
「下手なことを言えば、お前らなどひとたまりもない。そんなこともわからんのか?」
一度、言葉を切って腕組みしてから、ヤーデンは続ける。
「くれぐれも、失礼のないようにしろ。お前たちがどうなろうとそれは自己責任だが、我がグロワールリュンヌの名に泥を塗るようなことも、帝国貴族の恥をさらすようなことも、俺が許さん。いいな?」
強めに言ってやると、不平を言っていた者たちの顔に恐怖の色が浮かんだ。それを見て、ヤーデンは満足げに頷いた。
フーバー子爵の呼んだ生徒たちは、確かに精鋭だった。
おそらく、能力という点においては、ミーア学園の者たちに引けを取らない者たちだった。けれど、フーバー子爵には一つだけ誤算があった。
それは、彼らがまったくもって一枚岩ではなかったこと……。それぞれに、思惑を持っていたということだった。
そして、それは生徒たちの筆頭格であるグリーンムーン家のヤーデンからしてそうなのだ。
きっちりと他の学生を締めてやりつつも、彼は内心で冷や汗をかいていた。
――しかし、討論会か……。これは下手なことをすると、きっと姉上に怒られるぞ。
脳裏に浮かぶのは、彼が崇める姉の顔。いつでも彼の上に君臨する、絶対的な姉の姿だった!
「ヤーデン、我が弟……。これだけは忘れないでもらいたいですわ。あなたのオムツを替えたのは、この私……のメイドのニーナであるということを!」
ドヤァッとした顔をする姉の隣、ムッツリとしかつめらしい顔をしたメイドが無言で頷く。
「まぁ、二、三回ではございますが……ふふ、たいそう、お可愛いご様子でした」
なぁんて、どうでもいいことを付け足してくれるが、それはさておき。
「それだけではありませんわ。あなたがいくつまでおねしょをしていたかも知っていますし、お化けが怖くて夜眠れなくて、この姉のベッドにもぐりこんできたことも、すべて、記憶しておりますわ!」
そんなの昔のことだろう! という抗議は意味をなさなかった。どれだけ昔のことであっても、ヤーデンが羞恥を感じている時点で、十分に効果的であるからだ。
そして、さらに厄介なことに……それ以上の恩義を彼は姉に感じていた。姉は、いつだって彼の上に君臨する暴君にして、頼りになる指導者。彼がくじけそうな時にも、折れず、曲がらず、高笑いができる。そのような人であった。
それゆえに、ヤーデンは、難しい立場に追い込まれていた。
グロワールリュンヌの代表にして、中央貴族の子弟のまとめ役という立場と、エメラルダの忠実なる弟という立場は、実に両立しがたいものであったからだ。
――くぅ……こんなことならば、さっさとセントノエルに行っておけばよかった。
帝国四大公爵家の一角、グリーンムーン家には、エメラルダの代わりに一人、子息を受け入れるとの連絡が来ていたのだが……。グリーンムーン家が送り出したのは、ヤーデンの弟であった。
――あと三年だからと弟に譲ってしまったが……。まさか、こんなに難しい立ち回りを求められるとは……。
幸いなことに、今のところ、グリーンムーン家とエメラルダの思惑は一致している。皇女ミーアの権勢の大きさを、グリーンムーン家では正確に把握していたからだ。
イエロームーン家とレッドムーン家は、すでにミーアとの協調路線を鮮明に打ち出している。また、騎馬王国、サンクランド、レムノ王国に加え、ヴェールガ公国までもが、ミーアとは非常に親しい関係を築いている。
特に、聖女ラフィーナとの友誼が決定的だ。ミーアはすでに、いくつかの帝国貴族が結んだとしても対抗できないほどの権力を手中に収めているのだ。
ゆえに、皇女ミーアには逆らうべきではない、というのが現在の家の意向だった。
幸いにして、グリーンムーン家は、エメラルダのおかげで、ミーアとは良好な関係を築いている。ならば、それを維持すべきである、と。
さりとて……露骨にミーアに賛同もできない。グリーンムーン派の貴族の中には、ミーアの開明的な方針に反対する者も数多い。既得権益層である帝国中央貴族は、根本的に保守的であり、現状の変更を望まないものなのだ。
――まったくの板挟みだ。くそ、これでヘタを打つと、また姉上に、あの冷たぁい目で見られて叱責されるに違いない……。
ブルルッと背筋を震わせるヤーデンである。
――まぁ、とはいえ、基本的にはそう難しいことでもないのだろう。要するに、我々に期待されているのは、負け役なのだろうし。
彼は、自分に求められている役割を、そう考えていた。
皇女ミーアは国に改革の波を起こさせたいのだ。古き慣習を洗い流し、新しく、実効性のある体制に、国を作り変えたいと思っているのだ。
――どうやら、姉上やブルームーン公のところのサフィアスさまもそれには同意されているようだし……というか、サフィアスさまは、すでに結構な数の味方を作っていると聞くし……その流れに逆らうことはできないだろう。
とすれば、彼が今回の件でしなければならないことは、聖ミーア学園に負けることだ。グロワールリュンヌを古き帝国の伝統と位置づけ、聖ミーア学園がそれを打ち負かすことによって、改革の旗色を鮮明に掲げる、というのがミーアの思惑なのだろう。
――それをもって、ご自身の女帝への道を切り開く、か。帝国初の女帝陛下だなんて、思い切ったことするもんだ。
その構想の壮大さに舌を巻きつつも……与えられた負け役という役回りに少々、複雑な気持ちを抱くヤーデンであった。
さて、そんなヤーデンから少し離れた馬車の中。一人の令嬢が、外の光景を眺めていた。青い髪をサラリと揺らし、つまらなそうに扇子をもてあそぶ少女……彼女の名はカルラ・エトワ・ブルームーン。今年、十四歳になるサフィアスの妹である。
――パライナ祭ねぇ……。サフィアス兄さまはミーア姫殿下に協力したいみたいですけれど……わらわとしてはぜひとも兄さまに皇帝陛下になってもらいたいですし……そのためには、とりあえず、母さまに協力するべきですわ。逆らうの怖いし……。
そう……あの怖い、こわぁい母に逆らうような勇気は彼女にはない。それに、皇帝の妹という地位、それは、彼女には実に魅力的なものに映った。なんか、今よりもっともぉっと、贅沢できそうだし……。
――しかし、あのサフィアス兄さまとミーア姫殿下では……圧倒的にミーア姫殿下のほうが人望があるでしょうし、能力的にも太刀打ちできないはず。となれば……伝統による優位性を主張する以外にないですわ!
そして、そのためには、今度の討議会で、聖ミーア学園を打ち負かし、ミーアの思惑をくじくしかない。
――皇帝の妹になって、わらわの将来はより一層、華やかなものになるのですわ! その機会を与えられているというのに、それに手を伸ばさぬのは、神のご意志を軽んじることにもつながりましょう!
カルラ・エトワ・ブルームーンは、ちょっぴり俗っぽい、上昇志向の少女であった。
そして、さらに……もう一人。
「父上の期待に応えるために……」
そうつぶやく少年がいて……。
かくて、それぞれの思惑を秘めたまま、グロワールリュンヌの学生たちは聖ミーア学園へと向かうのだった。