第八十六話 白きに染まらぬ黒き鴉
さて、学園職員との打ち合わせを終えたキースウッドは、各学部の見学をさせてもらうことになった。
ミーアのダンスレッスンによってテンションが上がった生徒たち。その学ぶ姿勢は熱意に溢れた、非常に素晴らしいものだった。
その中で、彼が最も興味を惹かれたのは……。
「なんと、料理学科……。料理の研究を……」
そう、ミーア姫直々の指示で作られたと評判の料理学部だった。
……ミーア姫直々の……というあたりにいささか引っかからないではなかったが……そこはそれ。指示を出したのが誰であれ、現場の人間がしっかりと仕事をしていれば、物事というのは上手く回っていくものなのだ。
とは言うものの……やはり不安が拭えなかったので、ちゃーんと敵情視察……もとい、見学に来たのだ。が……。
「研究とは具体的には、どのような……?」
「はい、各国の料理を研究し、外交使節団をもてなすためのメニュー開発などですね。それに、危険な野草やキノコ類の見極め方や、毒を持つ魚の捌き方など、専門家を招いての授業を行っています」
「ほう……、それは感心だ!」
ここの学生たちが卒業し、一人でもミーアのそばに随伴するようになれば、過去のイロイロな悲劇のようなことは回避できるはず。自分やサフィアスの心と内臓の平安も守られるに違いない……っと、キースウッドは大きく頷き……そこで不意に不安に駆られる。
専門家という言葉が、こう……少々引っかかったのだ。
そういえば、セントノエルでミーアが自身のことを「キノコの専門家」とかなんとか、つぶやいてはいなかっただろうか……なぁんて、思い出してしまったキースウッドである。
もしや、その専門家というのは、かの帝国の叡智のことでは……?
なぁんて、不安感に背中を押されるように、キースウッドは口を開いた。
「専門家……ちなみにですが、それは、その……本物の……?」
「は……? 本物と言いますと……?」
不思議そうに首を傾げる教員に、キースウッドは慌てて首を振る。
「ああいえ、ええと、つまり現場で料理を作っているような方が教えておられるということでしょうか?」
「なるほど、そういうことですか。もちろん、現場で修業を積んだ料理人も参加しています。それに、学長のガルヴは、森の賢者との異名を持つ人です。野草やキノコのことなどにもとても詳しいのです。ルールー族の方々にも協力していただき、森の食材についても知見を蓄積しています」
「そうなのですか。なるほど、それは重ね重ね素晴らしい」
危険を知る者がいる。その知識を次なる世代に広め、正しい知識を持った者たちが増えてくる。そうして、その者たちが、権威者に諫言を呈していく。
それは、なんと素晴らしい光景だろうか……。
不覚にも、目頭が熱くなってしまうキースウッドである。
――ああ、ここは、なんと素晴らしい教育機関だろう。まさに、ここは、ティアムーン帝国が誇るべき教育施設だ……。
「あら、キースウッドさん、こんなところにおりましたのね」
その時だった。感動に震えるキースウッドに声をかける者がいた。
他ならぬ、帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンが、朗らかな笑みを浮かべて、そこに立っていた。
「これは、ご機嫌麗しゅう、ミーア姫殿下」
「ふふふ、ちょうどいいところにいましたわね。実は、相談したいことがございましたの」
「相談したいこと……ですか?」
その一言で、一気にキースウッドの警戒心が刺激される。
「それに、この料理学部の方たちにもぜひともアイデアをいただきたいんですの」
続く一言で、さらに一段階……。危険レベルが跳ねあがる!
「傾聴! これより、ミーア姫殿下からありがたいお言葉をいただけるぞ!」
職員の声に、生徒たちがスッと背筋を伸ばす。
「ああ、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですわ。楽に聞いていただきたいんですけど……まず、例のプニッツァ、実にお見事なお味でしたわ。あれが帝国で食べられるのは、ここの料理学部の研究成果とお聞きしておりますけど、素晴らしい成果ですわね」
まず、ひとしきりプニッツァなる料理を褒めたたえた後、ミーアは続ける。
「わたくし、あれで大いに刺激を受けましたの。だから、ぜひ、美味しいプニッツァを、グロワールリュンヌとの討論会で出したいと思っておりますの。そう、美味しくて……新しいプニッツァを!」
「新しい、プニッツァ!?」
「ええ、その通りですわ。あのお料理には、大いなる可能性を感じますの。たくさんのバリエーションを試していくべきお料理だと思いますわ」
新しいプニッツァの開発……その言葉に、生徒たちがざわめく。
「とりあえず、そうですわね。キノコとか、のせるとかいいんじゃないかと思いますの。あ! そうですわ。せっかくですし、静海の森で発見した新しいキノコをのせるとか、そういうのはどうかしら?」
思い付きで、トンデモないことを言い出した!
一瞬、焦りかけるキースウッドだったが、すぐに思い直す。
そうだ……料理学部では危険な食べ物に対する知識を教えている。いわば、料理の常識を身につけた者たちの集団だ。ミーアの無茶な要求を、きっと撥ねつけてくれるはず……。
期待の目を向けたキースウッドは……すぐに絶望する。
生徒たちの……そして、それを導く講師の……その目に映る情熱の炎を見て……!
そうなのだ、ここは……魔窟、聖ミーア学園!
ミーアの言葉、ミーアの願いを全力で叶えようという、熱い、熱ぅい! 志を持った者たちの集まりなのだ。
凡百の料理人ならば、諦めるだろう。
だが、なまじ優秀な彼らは諦めることを知らない。身につけた技術によって、それを可能にしようとしてしまう!
ミーアの採ってきた毒キノコを、食べられるよう、なんとか努力を始めてしまうかもしれない!
キースウッドの本能が告げる。
――誰かが、止めなければ死者が出る!
やべぇ予感に背中を押されるように、キースウッドは言った。
「なるほど……その新メニューの開発、ぜひ、私も協力させていただきたい」
そんな彼に、ミーアはニッコリと微笑みを浮かべて、
「あら、なにを言っておりますの、キースウッドさん」
満足げな……笑みを浮かべて、
「そんなの、当たり前ではございませんの」
上機嫌にウインクなんかしやがった!
自らの願いの通りの結果を得たというのに、どこか……こう、釈然としない気持ちになるキースウッドであった。
ともあれ、沈んでもいられない。
ミーア色に染まったこの学園において、彼はただ一人、抗わなければならないのだ。
――ああ、しかし、なるほど……モニカ嬢は、こんな感じで頑張っていたのか。
遠い目をして、思うのは、みなが白き色に染められる中、黒き鴉であり続けた女性の姿。
ただ一人、染まらずにいることの、どれほど大変なことか……。
――できれば、傍らにいてもらいたかったものだが……特に、こういった場面ではっ! あるいは、サフィアス殿でも、構わないが……。
孤軍奮闘の予感に背筋を震わせるキースウッドであった。
ちなみに、現在、聖ミーア学園には無人島で共同戦線を張ったエメラルダのメイド、ニーナがいたりするのだが……そんなことは知る由もないキースウッドであった。