第九十七話 エプロンボーイズトーク
時間は少し遡る。
「やれることは、すべてやった……」
戦場に赴く兵士のような、悲壮な顔つきで、キースウッドはつぶやく。手早くエプロンを身につけながら……。
戦とは、始まる前の段階で大方の勝敗は決まっているもの。そして、今回のシン・プニッツァ攻防戦の肝は、やはりなんと言っても森の食材の安全性を担保することである。
「専門家の協力を得られて、本当に良かった」
ルールー族の協力を取り付けられたことは、実に僥倖であった。
森に住まう彼らのこと。さすがに毒のある野草や、あまつさえ毒キノコなどを取ってくるような真似はしないはず……。
――ミーア姫殿下をお止めできて本当に良かった。
昨日のことである。
ブルームーン公爵夫人ヨハンナの説得に成功したミーアは、いよいよ新たなるプニッツァ開発に向けて、意気揚々と森の食材集めを提案した。
「やはり、パーティーに出す大切なメニューですし、わたくしが手ずから狩ってきたキノコを食材に使うのがよろしいと思いますわ!」
朗らかにそんなことを言うミーアに、追従するのは、
「おお! 良いですね、森の冒険。きっと特別初等部の子どもたちが大喜びすると思います!」
などと大いに賛同する冒険好き令嬢であった。
ウキウキと体を弾ませるベルに、ミーアもニッコニコと上機嫌だ。
「あー、ええと……」
そんなオソロシイことが決して実現しないよう、キースウッドはなんとか、ミーアたちを押しとどめて、
「ミーア姫殿下には、ダンスレッスンという大切なお仕事があるはずです。プニッツァの制作指揮に加え、食材の調達までするというのはいかがなものかと……」
などと諫言を呈する。
「むっ……確かに、言われてみればその通りかもしれませんけど……でも」
「ミーアさま、食材の調達はぜひ、ルールー族に任せる、です」
っと、キースウッドに同調したのは、なんと、リオラ・ルールーだった!
そうなのだ、なにも人脈を用いるのはミーアだけではない。キースウッドはモニカを見習い、せっせと味方作りに勤しんでいたのだ。
ルドルフォン領にて、狩りと屋外バーベキューにて、すっかり親睦を深めたキースウッドは、早い段階でリオラに協力を要請していたのだ。
「ルールー族、ミーアさまに御恩があります。だから、ぜひ、私たちにやらせてほしい、です」
「リオラさん……」
「森に住むルールー族の方たちですから、きっとミーアさまのご存じない素晴らしい食材を集めてきてもらえるのではないでしょうか」
グッと拳を握りしめて力説するキースウッドに、ミーアはフッと頬を緩めて、
「そうですわね……。確かにその通りですわ。では、食材はリオラさん……それにワグルにも担当していただこうかしら。族長さんからの協力も、そのほうが得やすいでしょう。わたくしは、実際のメニュー開発のほうを取り仕切ろうと思いますわ」
などと言うやり取りがあり、なんとか、材料の安全性を確保したキースウッドである。
「そう……。今までの俺は、問題の本質を突いていなかったんだ。料理とは、材料の安全さえ保たれていれば、大きな不幸を生み出すことはないものなんだ。味が多少辛かったり、甘くないはずのものが甘かったり、すっぱかったらいけないようなものがすっぱかったり……、舌が焼けるほど辛かったり……そんなのは些細なことなんだ。命に比べれば、どうということもないものなんだ。命に、比べれば……」
…………そうだろうか?
エプロンに身を包み(ちなみに、聖ミーア学園で用意されたエプロンの胸の部分には、ミーアの顔が刺繍されていた……しかも、能天気に笑っていやがる!)っとそこで、更衣室に誰かが入って来た。
「おや、これは、キースウッド殿」
声をかけられ振り向けば、そこには、ミーアの忠臣ルードヴィッヒとその同僚、バルタザルの姿があった。
「ああ、ルードヴィッヒ殿」
軽く会釈をしつつ、キースウッドは続ける。
「そういえば、今回の料理開発には、ルードヴィッヒ殿たちもご参加されるとお聞きしましたが……」
「ええ。お恥ずかしながら、料理のほうはからきしなのですが……」
エプロンをつけつつ苦笑いを浮かべるルードヴィッヒ(ちなみに自前のエプロンなのか、胸の部分には眼鏡の刺繍が去れている……まぁ、どうでもいいが)に、からかうように、バルタザルが言った。
「そんなに卑下することもないだろう。我々は、あの森の賢者に料理を仕込まれているのだから、胸を張って貢献すればいいのさ」
「ほう、ガルヴ殿は、料理の腕前も達者なのですね」
驚くキースウッドに、ルードヴィッヒが肩をすくめた。
「そうですね。食べ物がまったく見当たらないような場所で、食べ物を見つけることに関しては、我が師の右に出る者はいないでしょう」
――ん?
どういう意味だ? と首を傾げるキースウッドに、さらに、バルタザルが続ける。
「味はともかく、どんなものでも、それほど腹を壊さずに食べる術に関しては、叩きこまれましたよ」
「何も食べなければ死ぬ、という過酷な経験から生み出した料理法らしいのですが。いや、驚きました。見るからに毒がありそうなキノコを、まさかあのような方法で……」
っと、そこまで聞いて、キースウッドは軽い頭痛を覚えた。片手で頭を押さえつつ、
「ところで……これは、ちょっとした興味本位で聞かせていただきたいのですが……もしも、ミーアさまが毒のある食材、例えばキノコをプニッツァに乗せることを選んだしたら、お二人は、どうお考えになりますか?」
唐突な問いかけに対し、二人は互いの顔を見合わせてから……ゆっくりとバルタザルが口を開いた。
「なんらかの意味があるのではないか、と考えますね。そのお考えの真意はわかりませんが、その実現に向けて全力で行動するのが臣の役割ではないかと考えますが……」
バルタザルの非常に生真面目な答えに、おお、っと小さくつぶやいて、キースウッドは天を仰いだ。




