第十二話 天が遣わしたる偉大な指導者(注 大きな誤解
ルードヴィッヒにとって、その出会いは衝撃的なものだった。
商人の次男としてこの世に生を受けた彼は、幼いころから頭の良い子どもだった。実家の店は長兄が継ぐため、早いうちから国家の役人を志していた彼は、その勉強をはじめてすぐに、このティアムーン帝国がいかに腐っているかを実感した。
原因はさまざまだったが、多くは皇帝を頂点とした門閥貴族にあることは明らかだった。
だからだろう、彼は貴族や帝室の人間、いわゆる高貴な人々を軽蔑していた。
そんな彼の前に、ある日、少女は突然に現れた。
ミーア・ルーナ・ティアムーン。
帝国の第一皇女という、いわば高貴な人々の頂点付近に位置する少女は、月光を溶かしこんだような美しい白金色の髪を揺らしながら言った。
この帝国を立て直すのに力を貸せ、と。
彼女の見せた知性のきらめきは、さながら月の女神のごとく、あまりにもまぶしくって……。その光に刺されたルードヴィッヒは、未だに心が高ぶるのを押さえることができない。
あの日以来、彼はミーアの信頼に応えて、仕事に勤しんでいた。
上司の反対は、概ね、帝国皇女の威光を利用して封じた。
そのことは当然ミーアの耳に入っているのだろうが、なにも言ってこないところを見ると、彼女の思惑どおりに、自分は動けているのだろう。
恐らく彼女は、帝国に対する自分の考えを伝えれば、ルードヴィッヒが自発的に動くと考えているのだろう。
大まかな方針を示し、細かな判断は現場の専門家の意志を尊重する。ごく当たり前のことながら、その判断ができずに滅びた国は多くある。
その正しい判断を、十二歳の少女が行ったことに、ルードヴィッヒは戦慄する。
「彼女こそ、帝国に天が遣わした偉大な指導者なのではないか……?」
そんなことまで考える始末である。
……無論、そんなものは妄想以外の何物でもないのだが。
「こんにちは、ルードヴィッヒ」
「これは、ミーア姫殿下。ようこそいらっしゃいました」
仕事をする手を止め、ルードヴィッヒは、立ちあがる。それを手で制し、ミーアは薄く笑みを浮かべた。
「お仕事、ご苦労様ですわね、ルードヴィッヒ」
「いえ、姫殿下のおかげでだいぶやりやすくなりました。ありがとうございます」
頭を下げるルードヴィッヒに、ご機嫌そうにうなずくミーア。
どうやら、今日までの自身の行動に間違いはなかったと、ルードヴィッヒはホッと一息吐く。なにしろ、相手は自分をはるかに上回る知恵の持ち主なのだ。気を抜くわけにはいかない。
「ところで、今日は折り入って相談したいことがあったので来ましたの」
「ふむ、相談……、ですか」
腕組みをしつつ、ルードヴィッヒは考える。
――姫殿下の様子を見ると、別に俺の仕事に不満があるわけじゃなさそうだけど……、でも、もしかしたら、なにか俺が気づいていないことがあるのかもしれない。
なにしろ、相手は、月の女神のごとき知性の持ち主である。
ルードヴィッヒの中でのミーアの評価は、もはや手が付けられないレベルまで急騰していた……大変、不幸なことである。
「そうですわね、ここでお話してもよろしいのですが……。ちょっと連れて行ってもらいたいところがありますの」
意味深にそう言って、ミステリアスな笑みを浮かべるミーア。
「どこですか?」
「新月地区……」
その一言に、ルードヴィッヒは驚愕した。
「――っ!? 貧民地区に、行かれるというのですか?」
思わず、うめき声が漏れる。
帝都ルナティアの、城壁に最も近い貧民街。新月地区。
そこは王侯貴族はもちろんのこと、一般的な民衆であっても足を向けることはない場所。
ルードヴィッヒとて、一度も行ったことのない場所だし、好き好んで行きたいとも思わない場所だ。
たとえ天地がひっくり返ったとしても、帝国第一皇女が行くような場所ではない。
「ミーア様、いくらなんでも、そんなところに行くなんて!」
たまらず悲鳴を上げたのは、いっしょに来ていた専属メイドのアンヌだった。
てっきりルードヴィッヒに会いに来ただけだと思いこんでいた彼女としても、ミーアの発言は寝耳に水であったのだ。うら若き乙女である彼女としても、新月地区はあまり近づきたくない場所だった。
「危ないから近づくな」と親に言われているし、同じように妹や弟たちに彼女自身が言い聞かせている場所なのだ。
けれど、二人の反対に、ただ首を振って答えて、ミーアは言った。
「必要なことですの。ルードヴィッヒに直接見てもらって、考えてもらいたいんですの」
決然とした口調で言った。