第九十五話 パティヤナ、釣り上げる!
すっ、すすっと、ミーアはヨハンナの後を尾行していく。
その動き、さながらダンスのステップのごとく……。
そうなのだ。ミーアはパーティーの主役となるべく華やかに踊ることもできれば、主役を立てるためにこっそりと、目立たぬように踊ることもできるのだ。
それを応用すれば、このように……パーティー会場の端で佇む端役のような存在感で尾行することも可能なのだ。
……ちなみに前の時間軸の新入生歓迎パーティーでも用いられた大変悲しい技術であったりするのだが……まぁ、それはさておき。
そうして、尾行することしばし……教室の建物を出てしばらく歩いたところで、ヨハンナはふと立ち止まった。彼女を呼び止める者がいたためだ。
「ヨハンナさま……」
「おや? お前は……」
その人物、パティを見て、ヨハンナは嬉しげに微笑み――言った!
「おお、パティヤナではないか」
――はて? パティヤナ?
物陰で聞いていたミーア、耳慣れぬ言葉に、思わず身を乗り出す。そこで、パティと目が合った。微妙に、気まずげな顔をしていた!
――まぁ、本名を名乗るわけにはいかなかったのでしょうけれど、しかし……。
ミーアは、ううむっと考え込んでから……。
――まぁ、お父さまの名前は犬からとったみたいなこと言ってましたし、まぁ、以前よりはマシになったのではないかしら……?
そう評価した! 偉そうに!
っと、どうやら、パティは決然とした表情でミーアから視線を逸らしてから、
「……どうして、例の討論会に反対なさっているのですか?」
スルーして、話し出した!
「なに……?」
ヨハンナの声が低くなるが、構わずに続ける。
「ヨハンナさまが反対されていると聞きました。そのご様子では教室を見学しても、お考えは変わらなかったのではありませんか?」
「そのとおりじゃ。討論会など茶番。それに、この聖ミーア学園に我が帝国の次世代を支える大切な人材を連れてきて、悪影響を受けたら一大事じゃ」
頑なに首を振るヨハンナをパティは上目遣いに見つめて、
「……討論会は、ミーア姫殿下の価値観を改めるための良い機会ではありませんか?」
静かに、けれど、鋭く切れ込んだ。
「なんじゃと……?」
思いもよらぬことを言われた、とばかりに目を見開くヨハンナ。パティはあくまでも冷静に、淡々と言葉を重ねる。
その様は、さながら、湖面に垂らした糸を、くいっくいっと引く熟練の釣り師のごとく……。
「この帝国の、古き良き伝統を守るグロワールリュンヌと、それを壊そうとする聖ミーア学園、両校を比較する良き機会が討論会なのではないでしょうか? そして、その違いを目の当たりにすればこそ、ミーア姫殿下も、お考えを改めるのではありませんか?」
湖のヌシの前で、ふりふり、っと餌を動かして見せる。っと、ヨハンナは、しばし黙り……取り出した扇子で口元を隠してから……。
「ふふん、なるほど。つまり、そなたは妾を挑発しようというのじゃな?」
鋭い視線をパティに向けた。
「どうじゃ? 図星であろ? そうでなければ、そなたがミーア姫殿下に敵対するようなことを言うはずがない。ふふん、安い挑発じゃな」
っと、パティの横を通り過ぎようとするヨハンナに、けれど、パティはあくまでも静かな口調で言う。
「……挑発? いいえ、違います」
あえて必死さもない、感情のこもらない声で……。
「ただ、私は事実を言い、そして問うているのです……。ミーア姫殿下を、このまま放っておいて良いのか……と。ヨハンナさまは、どちらが大切とお考えか、と」
「どちらが……とは?」
「グロワールリュンヌの学生か、それとも……ミーア姫殿下か」
パティは両手のひらを肩の高さまで上げて……天秤を作り出す。
「グロワールリュンヌの学生たちがこの学園の新しき教えに染まってしまうことを心配するのはわかります。帝国の伝統を守る中央貴族の子弟にとって、農業に価値を見出すような考え方は混乱のもとになるかもしれません。しかし……皇太后パトリシアさまにとって、どちらが大切だったのでしょうか……。この帝国の伝統を守ることと、ミーア姫殿下を守ることと……」
片手に帝国の伝統、片手に皇女ミーアの価値観をのせて、パティはゆらゆら両手を上下させる。
「ミーア姫殿下が悪しき価値観に染まってしまうとするなら、それを止めることこそが、忠臣としての在り方なのではないでしょうか。今の状態を見て、パトリシアさまは、どう思われるでしょうか?」
別に、どうも思ってなさそうな声で、パティは言った。
むしろ、ミーアのほうが正しいんだけどね、と言いたいのであろうパティは、あえて表情を動かさずに淡々とヨハンナを挑発する。
「仮にこれが挑発であったとしても、事実は変わりません。このような、説得する機会を逸することは、勇無きこと、ではないでしょうか」
その言葉に、ヨハンナはカッと目を見開いた。
ミーアは、その背に、ほのかな炎が立ち上るのを幻視する。
「なるほどのう……。確かに、戦うべき時に戦わぬは、勇無き者と侮られること。パトリシアさまの御思いにも反することであろうな……」
ヨハンナは、持っていた扇子をスッとドレスの中にしまい込み、
「妾は……少々、臆病になっていたようじゃ……。確かに、今度のことは、ミーア姫殿下を説得する絶好の機会。この学園の生徒たちを、そして、ミーア姫殿下ご自身を完膚なきまでに論破できれば、帝国の文化を壊すがごとき悪しき思考から解放されるであろう」
パチンと手を叩いてから、ヨハンナはパティのほうに目を向けた。
「ふふふ、待っているがよい。そなたを妾のもとへと送ったミーア姫殿下を、せいぜいわからせてやるのじゃ!」
かくて、三日月形の湖に住むヌシ、ヨハンナは釣り名人パティヤナによって釣り上げられたのであった。