第九十話 のう……のう?
「実は、お二人にお聞きたいことがございますの。フーバー子爵のことなのですけど……」
「フーバー子爵、ですか……?」
バルタザルは眉をひそめた。
「先日、お話しした以上のことは、私も存じ上げませんが……」
「今のフーバー子爵ではなく、先代のフーバー子爵についてですわ。現フーバー子爵の異母兄だったのですわよね?」
そう問いかけると、バルタザルは難しい顔で頷いて。
「そう聞いています。フーバー子爵家の現当主は、先代フーバー子爵の腹違いの弟で、先代が直々に探してきたのだとか」
それから、腕組みして、バルタザルは続ける。
「それもあって、先代はある意味で有名人ですね。自らの子を成すことなく、年の離れた腹違いの弟に爵位を譲ってしまった変わり者だとか。そして、教育界の重鎮として知られる方だったとも聞いています。グロワールリュンヌの学長を務めたこともそうですが、皇帝陛下の教育係をしていたこともあって、中央貴族の中では一目置かれる存在だったと聞いたことがあります」
「子爵で皇帝陛下の教育係を務めたというのは、陛下に対する影響力を考慮したうえのこと、なのだろうな」
補足するようにルードヴィッヒが言った。
例えばこれが、四大公爵家の誰かということになれば、他の四大公爵家としては面白くない。かといって侯爵や伯爵であったとするならば、皇帝の寵愛を受け、星持ち公爵に並ぶ権勢を得てしまうかもしれない。それは、国内の混乱を招く恐れがある。
けれど、バルタザルは、この見解には首を振った。
「確かに、あまり高位の貴族を充てるわけにはいかないという考えもあったのかもしれないが、それ以上に、能力的なものだろう。俺は直接会ったことがないが、優秀な人だったと聞いている。帝国貴族の伝統を明文化し、体系化し、教育の形にまで落とし込んだのは、フーバー子爵の功績と言われているしな」
「クソッたれな初代皇帝の教え(でんとう)の明文化……それは聞き捨てなりませんわね」
つまり、そいつが、ギロちんを呼び寄せるのを、効率化しやがったのか……! とミーアはムキィッ! と目つきを鋭くする。
「フーバー子爵が蛇の関係者だとお考えですか?」
ルードヴィッヒの問いかけは、端的で、極めて直接的だった。対して、ミーアは、ふぅむ、と考え込んで……。
「そうですわね。その疑いはあるように思いますわ。秘密裏に調べてみていただけるかしら? フーバー子爵家のこと、現フーバー子爵のこと、それに先代フーバー子爵のことも……。火事で亡くなったと聞きましたけれど……あるいは生きている、などと言うこともあり得るのかもしれませんわ」
その言葉に、ルードヴィッヒはチラリとパティのほうに目をやってから、眼鏡をクイッと押し上げる。
「なるほど、わかりました。では、そのように手配いたします」
「ところで、フーバー子爵については良いとして、ブルームーン公爵夫人のほうはどう対処なさるおつもりですか? ミーア姫殿下。あの御仁は、なかなかに頑なですから、討論会をすんなりと受け入れてくれるとは思えないのですが……」
バルタザルが興味深げな顔で聞いてきた。帝国の叡智を直に見られる期待感からか、その瞳はキラッキラと輝いていた!
ミーアは、ふむと頷いた。威厳たっぷりに!
「ああ、そうですわね。少し煽ってみようかと思っておりますの」
「煽る……ですか?」
ミーアの口から出た不穏な言葉に、ルードヴィッヒとバルタザルが顔を見合わせた。
「そう。まぁ、交渉術の基本ですけれど……。要は、ヨハンナさんが喜ぶ状況を、鼻先に吊るしてあげようということですわ」
ミーアは指を振り振り、続ける。弟子に訓示を垂れる賢者のような態度で!
「ヨハンナさんが嬉しい状況とは、なにか……。それは、親友たるアデライードお母さまの娘である、わたくしが、帝国の伝統に回帰することではないかしら?」
その問いかけに、一同は頷いてみせる。
「それは……そうかもしれない。けど……」
代表して、パティが口を開いた。
言わんとすることがわからないのか、一瞬、考え込むようにうつむいたが、すぐにハッと顔を上げる。ミーアは静かに微笑んで、
「そうですわ。であるならば……、今度の討論会を、わたくしを説得する機会だと言って煽ってやればよいのですわ。せっかく『ミーア姫殿下の価値観を正す機会なのに、それを逸するのですか?』と煽ってやるのですわ」
「……なるほど」
顎に手を当てて、ウーム、と考え込むパティにミーアは得意げに続ける。
「ヨハンナさまはああ見えて、なかなかに武闘派な方とお聞きしておりますわ。であれば、挑発してやれば、乗ってくるのではないかしら?」
「いや、しかし、そう簡単にいくでしょうか? ブルームーン公爵夫人は、紫月花の会の長を務めている方ですし、そう簡単に、こちらの思惑には乗ってこないと思いますが……」
バルタザルの懸念を余裕の笑みで受け止めて、ミーアは言った。真理を悟り切った顔で!
「人は、なかなかに自らの本質からは逃れられないものですわ。わたくしは、彼女の本質がのう……」
うっかりポロリとしかける。
「のう……?」
きょとん、っと目を瞬かせるバルタザルに、ミーア、咳ばらいを一つ。
「のう……どうてきかつ、裏表のない性格だと思っておりますわ」
「能動的かつ裏表のない性格……」
「ええ。ですから、挑発すれば乗ってきてくださると思いますわ。ね、パティ」
ミーアの言葉を受けて、パティは、コクリと頷いた。
うちの孫、やっぱりすごい……やっぱり帝国の叡智は違うなぁ! と、大いに感銘を受けた顔で。